書評・エッセイ

2013年10月号掲載

うちのこと

――高山なおみ『明日もいち日、ぶじ日記』

スイセイ

対象書籍名:『明日もいち日、ぶじ日記』
対象著者:高山なおみ
対象書籍ISBN:978-4-10-333132-2

 こんにちは。おれスイセイと言います。高山なおみ著『今日もいち日、ぶじ日記』、『明日もいち日、ぶじ日記』の登場人物です。文中より、ちょっと出向いてきました。
      ・
 おれと高山なおみはいわゆる夫婦ですが、夫婦というよりも一緒に生きているものどうしというほうがしっくりきます。ほかに行くあてのない、帰るところのないノラ犬どうしが出会ったまま一緒に暮らしてる感じでしょうか。
 最初、居酒屋で出会いましたが、彼女には言いたいことがたくさんあったようで、おれは引きこもりが明けたばかりのぼけた頭でただボーと聞いてたように思います。
 それが数日続き、一年の文通を挟んで、一緒に暮らすようになっても、まだ、いまだに。
 二十数年経っていまだに続いているように思います。
      ・
 高山なおみは今のような文や料理の仕事を得るためにどの学校にもどの職業案内所にも行くことはありませんでした。狙ってそれを得たのではありませんでした。
 いくつもの選択肢の中からそれを選んだというより、ただ何かそういうものが来るのをじっと、十年も二十年も待っていた感じです。おそらくそういうことしかできませんでした。ほかにすることもありませんでした。
 ものを作るのにいろんなやり方があると思いますが、彼女の場合、そういうたっぷりした経験と気持ちの構えが結果的に役に立ったと言えます。
 言い換えると遅咲き、または不器用です。
 デパートにたとえどれだけたくさんの品物があっても、自分に合うものがないことは仕方がありません。
 あきらめました。
 欲しいものは自分たちで手作りすることにしました。
 いっそこの世を荒れ野だと思うと気が楽になります。
 荒れ野でも目が見えない人のように手探りすると前に進むことができます。
      ・
 2010年、ひょんなことから「山の家」(『~ぶじ日記』の主要な舞台)を手に入れてしまいました。
 手に入れてしまった、というのはよくわからないうちにあれよあれよと手に入れてしまったからです。
 どうしても欲しいわけではありませんでした。
 自分のものになり現地に出向いて、あらためてよく見てみると、ここは草ボーボーの見事な荒れ地でした。
 その荒れように見とれると同時に、土地に胸ぐらをつかまれて暗がりに連れて行かれました。
 おれは思わず草刈りを始めていました。その時は、それしかできませんでした。土地におれたちの方が捕まったのかも知れないと思いました。
      ・
 彼女は出版社から注文が来る以前から、日記を書き続けていました。
 それがいくつかの本として出版され今の『~ぶじ日記』につながるのですが、よく飽くことなく続けていると思います。彼女はいつも、うちにいるときも、車で移動中もA4サイズの紙ばさみを手離しません。あとで日記を書くためのメモを付けているようです。何かの作業中でも、タイミングを見つけては何かを書き留めます。
 一日が終わってくつろいだ夕食のあとでも、ふと体を起こして何を食べたか書き込みます。当人はそのことを苦に思っていないようです。きっと目の前の現実と同じくらい大切なことが、紙ばさみの中にあるのでしょう。
 そうして彼女は仕事のオンオフの区別がなくなり、四六時中、たぶん寝て見る夢の中でも文を書くことを止めません。まさにライフワーク、彼女自身が体験すること、生きること自体が仕事のような、不思議な仕事です。
 そうやって生まれたこの新しい本。気をつけてめくらないと生きもののゆらめきが空中に逃げてしまいそうです。
      ・
 欲しいものがあるということ、自分で作りたいと思うこと、そういう一見やっかいな自分こそが、強いて言うならうちの家宝でしょうか。

 (すいせい 発明家)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ