書評
2016年2月号掲載
ヒット曲が生まれなくなった理由
宇野維正『1998年の宇多田ヒカル』
対象書籍名:『1998年の宇多田ヒカル』
対象著者:宇野維正
対象書籍ISBN:978-4-10-610650-7
昨年大晦日に放送されたNHK紅白歌合戦の視聴率は、歴代最低記録を更新したという。それはそうだろう。「誰もが口ずさめるようなヒット曲が生まれなくなった」と言われるようになって久しいが、2015年は本当にヒット曲がほとんど生まれなかった一年だった。数年前から懐メロ番組と化している紅白歌合戦は、「その年にヒットした曲で一年を振り返る」という当初の番組コンセプトをその根底から見直す時期に入っている。
CDの売り上げが低迷する中、音楽業界はジャケット違いの作品を出したり、握手券をつけたりと、ファンに同じ作品を複数枚買わせるための特典商法に走った。その結果どうなったか? CDの売り上げをベースにしたヒットチャートが完全に有名無実のものとなり、(音楽業界人以外は)誰も気にかけることがなくなってしまった。他の文化ジャンルとは違って、音楽におけるヒットチャートはただの「数字の集計」ではなく、大衆にとって「指針」そのものだった。音楽業界はそれを自らの手でゴミ箱に捨ててしまったのだ。
よりリスナーの実態に近い配信チャート(もちろんそこでは一人が一回ダウンロードするだけだ)において、2015年の年間チャートのトップ3は2014年以前にリリースされた曲。さらに、「誰もが口ずさめるヒット曲」をそのまま反映したカラオケ年間チャートでは実に上位13位(!)までが2014年以前にリリースされた曲だった。
『1998年の宇多田ヒカル』という書名は、その年に彼女がデビューしたことを示すものだが、二つの象徴となる言葉を組み合わせたものでもある。「1998年」は日本で最もCDが売れていた年(約四億五千万枚。現在の約三倍)。「宇多田ヒカル」は日本で最も多くのCDを売ったアーティスト(『First Love』は国内だけで約八五〇万枚)。結果的に、本書はCDのマーケットが、そして音楽シーン全体が、まだ万全に機能していた時代へのレクイエムのような本となった。
もっとも、これは「あの時代は良かったなぁ」と懐古的に振り返ったような本ではない。1998年、自分は当時最も売れていた音楽雑誌(ロッキング・オン・ジャパン)を刊行する出版社で編集の仕事をしていて、CDがアホみたいに売れるのを当たり前のように思っていた。しかし、今になって思えば、あれは「狂乱の時代」だったのだ。本書は、その「狂乱の時代」の最盛期である1998年に奇跡のように揃ってデビューした宇多田ヒカル、椎名林檎、aiko、浜崎あゆみという四人の女性シンガーの足跡、転換点、及びそれぞれの関係性を探ることで、どうして彼女たちが今なお(崩壊寸前の)音楽シーンの最前線に踏みとどまり続けているのかを検証したものだ。
音楽業界の軸が「CDのセールス」ではなくなることが決定的となった、そして宇多田ヒカルが6年ぶりに復活するはずの、2016年という絶好のタイミングで本書を上梓できたことに感謝している。
(うの・これまさ 音楽・映画ジャーナリスト)