書評・エッセイ

2014年11月号掲載

人の声と町の記憶が織りなすポリフォニー

――黒川創『京都』

大竹昭子

対象書籍名:『京都』
対象著者:黒川創
対象書籍ISBN:978-4-10-444407-6

「深草稲荷御前町」に出てくるトオルは駅前で喫茶店をやっている。バイトしていた店から権利を引き継いで落ち着いたそこは、中学時代の友人たちが同級生のニュースを落としていく場所だ。「吉祥院、久世橋付近」の主人公、前田良造は高校をドロップアウトし、テキ屋、ノミの集金など、ヤクザのシノギをやって、いまはクルマに炉を積んで各家を巡回するペットの火葬業をしている。「旧柳原町ドンツキ前」の健志は、履物屋の経営する下宿にいたころ、そこのおばさんから聞いた昔話や、狂気を抱えた下宿人のアキラを通して人生の奥深さを学んだ。「吉田泉殿町の蓮池」の健一が語るのは、米屋に生まれるも後を継がずに学生結婚し、その後離婚した彼の両親や、親代わりだった米屋の祖父母との生活や町の記憶である。
 彼らは初老の年代で、これまでの道のりを振り返っては屈託を抱えがちな日々である。「深草稲荷御前町」は店に同級生のイワがやってくるところではじまる。彼はトオルと同じ在日韓国人だが、喉頭ガンの手術をするとカラッと言うような前向きな性格で、最近のトオルは彼に感心することしきりだ。「自分の欲望を大事にして、努力を惜しまず、働く」ところが、いじけて折れ曲がりがちの自分とは大違いだと。「吉祥院、久世橋付近」の前田良造も彼らの同級だが、父は小児科医で中学のPTA会長と、在日のふたりとちがい恵まれた環境に育った。だが権威に居直る親への反抗からヤクザの使い走りをするうちに抜けられなくなる。「ドンツキ前」の健志も両親が離婚しているが、彼を手元に置いたのは母ではなく父のほうだった。男のふたり暮らしに音をあげて、高校のときに下宿したのだった。
 その下宿は靴屋や鞄屋や皮革製品店が軒を並べる河原町塩小路にあり、河原町通りと塩小路の角には「ドンツキ」靴鞄店の大きな看板が掛かっていた。市電はその角にさしかかると急カーブを切って直角に曲がり、乗客はカーブの外側にはじきとばされそうになる。たいていの人は足を踏ん張ってこらえるが、「人生では、そこに加わる遠心力になかば身をまかせ、所定の軌道から離れていく人もいる」。
 トオル、良造、アキラ……。健志や健一にさえも、その影がちらついている。人生の表街道を颯爽と歩いている人はひとりもなく、不安を感じていないと生きている実感が湧かないかのように、直面する問題に心を砕いている。しかしそれは恵まれない家庭環境ばかりが理由ではないだろう。
 昔つき合っていた相手が偶然にもペットの火葬を申し込んできて再会した際に、良造が彼女にこう言われるシーンがある。あなたならヤクザをやめていたらもっと堅実に働けたかもしれないのにと。そうかもしれないが、やっぱりそれは俺がやりたかったことやないんやわ、と彼は返す。西洋料理店の店主にフルで働かないかと誘われたときも、惹かれつつも足が遠のいた。人に良くされると不安になる性分なのだ。
 人生があのようではなく、このように進んでいくわけは数えきれないほどある。けれどもその要所を決めているのは、良造のなかに見られる、自分の持った運をぜんぶ使いきって生きてないと生きている感じがしないというような、言葉では説明しにくい生理的なものが大きいのではないだろうか。その意味では、社会的な成功者ではないものの、どの人にも自分の内なる声の命じるままに生きたという切実感があふれており、随所に織り込まれた土地の歴史や町の記憶が彼らの声を包み込む容れ物になっているのを感じる。町とはそのような寛大さをもつものなのだ。
 堅実な道を迂回しがちな彼らとちがい、ただひとりまっすぐな光を放っているのは、健志の下宿先、ドンツキの中野履物店のおばさんである。店があるのは被差別集落の歴史をもつエリアで、おばさんの一家もその出自だったが、戦前に故郷の村では珍しく女学校まで通い、代用教員をしていた彼女は、自分の考えで四人の子供を地区外の学校に通わせ、無事学業を終えさせた。
「この家の人たちの生きる態度は、それぞれに自分自身の考えにもとづくもので、めいめいが自分の足で立ち、顔を上げているおもむきがあった」
『もどろき』『明るい夜』『北沢恒彦とは何者だったか?』など、これまでも京都を舞台にした著者の作品を愛読してきたが、ずばり『京都』と題した本書からは、複雑なひだをもつ古都のもう一歩奥へと導いてくれる貴重な声が詰まっている。

 (おおたけ・あきこ 作家)

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