書評
2016年6月号掲載
『罪の終わり』刊行記念特集
救世主はなぜ求められるのか
対象書籍名:『罪の終わり』
対象著者:東山彰良
対象書籍ISBN:978-4-10-120153-5
直木賞を受賞し、一大センセーションを巻き起こした青春小説『流』の出版から一年。東山彰良の待望の書き下ろし新作長編『罪の終わり』が刊行された。前掲の著者インタビューでも語られているとおり、本書は、文明崩壊後の世界を描く超弩級の大傑作『ブラックライダー』(新潮文庫)の前日譚。『罪の終わり』は、それよりも百年ほど前、西暦二一七三年に起きた大災害の前後数年間が背景になる。
物語はまったく独立しているというか、そもそも『ブラックライダー』より前の話なので、前作を未読でもなんの問題もない。むしろ、本書から先に読んだ方が、このシリーズの終末世界に入って行きやすいかもしれない。
あらためて紹介すると、本書の主役は、『ブラックライダー』の中で伝説の黒騎士として語られていた神話的な人物、ナサニエル・ヘイレン。『罪の終わり』は、ナサニエルの没後十数年を経た二一九〇年代に出版された伝記的ノンフィクションという、枠物語の体裁をとる。
著者の"わたし"ことネイサン・バラードは、台湾人の父とラオス人の母の間に生まれ、ニュージャージー州の養父母のもとで育った米国人。六・一六後に勢力をのばした白聖書派教会の"スカウトマン"(暗殺の標的を探し出して、殺し屋である"白騎士"に伝える)として、ナサニエルを追う立場だったネイサンは、彼の死に関わったのち、残されたさまざまな記録と関係者の証言をもとにナサニエルの生い立ちを調べ、その少年時代から語り起こし、破滅後の世界で、彼がいかにして"食人の神"とも言われる新たな救世主となったかを解き明かしてゆく。
......などと説明するとなんだかややこしい話のようだが、導入はみずみずしい少年小説。十五歳のナサニエルが、湖の近くで拾ったバイクをなんとか甦らせようとして、中古エンジンをもらうため、片道八十キロの道のりをはるばる自転車(荷車つき)で旅するエピソードから、物語の世界にぐいぐい引き込まれる。
これは二一六八年の出来事なので、人工眼球を装着することで脳の潜在能力を引き出すVB手術とか、ネット経由でライフログを共有できるスピークアップとか、未来的なガジェットはいくつか導入されているものの、基本的には現代の延長上にある。
だが、二一七三年六月十六日、ナイチンゲール小惑星が地球に衝突し、世界は一変する。この大災害によって、巻き上げられた粉塵が太陽光をさえぎり、地球全体が急速に寒冷化し、世界人口は激減。現代文明はもろくも崩壊する。
北米大陸では、東部政府が統治する一画がかろうじて秩序を維持していたものの、その外側では、生きるために人が人を喰う、この世の地獄が到来した。
ある罪を犯してシンシン刑務所に収容されていたナサニエル・ヘイレンは、食人の罪が広がる荒野を旅しながら、やがて、破滅後の世界に降臨した新時代のキリストとして神格化されてゆくことになる。
最愛の妻を失った語り手のネイサンは、ナサニエルの足跡をたどる過程で、「神々は人間の涙から生まれたのである。人間は、自分たちの慰めに神話を創った」(イヴ・ボンヌフォワ編『世界神話大事典』)という言葉を引きつつ、救世主誕生の必然性を分析する。つまり本書は、神話がなぜ必要なのかを解き明かすと同時に、困難な時代にあってこそ物語が求められることを、二十二世紀のアメリカ大陸に託して書いた小説だとも言える。
といっても、べつだんしかつめらしい小説ではない。旧世界で二十七人を殺害して食べた食人鬼にして、男性と女性の人格を併せ持つ怪人ダニー・レヴンワースはじめ、脇役陣もそれぞれ強烈で、飽きさせない。最後に場をさらうのは、まるで神の御使いのような活躍を見せる三本足のシェパード、カールハインツ。犬好きなら感涙必至の名場面が用意されているのでお見逃しなく。そして、本書を気に入った人は、(もしまだだったら)『ブラックライダー』をぜひ手にとってください。
(おおもり・のぞみ 書評家)