書評・エッセイ

2015年10月号掲載

二十年かけて完成させた「会いたかった人」のロングバージョン

――中野翠『いちまき ある家老の娘の物語』

坪内祐三

対象書籍名:『いちまき ある家老の娘の物語』
対象著者:中野翠
対象書籍ISBN:978-4-10-419302-8

 私は中野翠の愛読者であるが、数多い中野さんの著作の中でベスト3を選べば確実に入るのが『会いたかった人』(徳間書店一九九六年)だ。
 内田魯庵や淡島寒月ら中野さんが「会いたかった」二十九人の肖像集だが、中に一人、一般には知られていない人が入っている。
 それは最後に登場する中野みわだ。
 この章を読んだ時私は興奮した。
 やっぱりそうだったのかと思った。
 その五~六年前つまり一九九〇年頃から私は山口昌男先生と一緒に近代日本の「掘り起し」作業を続けていた。
 普通日本の近代化は薩長土肥を中心とする明治新政府(私たちはこれを“勝ち組”と呼んでいた)によって行なわれたと思われているが、精神史的な部分でそれを担ったのは旧幕臣系(“負け組”)なのではないか。しかも“負け組”の人たちの方が“勝ち組”の人たちよりもずっと面白い。
 中野みわというのは中野翠さんの父の祖母すなわち中野さんの曾祖母に当たる人で、中野さんが父親の遺品を整理していたら『大夢(たいむ) 中野みわ自叙伝』と題された小冊子(和紙に筆書き)を見つけ、それをもとに『会いたかった人』の一章を書いたのだ。
 それから約二十年。
 ここにそのフルバージョンが届けられた。
 いやあ、想像通り(それ以上に)面白い。
 山口さんとの研究で“負け組”の幾つかのポイントを知った。
 例えば沼津兵学校。その中心人物は江原素六で彼が東京で創立したのが麻布中学だ。
 それからキリスト教(山中共古や結城無二三)。
 そしてキーパースンである依田学海(佐倉藩出身)。
 中野みわ、すなわち“負け組”の「いちまき」・末裔である中野さんのこの『いちまき』はそれらのことが次々語られる(つまり中野さんが次々と出会って行く)。
 この本の読み所のひとつは中野さん自身が登場することだ。
 それを真似て、書評(本の紹介)という行為からは逸脱してしまうが、私自身も登場させたい。何故なら第四章に登場する「古書マニアの友人」とは私のことで(この「古書マニアの友人」は『会いたかった人』にも登場する)、中野さんの遠戚で書評家「狐」(本名山村修)の兄である山村忠さんと私は中野さんが忠さんに出会う前から会っていたのだから。
 あれは一九九七年秋。私がまだ二冊の著書しか持っていなかった頃だ。当時神奈川県の十日市場町の図書館に勤務していた山村忠さんから私は講演を頼まれた。
 会場で渡された資料を目にして驚いた。その内の一枚は私の年譜で、とても細かいこと(のちに『古くさいぞ私は』にまとめられる文章の一節)が拾われていたからだ(私自身その年譜を見てそうだったそうだったと思った)。
 講演が終わったあと一緒に飲みながら話をしていたら、さらにディープな人であることがわかった。
 私は「狐」の本名が山村であることを知っていたから、もしかして山村さんは? と尋ねたら、自己主張の少ない山村さんはテレながら、ええ、兄なんです、と答えた。
 ところで先ほど山村さん、中野さんの『会いたかった人』を話題にした時、中野さんの遠戚に当たるとおっしゃいましたね。ということは中野さんは「狐」さんとも遠戚の……。
 だから私は中野さんより先に中野さんと「狐」さんの関係を知っていたのだ。
 佐倉藩が自分たちのポイントであると中野さんは言う。
 実は私の父方の祖母のルーツも佐倉藩で、手塚律蔵(瀬脇節蔵)というその人は中野さんの好きな『学海日録』にも頻繁に登場する。
 中野さんと私の気が合うわけがわかったけれど、ひとつだけ残念なのは、この本を山口昌男先生に読ませてあげられなかったことだ。いやきっと、向こうの世界で大興奮していることだろう。

 (つぼうち・ゆうぞう 評論家)

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