書評

2016年1月号掲載

凜々しくてリリシズムあふれる連中

――増田晶文『エデュケーション』

増田晶文

対象書籍名:『エデュケーション』
対象著者:増田晶文
対象書籍ISBN:978-4-10-339741-0

 口もとをキリリと結ぼうにも、よろこびとテレがないまぜになり、私はつい頬をゆるめてしまう。
 新刊本は、わが子と同じ。新しい制服、ぴかぴかのランドセル――こやつも妙にきまじめな顔つきで、もじもじしている。"父親"とおなじく、うれしくて仕方がないようだ。
『エデュケーション』は私にとって十三冊目の単行本になる。小説としては二冊目。前作『ジョーの夢』から、三年ぶりというロングスパン、書いているほうは勝手に七転八倒していたのだけれど、当の"息子"はさぞや呆れていたことだろう。
「僕、いつになったら本屋さんに並ぶの?」
 ごめん、ごめん。待たせてすまなかった。
 この小説は、日本の教育を自分たちで変えたいと願う若者たちを描いている。就活をとおして、人生と向きあわざるを得なかった大学生の高堂友杜は、心に秘めていた夢を語る。
「いまの教育じゃ何も生まれない。この国に必要なのは、子どもの可能性をみつけて、引っぱりあげ、伸ばしていく理想の小学校。それを僕らの力でこしらえよう!」
 それこそが、エデュケーション。
 塩顔でやさし気な友杜の呼びかけに、親友でコワモテ武道家の東山荘太や女子大生の梢美咲、数字に強い嘉村浩樹、派手好きな勝田大輔、現役教師の岸岡恒彦ら仲間が集う。ほかにも、個性たっぷりな面々がエデュケーションに絡んでくる。
 だが、現実は厳しい。用地確保から学校法人申請、なにより資金の問題はシビアだ。ようやくみつけた、東京郊外の廃校跡を手に入れるには四億円が必要になる。
「こんな大金を僕らだけで用意するのか」
 それでも友杜たちは奔走をやめない。夢を情熱の原動力とする彼ら。しかし、金策だけでなく試練が次々と襲ってくる。世間の「若さ」に対する軽視、恋愛問題、挫折や裏切りばかりか黒い策謀まで。だけど若者たちはあきらめない。
「最期は、前のめりになって果てよう」
 とんでもなく熱い若者たちを主軸に、学校をかぶせていく。そんなアイディアをずっとあたためてきた。前述した十二冊には大学の在り方、中学受験を描いた著作がある。創立間もない同志社小学校を何度か訪ねたこともあった。社会派とはほど遠い物書きだけど、それでも私なりのやり方で学校や教師をテーマにしてみたかった。
 そうこうするうち、『ジョーの夢』で日本初の私立大学設立のために命を賭した新島襄を描き、『エデュケーション』の素地はほぼ固まった。といえば聞こえはいいけれど......真相を告白すれば、本作を書き始めていながら新島の半生記を先に完成させてしまった。担当編集者が呆れかえったのも無理はない。本来なら『エデュケーション』は私にとって小説デビュー作だったのだ。
 それにしても――小学生で「作家になる」と宣言したくせ、道草を食ってばかり。知命をすぎ、「いまのままでいいのか?」という自問の声が強くなる。やっぱり、幼い頃からの夢を追いかけよう。「ええオッサンが、なんちゅう青臭いことを」と嗤われそうだが、当の本人はいたって真剣だった。
 ペンをとりながら、つくづく悟った。これまで小説を書かなかったのではなく、書けなかったのだと。執筆は日本酒づくりとよく似ている。テーマに沿ってストーリーを展開しながら、並行して人生経験も発酵させ人物を彩っていく。
 若くして世に出る作家もいるが私はタイプが違う。文筆の世界での二十余年どころか、生きてきた歳月を醸(かも)すことで、物語を紡ぐ。学校の思い出だけでも黄金時代だった小学校、暗黒の中高六年間、自由を謳歌した大学と苦楽さまざま。
 トーベ・ヤンソンが創作したムーミンとスナフキンの友情、エーリッヒ・ケストナーによる『飛ぶ教室』の感動、そして北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』に憧れた読書体験......それらの影響は大きい。いままでに出逢った人々(ケタクソの悪い連中も含め)をもしっかり滋養に取り込めた。
 夢と理想、友情そして突破。本作に登場する若者たちは、凜々しくてリリシズムあふれる連中だ。寒い季節、彼らの熱すぎるハートとアクションで温まっていただきたい。
 いよいよ『エデュケーション』は世に出ていく。"息子"が立ち止まって振りかえったのを、私は目顔で激励する。
 ヤツは小さくうなずくと、勢いよく駈け出していった。

 (ますだ・まさふみ 作家)

最新の書評

ページの先頭へ