書評・エッセイ

2015年9月号掲載

複合的な視点で見る、美の生命性

金沢百枝『ロマネスク美術革命』

保坂健二朗

対象書籍名:『ロマネスク美術革命』
対象著者:金沢百枝
対象書籍ISBN:978-4-10-603775-7

 本書では擬音が大胆に使われているのだが、極めつきは、これ。「かぽかぽかぽ、ぱかんぱかん、かっぽらかっぽらかっぽら」。ロマネスク美術の傑作《バイユーのタピスリー》で幾頭もの馬が描き分けられていることを説明するために金沢が採取した音である。そうした生き生きとした表現から、明らかに金沢が、刺繍画や写本や教会の実物を、その眼その身体で体験しているとわかる。
 これは大変な話だ。ロマネスクの教会は「なんにもないところ」にあるのがほとんど。続くゴシック期の教会が都市部を中心に建設されたのに対して、新しくできた村につくられたケースが多いのである。そんな「新しい教会」を訪れるべく金沢は旅を重ねてきた。イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ノルウェー……そうして得たのは、「ロマネスク美術こそヨーロッパの美術の歴史のなかで非常におおきな転換点、ほとんど『革命』的な出来事だったのではないか」という確信。
 これは、もっと長い「旅」をしてきた金沢だからこその確信だとも言える。東京に生れ、インドとイギリスで育ち、東京大学で植物学を専攻し博士号を取得するものの美術史に転向、ロンドンに留学、その後再び東京大学で学術博士(Ph.D)を取得して現在に至る。このような経歴がもたらす複合的な視点から、なにかを絶対視することのないスタンスが生まれ、それゆえに、ゴシックやルネサンスとはまた別の価値観を持つロマネスク美術の本質と意義を見出すことができたのだろう。
 それは、なぜ私たちは人がつくったものに対して生命性を感じることがあるのかという問題につながる。平たく言えば、なぜ人は彫刻や図像を見て、かわいいとか怖いといった根源的な感情を覚えることがあるのかということ。ちなみにそうした感情は、崇高のような大きな量を必要とする感覚とは異なり、ささやかな作品でも成立する。
 その最適な例とも言える写本のイニシャル装飾を金沢はこう分析する。「『枠』の外へはみ出しはしないけれど、『枠』の内にちぢこまってもいない。動的平衡によって保たれる生命活動のように、いきいきとした緊張関係を保つがゆえに命ある形態が生み出される。」(ちょっと理系だ)
 こうしたロマネスク的な美は、大量生産が必要となっていくゴシック期には失われていったと金沢は述べるが、この問題は、今日に生きる私たちにも無縁ではない。たとえば現代美術の世界では、個人コレクターの台頭や美術館の競争化に対応するために一種の量産体制がとられ、その結果、ゴシック的な「崇高」が幅を利かせてしまっている。でもだからこそ、工芸やアール・ブリュットなどのような、手づくりであることを感じとれ、かわいい、怖いと素直に感じとれる作品が注目されてもいるのだ。そんな実は動乱期にある今日に、本書のような革新的な書物が登場したのはなんとも心強い限りである。

 (ほさか・けんじろう 東京国立近代美術館主任研究員)

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