書評

2015年3月号掲載

『ブラック オア ホワイト』刊行記念特集

日本人の怪物性が目覚める前に

――浅田次郎『ブラック オア ホワイト』

佐藤優

対象書籍名:『ブラック オア ホワイト』
対象著者:浅田次郎
対象書籍ISBN:978-4-10-101928-4

 高いエンターテインメント性と思想的な深さを兼ね備えた感動的作品だ。
 学生時代の友人であった「都築君」が私を高層マンションの自宅に招く。二人とも六十代になった。〈親しかったクラスメイトとしばしば会ったのは二十代までで、それぞれが所帯を持ち、仕事も忙しくなると自然に交流はなくなった。三十代と四十代のおよそ二十年間は、たしかに誰がどこで何をしていたかわからなかった〉。自然と、話は空白の時代の出来事になるはずだ。しかし、都築君の話は、少し変わっていた。これまでに見た夢の話だ。その夢の内容は、寝るときの枕の色によって変わってくる。白い枕のときは楽しい夢、黒い枕の時は苦しい夢を見る。
 ユダヤ教にカバラーという神秘思想がある。カバラーとは、ヘブライ語で「受け入れ」「伝承」という意味だ。人間の知恵には、理性で割りきれる光の部分と、理性では説明できないドロドロとした闇の部分がある。光の領域を拡大すると、気づかないうちに闇の領域も拡大している。そして、その乖離は解消されることになると説く。乖離が大きければ大きいほど、解決のときに激しい衝撃が起きる。カバラー思想は、十九世紀末に人間の心の闇を分析する心理学という形で再登場した。浅田次郎氏がこの作品で取った手法は、カバラー思想を彷彿させる。この作品が、英語、ドイツ語、ヘブライ語などに訳されれば、大きな反響を呼ぶと思う。
 都築君の父も祖父も商社マンだった。ただし、祖父はもともと南満州鉄道の理事で、戦後、公職追放になった後に商社に勤務することになった。都築君は、父と祖父がどのような仕事をしたかについては、ほとんど知らない。ところが、都築君の夢は、第二次世界大戦前、国際連盟による日本の委任統治領(事実上の植民地)だったパラオ、1980年代の中国やインド、幕末の京都などが舞台となる。
 個々のエピソードに迫真性があるのは、浅田氏がこの作品を準備するにあたって、総合商社の第一線で活躍した人々から詳細な取材をしたからと思う。不祥事で北京の日本大使館に呼び出されたときの状況について、こんな記述がある。〈大使は別件で外出している、というようなことを参事官は言った。つまり、大使はこの案件にかかわるべきではない、という意味さ。背筋が凍ったね。国家間の外交問題に発展しかねない大問題だ、と言っているようなものだ。/国家を代表する特命全権大使は、慎重でなければならない。だから事案が重大で、なおかつ不可測であるときは、「別件で外出」する〉。こういうことは、実際に経験した人から取材しないとわからない。
 明治以降の日本の近代化の過程で、軍隊と総合商社は不可欠の存在だった。第二次世界大戦後、武力によって国際政治に影響力を与えることを断念せざるを得なくなった日本は、経済力のみで生き残らざるを得なくなった。その点からすると、総合商社は、戦後の日本国家そのものだったのである。しかし、戦後は、戦中、戦前と連続している。〈大陸への進出は軍部の独走ではなく、財閥の利権を護るためだったと聞いたことがある。噂ではない。入社して間もないころ、酔っ払った担当役員の口から、まことしやかに聞かされた。世代からするとその役員は、当事者のひとりだったはずだ。/僕らの歴史認識では、戦前と戦後の日本に連続性がない。だがそれは、戦後教育を受けた僕らの錯覚で、べつに日本人がそっくり入れ替わったわけじゃないんだ。/(中略)それが歴史の真相だとすると、辻褄が合うじゃないか。元大本営参謀がのちに総合商社を率いて活躍したことも、元満鉄理事がうちの会社の役員に迎えられたことも。/本質は何ひとつ変わっていない。そう考えたとたん、背筋が凍りついたよ。商社マンとしての僕の不幸は、ミステイクでも不運でもなくて、総合商社という怪物の生理によって必然的にもたらされたのではないか、と思ったんだ。/その仮定が正しいとしよう。/世界大戦まで惹き起こした怪物にとって、人殺しなど朝飯前さ〉
 現在、過激組織「イスラム国」が、欧米やロシアのみならず、日本もテロ攻撃の標的にしている。日本人人質殺害事件によって「イスラム国」の脅威がリアルになった。「目には目を、歯には歯を」ということで、日本人の中に潜んでいた怪物性が目を覚ますかもしれない。自らの姿を等身大で認識したいと考えるすべての日本人にこの本を勧める。

 (さとう・まさる 作家・元外務省主任分析官)

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