書評
2016年3月号掲載
『軽薄』刊行記念特集
暗い熱水の底
――金原ひとみ『軽薄』
対象書籍名:『軽薄』
対象著者:金原ひとみ
対象書籍ISBN:978-4-10-131334-4
天からは陽光が降り注ぎ地面からは清水が湧き、そのように神が仕組んだとおりに、緑が生い茂り生命が溢れる地表。けれど、神が用意した穏やかな世界には棲めなくて、酸素も乏しい深海の、暗い熱水の底でしか生きられない生きものもいる。そのような存在もまた神の創造だろうか。
金原ひとみさんの作品を読むたび、誰よりも光を求めながら、けれど性の引力と愛の欠落感ゆえ、暗い熱水の底に落ちていき、そこでようやく呼吸が出来る人たちに出会う。自分が安住することのできない平穏な地表世界を、呪うのでも憎むのでもなく、ひたすら凝視する作者の眼差しを、溜息とともに怖いとも美しいとも思う。
血の繋がった男女の性愛は、背徳というより禁忌である。けれど背徳も禁忌も、地表世界のモラルに照らした言葉。背かねばならぬ徳が存在し、それゆえ忌み禁じられる領域も在る世界のはなし。
海底の別世界には別のモラルがある。男女にとって何がもっとも必要か、生きて行くための最後の希望とは何か。
どうやら万死あるだけの熱水と酸欠の場でしか、命を燃やすことが出来ず、そこでしか生の実感を得られない男女も居るのだと、作者は切実に、傲慢に、素直な高揚をぶつけて書いている。
主人公は三〇歳の女性で、一五歳年上の経済力ある夫との間に、男の子を成している。仕事にも恵まれている。高級マンションに住み、ベビーシッターを雇って育児と仕事を両立させている。子供はかわいいし、これ以上望めない暮らし。
けれど骨身に届く何かが欠けていた。
エロスに導かれる幸福な悲劇が進行する根底には、過去において異常な執着に縛られた、骨身に届く痛みや恐怖の記憶がある。高校時代に同棲していた男は、彼女を束縛し束縛もされたあげく、離反に耐えきれずストーカーとなり、ついに彼女の背中に刃物を突き立てた。
忘れたい記憶は、しかし彼女の身体にひそかに毒を埋め込んでいたらしく、その毒の作用か、平穏な暮らしの中に舞い込んできた、一見柔和な一九歳の大学生の、強引な性愛にのめり込んで行く。一〇歳年下のこの青年も、実は同じような執着性向を隠しもっていて、アメリカで女性教師を殺しかけた過去があり、逃げるように帰国したのだった。しかも彼は歳の離れた姉の一人息子で、血の繋がった甥である。生まれたばかりの赤ん坊の甥を一〇歳の自分が見た記憶があり、この記憶は、自分が産んだ息子への気持ちにも重ねられている。息子であっても異性として認識するタブーを、作者はあっさりと乗り越えている。
その実態を説明する場面は、軽やかで衝撃的だ。彼女の誕生パーティに集まってきた姉夫婦とその息子、自分たち夫婦と幼い息子、つまり二家族六人を見て彼女は気づく。
「私がこの中の二人の男とセックスをした事があり、一人を膣から生み出した......そして姉と私は同じ膣を通って生まれてきた......」
いつもながら作者は、インモラルの臨界点を超えてくる。臨界点を超えたところにも、破壊的な命の燃焼が可能なのだと、訴えてくる。
そのような燃焼熱でしか生きる実感が得られないという、轟々たる哀しみを伝えてくるのだが、その動力は性だ。性の快楽は、インモラルの臨界点を超えるだけの力があるかどうか。それが勝負になる。だから作者は、全精力を傾注して、快楽の深さを描く。性交を通じて、人の奥深いところに眠る本性に手を伸ばす。
しかし快楽を深めれば深めるほど、愛からは遠ざかる。彼女はストーカーとなった男にも、夫にも、そして性愛にふける甥に対しても、愛を感じていない。自分は誰も愛していない、と思っている。寒々とした自己憐憫は、彼女をさらに性愛へと駆り立てる。
「愛」とは何か。それを追い求める小説でもある。さて、見つかるだろうか。
彼女は夫を捨てて、甥とともに地表の恵まれた世界から逃げ出すことを考える。世間から見れば異常でしかない、深くて暗い熱水の底で、これが「愛」だと思えるものを掴めるのだろうか。
小説のエッジぎりぎりを疾駆する作者が、転げ落ちそうで落ちないのは、鋭敏な身体感覚でもって、我々地表世界と繋がっているからなのだ。
(たかぎ・のぶこ 作家)