書評

2015年5月号掲載

競馬で食べ繋がれていたとは……

――宮城谷昌光『随想 春夏秋冬』

原田維夫

対象書籍名:『随想 春夏秋冬』
対象著者:宮城谷昌光
対象書籍ISBN:978-4-10-144460-4

 宮城谷昌光さんの「随想 春夏秋冬」が、本に成った。小説新潮誌に連載の際は、私がさし絵を、担当させていただいていた。最初にこのお話しをうかがった時に宮城谷さんのお若い頃から現在までの幅広い年代のお話しに成るだろうから、私の通常の版画タッチより、昭和の香りのする様な、少しレトロな調子にしようと思って出発した。なんとか、昭和っぽいレトロな感じは、出た様な気がしている。この本のカバー、表紙、口絵等に、その版画を一杯使用してくれているのでうれしい!!
 ところで、やはり新潮社の、この「波」誌に以前連載していた「古城の風景」で、宮城谷さんご夫妻とは、よく一泊旅行をご一緒させていただいていた。その旅の途中途中で、宮城谷さんの学生時代のお話しや、ご夫妻のエピソードなどは、お聞きしていた。そこで多分この随想の中には、知っている事が多いだろうと思っていたのだが、どっこい宮城谷さんの新しい一面をたくさん見れて、楽しかった。
 第四回の「冬の見合い」では、見合いの相手をまったくといって良い程知らないお二人が、対面される時、宮城谷さんは、「女性の脚から、知力と生命力がどれほどのものか、読み取る自信があった」と書かれているが、その通りに見合いの席に現われた現奥様の脚を見て、妻になると直感され、めでたく結婚なさった。私が、「お二人の新婚旅行はどちらだったのですか」とお聞きした時のことだ。宮城谷さんは、「京都です、家内が京都が良いと言うので」という返事、するとすかさず奥様が、「見合いで、訳のわからない人と結婚する事になってしまって一度行った事のある京都なら、この人が変な人だったら、逃げて帰れると思ったのヨ」と言われた、奥様も何か可笑しい。
 そんな感じで始められたご夫妻なのに、今では、「夫唱婦随」いや「婦唱夫随」の感じで、素晴らしい。
 よく単純に、苦節何年等々、軽るがるしく言ってしまうが、奥様と宮城谷さんのそれは、すさまじい。宮城谷さんが、作家を志ざされてからの二十数年は、雑誌記者をへて、糊口をしのぐ為に、「みやげ物屋」、第六回「書道」の中にある様に「塾の経営」、「陶器の販売」等々、苦労の連続で、大変な生活を送っていたのだ。
 驚いた事に宮城谷さんは、競馬で、食べ繋がれていた時期もお有りに成る。これには、ビックリ。競馬開催日の土曜日、日曜日に競馬場に行かれ、推理に推理の末に、これはと思われるレースの、複勝の馬券を一点買いして、その翌週中の生活費を捻出するという信じられない生活もされていたらしい。
 これらの苦節の中での勉強ぶり等はこの随想の中で知る事が出来るが、第一回「春の川」や、第十回の「夏姫の怪」のような、不思議な体験もされていて、作家になるには、こんなに苦労と、勉強と、不思議な体験をしないといけないのかと、つくづく驚嘆する。そういえば、第九回「小沼先生のほめことば」の中で、「――人はくやしいから小説を書く。そうではないか。人生にくやしさをおぼえない人が、小説を書けるはずがない」と言われているが、確かに、この永い永い苦節では、くやしくなって当然だ。このくやしさが、第一〇五回直木賞を「夏姫春秋」で、宮城谷さん四十六歳で受賞された時まで続いていたのだと思うと、スゴイ!!
 第十回「夏姫の怪」で語られている恐いエピソードのお蔭でもあるかもしれないが、「夏姫春秋」で、直木賞を受賞され、その作品が、オール讀物誌で掲載される時に、何と、さし絵を描いたのが、実は、私だったのです。
 今から思うと、何かうれしいご縁だった。
 ところで、この永い永い苦節を共に乗り越えて来られた奥様に、やはり、「古城の風景」の旅行中に、聞いた事がある。
「良く、あの永い永いご苦労中をガマンされましたネ……離婚され様とは思わなかったのですか」と。奥様はそれに対して、「そうネ……それはあまり思わなかったワ」と言われた。
 奥様の独特の勘で、宮城谷さんを、それこそ「奇貨居くべし」といつか大成すると確信されていたのではないか、私はそう思う。

 (はらだ・つなお 版画家)

最新の書評

ページの先頭へ