インタビュー
2014年7月号掲載
『トワイライト・シャッフル』刊行記念特集 インタビュー
挑戦、習作、現代、房総――
対象書籍名:『トワイライト・シャッフル』
対象著者:乙川優三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-439306-0
――『むこうだんばら亭』『露の玉垣』『麗しき花実』などですでに時代小説の第一人者でありながら、去年『脊梁(せきりょう)山脈』で初めて第二次世界大戦後を題材にし、大佛次郎賞に輝きました。新作『トワイライト・シャッフル』も現代小説です。なぜ時代小説から移行したのでしょうか。
乙川 五十代の後半になって、何か新しいことに挑戦しなければならない、そう思うようになりました。思い切るにはどこかで線を引かなければなりませんので、六十という年齢をその区切りと考えました。長生きしたとしても小説を書くには気力と体力の問題がありますから、結果として今挑戦して良かったと思っています。作家としての渇望で、時代小説が嫌になったということではありません。
――『脊梁山脈』は木工や古代史、戦時中の上海など歴史小説と同様か、それ以上に調べ事が多かったのでは。
乙川 そうですね。資料がたくさんあって助かる反面、記述が違った場合にどれを信じるかという問題も出てきます。終戦直後ではありませんが、私も戦後生まれなので、ある部分では近しい世界をこれほど調べることになるとは思いませんでした。およそ知っていることでも確認しなければなりませんから、その作業が大変でした。
――『トワイライト・シャッフル』収録の短篇はすべて平成の物語で、房総半島の海辺の街が主要舞台です。
乙川 昭和とひと口に言っても、戦前から戦後、高度経済成長を経て社会が変化するわけですから、どの年代にするかで小説も変わってきます。今回は平成が舞台ですが、昭和を無視することはできません。私は東京生まれの千葉育ちですから、房総半島を郷土と思っていますし、外房の昔も今も知っています。小説を書く時に心がけて大切にしているのは景色が見えるということで、見えていないと、でたらめを書くことになりかねません。現代小説の短篇は初めてでしたから、習作の意味もあって、見えている場所を舞台にしましたが、『脊梁山脈』にしても、ほとんど行ったことのある場所を書いています。
――原稿用紙三十枚前後で人ひとりの半生や心の綾などを描き尽す筆致は、とても習作とは思えない水準の高さです。
乙川 時代小説の短篇はたくさん書いてきましたが、これほど少ない枚数で書いたことはありませんから、挑戦という意味では習作です。十数年前の新人の頃、五十枚で書いたものを編集者に読んでもらったところ、「藤沢周平なら三十枚で書きますよ」と言われ、頭ではわかりましたが、当時の私には書けませんでした。向田邦子さんの短篇も三十枚あるかないかでしょうが、ひとつの言葉や一行に情感が凝縮されて鮮やかです。同じことを少ない枚数で書けるなら、その方が良質な小説になると思います。
――家計を支えるため、裸婦のモデルになる女性(「ムーンライター」)や異国から移り住み、伴侶をなくした女性(「サヤンテラス」)、都会の暮らしを清算する男女(「トワイライト・シャッフル」)など、地元の住民や来訪者などが登場します。彼らに共通するのは、ここが自分の居場所かどうか自問していることのようにも思えます。
乙川 それぞれの主人公は、私の経験から身近に感じる人をモデルにしています。その意味では「景色が見える」のと同じです。外房は東京から近く、かつては病人が転地療養する土地でもありましたが、今はリゾートホテルや別荘があり、他県の人が終の棲家を建てたり、外国人が暮らしたりしています。都会から見れば田舎ですが、多種多様な生活と人生があります。
――この短篇集には現在の心境を仮託したものや、行く末を想像した私小説風の作品もあるような気がしたのですが。
乙川 この歳ですから、さすがに死は意識しますが、自分の生活の跡が小説に残るのは好きではなく、出来れば、全部消していなくなりたいです。何かしら残したくて書くのではなく、佳いものを書いて、ああ、これならいいだろうと、自分で納得して満足したいだけですね。
――アントニオ・カルロス・ジョビンの曲がほろ苦く、甘美に響く「オ・グランジ・アモール」など作品名はほとんど欧文ですが、これまでの時代小説に近い味わいもあります。また全十三篇のうち、男性主人公は二篇で、あとは女性主人公です。
乙川 時代小説と現代小説で私は文体をあまり変えていませんので、違いを感じさせないとしたら、理由は文章にあるのかもしれません。会話はもっと乱暴な現代風にしてもよいところもありますが、きれいな言葉遣いは今も生きていて、そういう女性の方が美しく見えますよね。いざ書こうとすると、女性の像が浮かび、自然に女性を主人公にしていたようです。これが時代小説となると、女性が生きてゆく環境は現代と違いますから、彼女たちの精神構造にも時代考証が必要になってきます。小説家や読者の中には、昔も今も人は変わらないと捉えている方もいるようですが、江戸時代の人には今の私たちのようには出来なかったことがあることを念頭に置いた方がいいように思います。
――『トワイライト・シャッフル』には、時代を超えて通じる情感や情景が描かれています。
乙川 初めて素晴らしいと思った短篇が井伏鱒二の「山椒魚」で、教科書ではなく、たまたま書店で買って読みました。いつの時代かわからず、主人公も人間ではありませんが、「山椒魚は悲しんだ。」という冒頭の一行通り、感情を持った、人の話ですよね。私の目標は「山椒魚」のように短い、優れた短篇をひとつ書き上げることです。
(おとかわ・ゆうざぶろう 作家)