書評

2014年9月号掲載

マーク・トウェインと名声

――『ジム・スマイリーの跳び蛙 マーク・トウェイン傑作選』(新潮文庫)

柴田元幸

対象書籍名:『ジム・スマイリーの跳び蛙 マーク・トウェイン傑作選』(新潮文庫)
対象著者:マーク・トウェイン著/柴田元幸訳
対象書籍ISBN:978-4-10-210612-9

 ナサニエル・ホーソーン。ハーマン・メルヴィル。マーク・トウェイン。十九世紀アメリカ小説の三大重要人物である。いずれも文学史上に確固たる地位を有し、等しく揺るぎない名声を得ている。
 とはいえ、生きているあいだ、名声とのつき合い方は、それぞれ違っていた。
 まずホーソーン。長年、地元でひっそり知られる短篇集を出しているにとどまる作家だったのが、一八五〇年、初の長篇『緋文字』が売れて、全国的に名が広まった。その翌年、十四年前に出た第一短篇集の改訂新版を出し、その序文で、自分が「何年ものあいだ、アメリカで誰よりも無名の文人だった」ことをとうとうと述べている。どうも無名の方が性に合っているようで、名声はあまり心地よくなさそうだ。
 次に、メルヴィル。南洋の人食い人種と暮らした体験に基づく、二十六歳で出した第一作『タイピー』(一八四六)で早くもそれなりの名声を得た。その後も海洋小説を書きつづけるが、実は一番「受けた」ところの体験談的要素はだんだん少なくなっていき、売れ行きもそれに比例して下降していく。それでも何とか売れ線を意識して書きつづけ、第六作『白鯨』(一八五一)も当初はそういう、かのエイハブ船長も出てこない、読みやすい鯨取り体験談ふうの一冊だったと思われるが、おそらくはホーソーンに出会ったことで、作品は一から構想し直され、書き直された。出来上がった作品の壮大な象徴性に反応した同時代読者はわずかだった。その後も知名度はますます下降し、一八九一年に没したときはほとんど忘れられた存在だった。
 そして、マーク・トウェイン。ネヴァダの新聞記者として滑稽な報道文を書くことから出発し、ユーモア作家としての地位を着々と築いていった。世もいまや南北戦争後、大衆化の急速に進行する時代だった。旧態依然としたヨーロッパや、当時のアメリカの金権崇拝を皮肉った本なども出して、「マーク・トウェイン」の名声は次第に高まり、モジャモジャ頭に太い口ひげのルックスも全国的に知られ、やがては全身白のスーツもトレードマークに加わった。四十代に入って『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』などの名作を書き上げ、国民的作家としての地位は揺るぎないものとなった。
 メルヴィルなどより、名声とのつき合いははるかにうまく行ったと言えるだろう。そもそも「マーク・トウェイン」という名からして筆名(「水深二尋」の意)である。本名はサミュエル・クレメンズ。もちろんクレメンズとトウェインの関係はつねに和気藹々(あいあい)としたものではなかったが、そうは言っても、マーク・トウェインという仮面を、サミュエル・クレメンズはおおむね上手に作り上げていった。こののち、トウェインと入れ替わるようにして、ジャック・ロンドンもまた、「ジャック・ロンドン」というキャラクターを上手に作り上げていく(そういえば二人ともゴールドラッシュでそれぞれカリフォルニア、クロンダイクに赴き、金は手に入れなかったが小説のネタはたっぷり手に入れた点も共通している)。世に理解されぬ孤高の英雄も立派だが、万人に愛されるキャラクターを作り上げた者たちにも独自の輝きがあるのがアメリカらしい。
 あることないこと面白可笑しく書いていた新聞記者だったころ、誰もトウェインがアメリカを代表する文学者になるなんて思っていなかった。彼はただの文章コメディアンだった(まあそれをいえば、ホーソーンだってメルヴィルだって、一冊目から「将来は文豪」と思われたわけではないが)。そのただのコメディアンが書いた文章、これには独自ののびやかさ、大らかさがある。今回『ジム・スマイリーの跳び蛙 マーク・トウェイン傑作選』を編むにあたって、一番伝えたかったのもそうした面である。だから初期の、けっこう馬鹿っぽい(というか、ほとんど馬鹿そのものの)話を積極的に収めた。いっそ『マーク・トウェイン与太話選』『……ほら話選』と題してもいいんじゃないかと思ったくらいである。「こんな馬鹿話、つき合ってられるか」と思われる読者もいらっしゃるかもしれないが、「馬鹿話、案外いいじゃないか」と思われる方(かた)がより多いことを切に願っている。

 (しばた・もとゆき 米文学者・翻訳家)

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