書評

2015年11月号掲載

硬化した大人心を打ち砕く世界

――彩坂美月『僕らの世界が終わる頃』

藤田香織

対象書籍名:『僕らの世界が終わる頃』
対象著者:彩坂美月
対象書籍ISBN:978-4-10-180121-6

 年齢を重ねると共に、冒険しなくなった、と感じる。自転車を走らせ、知らない子にも臆さず話しかけ「自分地図」を日々広げていった子どもの頃のような昂揚感とはすっかりご無沙汰な日々である。広い世界を知りたい、という好奇心より、今日の平穏と心の安定が勝る。それはきっと「世界」の怖さを知ってしまったからだ。見知らぬ場所に踏み出したり、先送りしている物事と対峙し傷を負うくらいなら、可能な限り現状を維持したいと思うのは、大人の防衛術だ。
 でも、だけど。本当にそれでいいのか、と迷う気持ちもあるのはまた事実。これからずっと、このままでいいのか。いや、このまま生きていけるのか。本書は、そんな硬化しつつある大人心を打ち砕く物語である。
 主人公となる十四歳の工藤渉は、一年前、学校で起きたある事件がきっかけで不登校となり、両親と暮らす家の自室で引きこもり同然の暮らしを続けている。閉ざされた世界に生きる渉にとって、唯一救いとなっていたのは、漫画や小説といった虚構の世界。貪るように物語を読むことで、渇いた心をどうにか保ち続けていた。しかし、ある日、現役高校生が書いたライトノベルの新人賞受賞作を読んだことから、渉は自らも世界の創造主となる道へと歩みだしていく。
 こんな物語を書きたいと感銘を受け、憧れを抱いたのではない。心にあったのはむしろ反発。これくらいの小説なら自分にも書けるのではないか、と思い立ったのだ。
 躊躇(ためら)いつつ渉が綴り始めたのは〈美少女キャラクターたちが猟奇的な事件に巻きこまれる話〉。舞台には、自分の暮らす町や学校を、表記を変えモデルにした。キャラクター造形に悩み、思いついたアイデアに興奮し、迷いながらもパソコンのキーを叩くうち、次第に渉は物語の中に引きこまれていく。〈物語を書くというのは、世界を構築する行為だ〉。書き進めていく過程でこの小説を誰かに読んで欲しい、という欲求が芽生え『モバイルシティ』というノベルサイトに参加することも決意。書き上げたところまで作品を公開し、多くの作品の中から読者の関心を誘うための惹句も工夫した。
 作品タイトルは『ルール・オブ・ルール』、作者名は「匿名少年」とつけた。
 のめりこむように執筆を続け、小まめに更新を重ねた結果、『ルール・オブ・ルール』の閲覧数は増え続け、ついにランキング一位に躍り出る。だが、同時に悪意めいたコメントも増え、〈『ルール・オブ・ルール』の連載を中止しろ。さもなくば、作者の身の安全は保証できない〉というメッセージが届くなど、渉の周囲には不穏な空気がたちこめていった。
 さらにほどなく、渉がUPした小説のシーンとそっくりな事件が発生。小説は犯行予告だったのでは、犯人は「匿名少年」なのでは、とネットで話題になり、実際に身の危険を感じる事態にも直面し、渉は執筆を中断する。
 これは偶然なのか。そうでないのなら、いったい誰が何のために? 想像だにしていなかった展開に苦悩する渉の頭の中には、怖ろしい考えも過る。そもそもそんな「犯人」は本当に存在するのか。実は、現実と妄想の区別がつかなくなった自分の犯行なのではないか――。さらに、それほどまでに追いつめられた渉をあざ笑うかのように、執筆を中断していた小説の続きが、「なりすまし」によってUPされ、再びその内容を模した事件が起きてしまう。
 この主軸となる一連の展開だけでも刺激的かつ充分に魅惑的なのだが、そこに一年前に起きた渉が不登校になるきっかけとなった事件や、家族や友人たちとの関係性ががっつり絡み、ぐっと胸をつかれる描写や台詞は数えきれない。
 〇九年に富士見ヤングミステリー大賞の準入選となった『未成年儀式』でデビューしたこともあり、若い読者からの支持を集めてきた著者だが、本書は十四歳という主人公の年齢にかかわらず、自分の世界で守りに入りつつある年配者の胸をも熱くする。ああ、そうだった。現実はいつだって厳しくて世知辛くて、逃避するのは簡単で、楽しくて。だけど、本当に逃げ切れるわけじゃないのだ、と。目を逸らし続けていた扉を開く覚悟と勇気を、いくつになっても持ち続けていたい、と。

 (ふじた・かをり 書評家)

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