対談・鼎談

2014年5月号掲載

宮本輝『満月の道―流転の海 第七部―』刊行記念

輝と蜜の「道」

宮本輝 × 壇蜜

対象書籍名:『満月の道―流転の海 第七部―』
対象著者:宮本輝
対象書籍ISBN:978-4-10-130756-5

戦後の時代を背景として、松坂熊吾の人生がダイナミックに描かれる大河小説『流転の海』

第一部から三十年を迎える二〇一四年春、新章のスタートともいうべき第七部『満月の道』がついに刊行されます。
完結までのカウントダウンを告げる本作発売を記念し、熱心な宮本ファンである壇蜜さんと著者が語った、仕事・恋愛、小説――。

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三十代の読者に

宮本 壇蜜さんが僕の小説を読んで下さっていると聞いて嬉しかったですよ。壇蜜さんだからっていうわけじゃなくてね(笑)。三十代の読者を大切にしなければいけないと以前から思っていたんです。

壇蜜 どういうお考えから、そんなふうに思われるようになったのでしょうか?

宮本 二十代と三十代の間にははっきりと線が引かれるべきだと、わが身を振り返っても思うんです。特に男は、二十代ではまだまだ幼いです。三十になってやっと女性に精神的に追いつくし、人生が自分に寄り添って来る。三十代こそ本当の意味で青春真っ只中ですよ。そんな年齢の人たちに自分の小説が深く読まれたらいいなあという切なる気持ちがあります。これは偶然だけど、僕が「泥の河」を太宰治賞に応募したのが二十九歳、受賞して作家デビューしたのが三十歳でした。

壇蜜 私がグラビアのお仕事を始めたのが二十九の時で、いま三十三歳です。

宮本 今度出る「満月の道」は、「流転の海」という全九巻になる長い小説の第七部ですが、これを書き始めたのは僕が三十四の時で今から三十三年前。壇蜜さんが生まれた頃からずっと書いてて、まだ終わらへん(笑)。

壇蜜 もちろん作者はたいへんでしょうが、ひとつの作品を読んでも読んでもなかなか終わらずに、その世界に長く浸れて嬉しいという読者は多いですよ、きっと。

宮本 でもね、いつも思い出すんだけど、第一部が単行本になったちょうど三十年前、八十歳を超えた読者の方から「ぜひ最後まで読ませてください」というお手紙を頂いて、恐縮したことがあります。いまだに完結できずにいるから申し訳ない気持ちです。

壇蜜 私が宮本文学を読み始めたのは忘れもしない二十七歳の時で、作者の期待よりは少し早かったかもしれません(笑)。当時付き合っていた少し歳上の方から、「宮本作品は説明できないんだ。複雑で、豊かで、粗筋には収まりきらない。粗筋のつもりで喋り始めても粗くならずに終電までかかっちゃう。だから、君が自分で読んでくれないか」と言われました。

宮本 それはじつにセンスのいい彼と付き合っていましたねえ(笑)。

壇蜜 たまたま二人で降りた恵比寿駅に、その頃文庫本の自動販売機があったんです。初めて自販機で文庫本を買ったのが「避暑地の猫」でした。……そのあと別れちゃいましたが。

宮本 まあ、済んだことですから(笑)。

壇蜜 済んだことです(笑)。それはともかく、「避暑地の猫」を読んで、なるほど粗筋に収まらない小説があるんだと知りましたし、直接的な言葉や描写を用いずにこんなに色っぽい小説が書けるなんてと吃驚(びっくり)したんです。それから「私たちが好きだったこと」「ここに地終わり海始まる」「優駿」……最近は「真夏の犬」という短篇集を夢中で読みました。

生と死の狭間で

壇蜜 去年「甘い鞭」という映画に出た時には、「五千回の生死」を思い出したんです。

宮本 「甘い鞭」。どんな映画ですか?

壇蜜 主人公は、女子高生の時に暴行監禁された経験があり、十五年たった今は産婦人科医になっているんです。昼は不妊治療の患者を相手に生命を生み出す仕事をしていて、夜はSMクラブのM嬢としてハードな目に遭っている。生きることと死ぬことを毎日行ったり来たりして、どちらにも定住できずに、いわば生死の垣根の上で暮らしている。最後は、自分が生き延びるために、目の前にいるサディストの客を殺し、そしてかつて監禁されていた女子高生の自分をも殺さないといけない――そんなところまで追い詰められます。

 演じるに際して、主人公が生死の狭間で悩んでいるのは、自分の本質が何であるか迷っているからだ、と私なりに理解できて、役にうまく打ち込めたように思っています。

宮本 映画の最後で、かつての自分を殺すんですか?

壇蜜 殺そうとして、誰かに止められるんです。誰かというのは〈未来の自分〉だと解釈しました。主人公は自分で生き死にの落し前をつけようとしたけれど、そんなことは自分の力ではできないんだ、と言っているラストシーンだと思うのですが、あそこで私はふいに「五千回の生死」のことを考えたんです。「満月の道」でもそうでしたが、宮本作品では人の生き死にが大きなテーマになっているように感じます。

宮本 僕は小さい頃から、ずいぶん人の死というものに遭ってきました。老人が亡くなるのは仕方ないけど、子供が病気や事故で死ぬのを何人も見てきた。そのせいで、この子は何のために生まれてきたんやろ、この世界に人間として生まれてくる必要はどこにあったんやろか――そんなことを突き詰めて考えた時期がありました。僕自身も体が弱く、子供だったから聞いてないと思うんでしょうね、医者が「この子は二十歳まで育つかなァ」と親に言っていた。子供は全部聞いていますよね。だから、「僕は何のために生まれてきたんやろ」と幼い頃から考えざるをえなかった。

 作家になってからもあれこれ考えているうちに、虚無的ではなくて、突き抜けた形で「生きようが死のうが、どちらでもいいじゃないか」という小説を書きたくなりました。下手に書くと観念的になるけど、うまく生きている物語の中に託したかった。そんな思いで書いたのが「五千回の生死」でした。

いかに書かないか

壇蜜 〈生き死に〉について考えるような子供だったから、小説を書き始められたのでしょうか?

宮本 いや、これははっきりしていて、僕はサラリーマンをやっていた頃、重度のパニック障害になって、電車に乗れなくなったんです。〈広場恐怖〉というんですが、広い場所が怖いんじゃなくて、ある一定の時間そこから出られない状況が怖くなる病気です。電車がダメ、高速道路がダメ。一般道はすぐどこかに停められるから大丈夫だけどね。お葬式はお焼香してすぐ帰れるから大丈夫、披露宴は途中で帰れないからダメ(笑)。

壇蜜 宴もタケナワにならないと帰してくれませんからね。じゃあ、先生にとって屋形船の披露宴は最悪ですね。

宮本 屋形船は逢引でも無理。今は病気は治りましたが、逢引する相手がいない。もう枯山水みたいな生活やから(笑)。

 電車に乗れない以上、会社員はもうできない。けど手に職もないし、どうしようかと考えた末、「そや、小説書こう。おれ、小説読むの好きやったんや。書ける書ける」と自分に言い聞かせたんです。

壇蜜 言い聞かせるところから始められたんですか。

宮本 書いたことないし、書き方も知らんしね。最初は見様見真似で書き始めた。そうしたら小説を見てくれる人、僕にとってのお師匠さんと出会って、「君は天才やから、やる気あるならウチにおいで」と言われた。同人雑誌を主宰していた人です。「そうか、おれ天才やったか」と思って電車乗ると、パニック障害起こらへん(笑)。それがお宅へ行ったら、お師匠さんは僕の目の前で、原稿の最初の一枚を鉛筆でくちゃーっと消すんですよ。「何するんですか!」「これ要らん。二枚目から書けるようになったら、ほんまに天才になれる」「もうええから、返して下さい!」。その一枚目こそ力を入れて良い文章が書けたと信じていたからね。それで電車で帰ったら、途中でパニック障害を起こした(笑)。へとへとになって帰宅して、しばらく休んでから試しに二枚目から読むと、言っている意味が腑に落ちたんです。一枚目は要らなかった。

壇蜜 何だか達人同士の話を聞くようです。

宮本 僕のほうは達人じゃなかったですよ。いかに削るか、いかに書かないか、それが作家にとって非常に大事なんだと学びました。ここは言葉ではちょっと説明できないなあ。

あの父、あの母の息子であること

壇蜜 宮本文学には子供が重要な役割というか、大切に扱われている小説が多い気がします。そこが、私が惹かれる大きな理由かもしれません。「流転の海」に出てくる伸仁君は、「満月の道」ではもう高校生になりますが、数えるほどしか家族団欒を知らずに大きくなっていきますよね?

宮本 ええ。彼は僕自身がモデルになっていますが、誰でもどんなふうに親から育てられたかは、自己形成に大きく影響しますよね。でも、自分では分析できない。明治生まれの破天荒な父、繊細すぎる母、小説の松坂熊吾と房江ですが、それが自分にどう影響を与えたのか……。

壇蜜 子供から見たら、父と母には圧倒的な力がありますよね。振り回されてもみくちゃにされて、傍から客観的に見たら根拠なんてないのに、子供は嫌々ながらでも納得してついていく。小説の中でも、描かれている時代のせいもあるでしょうが、あの家族はたとえバラバラに暮らしていても決して絆を離しません。

宮本 僕は十代の終わりに図書館でデュマの「モンテ・クリスト伯」を読んだんです。「巌窟王」ですね。

壇蜜 あ、「巌窟王」。アニメもありますね。

宮本 どういう場面だったかはもう忘れてしまったけど、無実の罪で投獄され、脱獄をして復讐をしていくあの主人公エドモン・ダンテスが、「父と母は私に命を与えてくれた人」と思うところがあって、この言葉が当時の僕の心に沁みたんです。世の中には自分の親を知らない子どもも多いけれど、それでも父と母がいるには違いない。

壇蜜 ええ。誰かがいてくれて自分がいる。

宮本 どんな犯罪者でもそれが父親なら、どんなひどい女でもそれが母親なら、子どもはいくら否定しようとしても否定しきれないですよ。僕の場合は何が幸せだったといって、父も母も僕をものすごく可愛がってくれたことです。商売の失敗とか、夫婦の問題とか、いろんなことがあったし、僕も中学生高校生になると愛憎こもごもというか、親を冷やかに、批判的に見るようになっていました。だけど「モンテ・クリスト伯」でこの言葉に出会った時、僕があの父、あの母の息子であることはとても大切なんだ、大きい意味があるんだと気づいたんです。ご両親はご健在ですか?

壇蜜 はい。ちょっと離れてからでないと解らないことって、親子にはありますね。私はずっと実家で甘え放題に暮らしていたので、自分で働いて対価を得るようになって初めて、親にどれだけ世話をかけてきたかを知りました。一つ屋根の下で親子三人仲良く、とはなかなかいかないけれど、子は鎹みたいに、本当にはバラバラにならずに、解り合えるようになって良かったと思っています。

満月の光の道を

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宮本 お芝居も始めたし、これからいろんなことをやっていかれるのでしょうね。

壇蜜 私はよく「自我の電源を切る」という言い方をします。あるボクサーの方と一緒にお仕事した時に、「リングでは自分の灯りを消す」と言われたんですね。「相手をこうやって攻めよう」などという自分の作戦や思い込みには任せないんだ、と。「灯りというのは自我のことですか?」と伺うと、そうだと仰ったので、私は「自我の電源を切る」と言っています。

宮本 それは絶妙の言葉やなあ。

壇蜜 グラビアならグラビアをやる時に、服装なりメイクなり設定なりを私から「こうしたい、ああしたい」と言うのは止めて、自我の電源を切って、メイクさんや編集の人に委ねよう。「餅は餅屋なんだから」と思ってやっています。ただ、タレントをやっていると、ドラマをやってみませんかとか、フォト・ブックの文章を書きませんかとか、いろいろ誘われます。これは食べていくためには仕方ないんだと思いつつ、「餅は餅屋」の気持ちに反するようで、ためらう時もあります。

宮本 「満月の道」に続く、第八部「長流(ちょうりゅう)の畔(ほとり)」をいま書いていますが、実は「餅は餅屋」の話を出したんです。これは熊吾が実際に僕に言った言葉なのですが、「餅は餅屋という言葉には二つ意味がある。餅は餅屋に任せておけという意味と、同じ米で作っているからと言って、餅屋が煎餅を焼こうと考えるなよという意味だ」と。まだ壇蜜さんは自分が何屋か見つけてないのかもしれない。

壇蜜 実際、例えばお芝居の仕事をやってみても、いい評価は得られていない状況なんです。でも、「あの人は演技が巧いね」という言葉は必ずしも褒め言葉ではない、と思うようにもなりました。こんなことを言うと、すぐにもう一人の自分が「負け惜しみだろ」とタバコに火をつけながら嘯くんですけどね(笑)。

宮本 自分で決めたことをやり続けたらいいんじゃないのかな。自我の電源を切り続けたらいいんですよ。演劇の世界は知りませんが、「芝居をするな」と監督さんがよく言うのと、自我のスイッチは関係あるんじゃないですか。さっき言った、僕が名文だと信じた冒頭の文章が実は不要だと気づいたような瞬間が、壇蜜さんにも必ず来ますよ。

壇蜜 まだ〈壇蜜〉屋でいいのでしょうか?

宮本 たいへんだけど、決めたことを貫けばいいんですよ。自我の電源を切るというのは、一番正しい道を見つけられたんじゃないかな。

壇蜜 そう言っていただけて嬉しいです。自分は〈瓢箪から駒〉の駒なんだから、駒が自暴自棄にならず、この世に絶望せずに生きていきます。

宮本 駒がいなきゃ、いくら瓢箪を振っても何にも出てこないんだから。壇蜜さんは貴重な存在なんですよ。

壇蜜 ありがとうございます。先生はこれから先、どんな小説をお書きになるのでしょうか? 「流転の海」は、もう第八部を書き始められたんですよね。

宮本 第八部が扱うのは、家庭的にも、伸仁の内面的にも実につらく苦しい時期で、解らないことも多く、きわめて書きにくいところです。どうして父があんなふうになったのか、どうして母があんなことをしたのか――。今回の「満月の道」という題は、房江が城崎で満月を見つめる場面から採りました。でも、光が明るければ明るいほど、当然、影も濃くなる。「流転の海」はこれまで熊吾の物語だったのが、だんだん房江の物語へと移っていくような気がしています。この後の房江の人生はあの満月の光のなかの道を歩いていくのだと思います。まあ、とにかく書くしかありませんね。五十歳くらいから、「流転の海」を完成することが僕の生きる証みたいに感じるようになっていて、これだけは完結させないと死ねない。

壇蜜 九巻までということはあと二巻。たぶん私は生きているうちに、最後まで読めますよね?

宮本 そらそうや(笑)。七十歳までに完成しようと思っていますから、あと三年くらいかな。あの父親と七十年付き合うんやから、おれもエライよ。腹が立つのは、「輝さん、あれを書き終えたらどないかなるんと違うか」と心配する奴がいる。僕は、「流転の海」が完結したら余裕もできるだろうし、新しいステップに行けると考えているんですけどね。

壇蜜 三十代の読者であることを幸運として、「流転の海」を最後まで、そしてそれ以降も末永く愉しませて頂きます。

  二〇一四年三月二十四日 新潮社クラブにて

 (みやもと・てる)
 (だんみつ)

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