書評
2015年3月号掲載
「その日」の覚悟を促す、温かな家族漫画
――小林裕美子『親が倒れた! 桜井さんちの場合』
対象書籍名:『親が倒れた! 桜井さんちの場合』
対象著者:小林裕美子
対象書籍ISBN:978-4-10-339051-0
できることなら、ヤヤコシイ問題はなるべく先送りしたい。
大きな声では言えないけれど、内心、そう思っている人は案外多いのではないだろうか。心の片隅に懸案事項を抱えていても、対峙する勇気が出ない。一度立ち止まり、きちんと考えるべきだと分かっていても、目の前には今やるべきことが山積みで、「まあそのうち」と、つい目を逸らしてしまう。
そうしている間に事態が好転することも、ないわけではないと知っているから、なおさら腰は上がらない。果報は寝て待て。待てば海路の日和あり。言い訳ならすらすらと並べられる私も、もちろん「先送り」派のひとりだ。あらゆる厄介事を逃げの姿勢で受け流し、今日まで生きてきたと言っても過言ではない(威張ってどうする)。
しかし、そんな私でさえも、これはそろそろ向き合う覚悟をしなければ、と思う問題がある。「親の今後」についてだ。
七十九歳の父と七十二歳の母は、例えば偶然街中で会った顔見知りの年長者に「御両親もお変わりなく?」などと訊かれたら「はい、おかげさまで」と応じる程度には元気である。が、気心知れた友人と呑んでいて親の話題になったら、不安と愚痴しか語れないほどには老いてきている。持病もある。入退院も繰り返している。車の運転が危うくなり、物忘れもひどくなった。先日、実家で父親がエアコンのスイッチを入れようとして、テレビのリモコンを向けているのを見た時は、「何してるのー!」と笑いながら、内心、これはいよいよヤバい、と心が冷えた。「その日」は確実に近付いている。
両親の身に、もういつ何が起きてもおかしくはない。「先送り」には限界がある。そこまで解っていても尚、具体的な対処法を考えられず、思い煩うばかりで動けずにいるのも、恐らく私だけではないだろう。
本書『親が倒れた! 桜井さんちの場合』は、そんな漠然とした不安を抱える人々に「最初の一歩」を促すコミックである。描かれる桜井家は、大手企業を定年退職後、年金生活を送る七十三歳の父と、料理上手な専業主婦である七十一歳の母、四十二歳の長女(専業主婦。幼いふたりの子持ち)、三十九歳の長男(会社員。既婚。妻は実母の介護中)、三十七歳の次女(独身。派遣社員)という構成で、三人の子どもたちは既に実家を離れ、両親もまだ若く、健康にも問題はなかった。
ところが、ある日突然、父親が脳梗塞で倒れる。物語はその二週間後から始まり、桜井家の人々は次々と予期せぬ事態に直面していくのだ。
まだようやくベッドから起き上がれるようになった、という段階での病院からの退院宣告。リハビリ病院を経ての自宅介護。半身マヒが残った状態の父親には何かと手がかかり、間もなく認知症も発症。同居していた母親は介護鬱となった挙句、自宅で倒れ救急車で搬送される――。
知識も経験も何の準備もない状態だった桜井家の人々が、事態を乗り越えるべく医師やケアマネージャーから受ける数々のアドバイスは、それだけでも学ぶものは大きい。ヘルパーに頼める物事の範囲や、介護施設の種類やその費用など、大まかにでも知っておくだけで「予習」効果はあるだろう。
けれど、それ以上に、五人の家族それぞれの視点から綴られる心情に、これは決して他人事ではないのだと、ある種の覚悟が芽生えてくる。「両親がいつまでも健康だとは思っていなかったけどもう少し元気でいてほしかった」「生きていてくれることは嬉しいけど生きていることが心の支えどころか今は心の負担になってきてる」「もう、なにが二人にとっていいことなのかわからない」。恐らく自分も同じようなことを思い、同じような罪悪感を抱き、同じように悩むはず。でも、それは誰もが通る道なのだと、心強くなる。
本書はいわゆるエッセイ漫画ではなく、取材に基づいたフィクションだが、お堅い専門書とは異なり、柔らかく温かな絵柄で描かれた漫画という形態が重い気分を中和してくれるのも「はじめの一歩」としては嬉しい。転ばぬ先の杖。備えあれば憂いなし。明日は我が身ではあるけれど、恐れることばかりでもないと教えてくれる、頼もしい入門書だ。
(ふじた・かをり 書評家)