インタビュー
2014年5月号掲載
『時間という贈りもの フランスの子育て』刊行記念 インタビュー
自分で考えられる人間に育てる
対象書籍名:『時間という贈りもの フランスの子育て』
対象著者:飛幡祐規
対象書籍ISBN:978-4-10-303652-4
――18歳でフランスに留学、38歳でお子さんが生まれました。パリから帰国なさったとき、3歳くらいの息子さんに、「ルカちゃん、がまん」とよくおっしゃっていたのを覚えています。
ルカが通った幼学校(三歳からの公立・無償の幼児教育)の校長先生は「他者といっしょに生活できて、自立した子に育てることが目標です」と言いました。おとなが話しているときに子どもが何か言うと、日本では子どもの欲求を優先しがちですが、フランスでは「会話の途中だから待ちなさい」と注意します。子どもを社会で生きていくことのできる人間に育てるという考え方が基本にあるんですね。
――小学校は、公立から私立に転校なさいました。
ある事件をきっかけに、教育観の違いから、転校させることにしました。フレネ教育のように子どもの自主性をのばし、学ぶ歓びをもたらしてくれる学校がいいなと探して、運よく見つけました。その後のルカの成長をみると、あの学校で愉しんで学ぶ習慣が身についてよかったなと思います。
――日本の学校とのいちばんの違いはなんでしたか。
公立でも私立でも教科書をほとんど使わず(国による検定もない)、カリキュラムはあっても先生が独自の授業をする自由が保障されていること。授業で生徒が質問や意見を述べるのを奨励していること。そして、テストの解答を必ず文章で書かせること。日本よりもずっと長い、小論文的な文章で、これは訓練なしにはなかなか書けません。
――テレビゲームは、「世の中にはもっとおもしろいものがいっぱいあるの」と言って禁止なさった。そう言ったからにはと、「おもしろいもの」をたくさん体験させたそうですね。
週末にはなるべく外に連れ出しました。子どもも楽しめるスペクタクルや展覧会、野外コンサート、公園、動物園、水族館、植物園、美術館などの子ども向けワークショップ、街や田舎歩き、デモにもいっしょに行きました。
家ではやはり本ですね。絵本だけでなく、自分で読めるようになっても夫が朗読をつづけました。映画やアニメ、オペラなどのビデオは、最初は必ずいっしょに観ました。受動的にただ見るのではなく、注意深く画面を見る習慣をつくるためです。成長に応じて夫が解説を加え、観たあとは「シネ・クラブ」と称して家族で作品について批評しあいました。議論をとおして自分で考える習慣が育つと思います。
――息子さんは今月20歳になり、いまエコール・ノルマルの進学準備クラスで勉強中です。ここまでの教育課程でもっとも感銘を受けたのは、国語教育だったそうですね。
幼児教育の時代から美しい詩を暗誦させることによって、言語のリズムや語感、韻のセンスなどが身につくと思います。中高以降の国語教育の理想は高すぎるきらいがありますが、古典文学を抜粋ではなくまるごと読ませるという姿勢は、日本でもぜひ取り入れてほしいです。せっかく豊かな独自の文学があるのに、学校で扱わないのはもったいないです。
――「はじめに」でふれられている、『クレーヴの奥方』のエピソードが面白かったです。
この16世紀の「みやび」を描いた恋愛心理小説が公務員試験に出題されているのを見て、当時大統領選候補者だったサルコジが、「どこのサディストか馬鹿者がこんなものを出題したんだ?」と嘲笑したんです。文学なんて稼ぐための時間を奪う無駄だ、というわけですね。サルコジが大統領になり、市場論理にもとづいた大学改革案が出されたとき、教員や研究者の反対運動のひとつとして『クレーヴの奥方』の朗読リレーが行われました。朗読を呼びかけた教員は、文学作品を読むことは、世界に立ち向かう準備となると記しています。この朗読リレーにわたしも刺激を受けました。
――「時間という贈りもの」というタイトルについて。
時代の流れに真っ向から逆らう考え方かもしれませんが、人間が人らしく成長するには、ぼんやりする時間が必要だと思います。他の動物とちがって「退屈する」のが人間の特徴です。テレビゲームや塾、お稽古ごとなどで子どもの時間を埋めつくすと、結局主体的な生き方ができなくなってしまうのではないかと思います。消費経済にのみこまれずに、親も子も、もっと主体的に生きたいですね。
(たかはた・ゆうき エッセイスト)