書評

2017年2月号掲載

笑顔と、その裏にあるものが胸に残る

――生馬直樹『夏をなくした少年たち』

吉田伸子

対象書籍名:『夏をなくした少年たち』
対象著者:生馬直樹
対象書籍ISBN:978-4-10-101481-4

 本書は第3回新潮ミステリー大賞受賞作である。本作に最高点を付けた選考委員の貴志祐介氏は、選評で書いている。
「本作を凡百の類似作から隔てているのは、登場する少年たちの心理や生活が実に生き生きと描かれていることだろう」
 そうなのだ、本書を読み終わった今でも、本書の少年たち――拓海(たくみ)、啓(けい)、雪丸(ゆきまる)、国実(くにみ)――の姿が浮かんでくる。彼らの笑顔と、その笑顔の裏にあるものも含めて、それでもきらきらと輝いて、胸に残るのだ。
 物語は、東京で刑事となった主人公が、遺体安置所で一人の男の遺体と対面する場面から始まる。殺された男は主人公の幼馴染で、約二十年ぶりの再会だった。主人公は思う。
 ――そうか。結局、死んだのか。
 ここから場面は一気に主人公の小学生時代に遡る。新潟の燕市のはずれ、「真新しいコンビニ、背脂ラーメンの人気店、サービスのいいガソリンスタンドが国道沿いに等間隔で並んで」いる、田舎町。その町に暮らす小学六年生で、本書の主人公である梨木(なしき)拓海は、近所に住む紀本(きもと)啓とともに、学年の問題児、榊(さかき)雪丸の"お目付役"を担任から任されていた。クラスにはもう一人、三田村(みたむら)国実がいて、拓海たちはこの四人で一つのチームだった。
 国実には「チーのにーたん、世界一」が口癖の、四歳になる妹・智里(ちさと)がいた。幼い智里は、学校以外ではほとんど国実と一緒で、しかも少しでも国実が視界から消えると大泣きをするため、拓海たちは持て余し気味であり、とりわけ雪丸は露骨に智里を邪魔者扱いにしていた。
 本書の肝は、何よりも拓海たちの年齢設定にある。小学六年生、年齢にすれば十一、二歳か。早い子は第二次性徴が始まっている頃で、心身ともに大人の入り口にいる時期でもある。精神年齢の高い子と、そうでない子の差が出始める頃でもあり、これが女児のグループならば、お互いに牽制しあって早く子どもっぽさから抜け出そうとするところなのだが、男児の場合は、そういう牽制しあう感じはなくて、子どもっぽさに対する寛容さ――「しょーがねーなー」とは口にするものの、排除はしない――が、彼らの間にはあるのだ。
 本書で言うなら、啓がもっとも精神年齢が高く、次いで拓海。国実は普通で、雪丸が一番精神年齢が低い。雪丸は、その幼稚性と肥満体、そして問題行動によって"悪目立ち"していたのだ。そんな雪丸とは正反対に、啓はずば抜けた運動能力とその容姿で目立っていた。そんな拓海たち四人のチームは「目立つ側」だったのである。
 とはいえ、拓海たちチーム内にも鬱屈はある。雪丸は、母親がヤクザの男と出奔したため、父親と祖母との三人暮らしだし、啓は啓で、愛人を囲っている父親にも、それを知りつつ浪費を重ねる母親にもうんざりしている。拓海は、啓が自分より遥かに大人であることに不安を感じているし、国実は国実で、雪丸が智里に向ける敵意をかわすのに必死だ。
 そんな四人の他に、もう一人、本書の鍵となるのが、彼らの二つ上の先輩、東堂聖剣(とうどうせいけん)だ。並外れた巨体と巨顔、地区の外れの年季の入った集合住宅に両親と暮らす聖剣は、拓海たちの目からも、"壊れた"少年だった。その聖剣が、何故か啓に敵意を向けてくるのだが、啓は身に覚えがない。閉鎖的な田舎にあって、ただでさえ弾き出されていた聖剣だったが、夏休みに拓海たちが通う小学校のプールを囲う檜に放火したことで補導され、そのことが決定的になってしまう。その時点で、聖剣と拓海たちの時間は、もう交わらなくなるはずだったのだが――。
 夏休みの一夜、隣町での花火大会。その夜を境に、拓海たちは決定的に変わってしまう。本書のタイトルの「夏」は、この時の夏なのだ。花火大会の夜、何があったのか。そして、何故、彼らがその夏を失くしてしまったのか、は実際に本書を読まれたい。その夜から冒頭の場面、さらには、その殺人の謎までが明かされる第二部は、読み進めるのが切なくなる。それを救っているのは、作者の、人間に対する信頼である。拓海を、啓を、雪丸を、国実を、そして聖剣を、作者は信頼しているのだ。そこが素晴らしい。アンダーなトーンで語られる本書の読後感が柔らかいのは、それ故である。

 (よしだ・のぶこ 書評家)

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