インタビュー

2014年1月号掲載

『爛』刊行記念特集 インタビュー

九十一歳で描く女たちの生と性

瀬戸内寂聴

対象書籍名:『爛』
対象著者:瀬戸内寂聴
対象書籍ISBN:978-4-10-114443-6

――八十三歳の人形作家の上原眸の元に、長年の友人・茜が自殺したとの報せが届く場面からこの小説は始まります。「爛」というタイトルに込められた思いを教えて下さい。

 最初は「残炎」というタイトルにしようと思ったのだけど、この小説の主人公・茜は、「残炎」って感じじゃないの。そこで辞書を引いていたら「爛漫」とか「爛々」という言葉で「光り輝く、満ち溢れる」という意味がある「爛」を見つけて使いたいと思ったんです。年齢から言っても「爛熟」とか、充分に熟して頂点に達している様子ですよね。死の前に最も輝く、そういう人生の最期が良いじゃない。

――主人公の一人・茜のモデルとなったような魅力的な女性が実際にご友人でいらしたのですね。

 長年の友人が八十歳直前に自殺したんですよ。晩年は疎遠になっていて突然、死の報せをいただいて……。供養になればと思って書いたところもあるんです。とにかく綺麗で楚々として根が純情で、言葉遣いが美しくて本当に素敵な人で、大好きだったんです。いつも情事の只中にいて、とてもモテる人でした。「恋が命」って言っていたのを覚えています。

――小説では遺書のようなノートや手紙類を読んだ眸が、折にふれ茜から聞いていた数々の情事の話を回想していきます。眸は八十代になっても人形作家としての仕事に多忙な日々を過ごし、茜は六十代、七十代でも美しく若さを保ち、恋を追い求めて生きています。

 やはり出来るなら女はいつまでも綺麗でいたいわよね。年を取ったから身なりを構わないなんて言うのは、自分を見限ることでしょう。私が子どもの頃と比べたら、今のおばあさんはほんとうに綺麗で若い(笑)。いいことですよ。どうせ生きているなら、死ぬまで女であった方がいいと私は思います。仏教で「渇愛」という性を伴う恋愛はなくても、誰かを思う気持はあった方が楽しいでしょう。ドキドキしたり、ときめくという気持が大事です。お化粧を濃くするとかじゃなくてね。

 寂庵へ身の上相談に来る人には、八十歳を過ぎても恋愛の悩みが多いんですよ。お釈迦様は恋愛するから悩みが生じる、孤独に生きる方が良い、なんて仰ったけれども、私はそうは思いません。お釈迦さんは若い頃に女に絶望する目に遭われたんでしょうね。私は九十一の今でも男に絶望なんかしていません。私自身は男運が良かったと思ってるし、みんな亡くなっているけれど、良い人ばかりでした。

 いま男性向け週刊誌で毎週「いくつまで出来るか」なんて特集をしているけれど、本当に下品ね。やっぱり愛がなかったらセックスなんてしても仕方がないと思います。

――人形制作の過程がとてもリアルに描かれていました。

 人形作家のホリ・ヒロシさんと以前から親しかったのですが、今回あらためて制作について取材して教えてもらったんです。人形の顔を描く道具はとても繊細なもので、瞳を金色に塗りつぶした泥眼は、とてもエロティックなものでした。

――「新潮」連載中の二〇一〇年秋には脊椎の圧迫骨折で半年間寝込まれ、その間に東日本大震災も起こりました。

 連載を半年間休んだけれど、やめようとは思わなかった。早く続きを書きたいと焦っていたんです。病気があって、震災があって、でも書き通せて本に出来て本当によかったと思います。これが最後の小説になると思って書きました。でも二〇一〇年は小説の連載は本作だけだったのに、今は「群像」と「すばる」の二誌に連載しているのよ。この年になってわかったけれど、小説って何をどのように書いても良いんですよ。死ぬ間際になって、六十年も書き続けて、辿りついた悟りかな。だからいま、書くのが面白くて仕方ない。最近若返ったってよく言われます(笑)。

――二〇一三年は得度から四十年、代表作『夏の終り』刊行から五十年という節目の年でした。

 三十五歳で「新潮」にはじめて書かせてもらう前に、二十八歳から少女小説を書いていたから、ペン一本で食べてきたのは六十年以上になるかしら。これほど長く書き続けられたのは、小説を書くことが何より好きだったからでしょうね。数えで九十三歳。人生九十年あっという間でしたね。明日死ぬかもしれないけれど、好きなことをし続けて通したから、満足なありがたい一生です。

 (せとうち・じゃくちょう 作家)

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