書評
2017年3月号掲載
人間が生きる意味
『縫わんばならん』古川真人
対象書籍名:『縫わんばならん』
対象著者:古川真人
対象書籍ISBN:978-4-10-350741-3
小説家であるために必要かつ重要な能力のひとつに、他者を自分の内に招き入れる力がある。それは、単に「耳が良い」ということではない。招き入れ、命を吹き込み、作品世界の中で個として生かし、活かす。デビュー作で、その能力に長けていることを証明したのが、古川真人だ。
長崎県の島で生まれ育った老女。『縫わんばならん』は、八十四歳の敬子を視点人物にした章からはじまる。結婚して十年足らずで夫を亡くし、小さな店を営みながら、末っ子の美穂を兄夫婦のもとに養子に出した経緯はあるが、三人の子供を産み育てた。そんな敬子が、夜の九時に問屋からの電話に応え、寝支度をし、今は無人となってしまった実家の屋根に穴があいてしまったことを美穂に伝えなきゃと気に病みながら、すぐに覚めてしまう浅い眠りがもたらす夢と思い出の間を、ゆるゆると往還する。
たった一夜の中で、子供の頃から今へと至る長い時間を描き、懐中電灯を枕元に用意するといった老人の行動ひとつひとつの描写をあだやおろそかにしない。二十八歳の作家が、敬子という老人/他者を作品世界の中に生かし、活かそうとする一行一行の積み重ね、そのすべてが驚異だし、スリリングなのだ。
〈かあちゃん、ケイコシュウ、ケイコ婆......〉という呼称に〈縫いつけられてしもうたったい〉と娘時代の喪失を振り返り、〈ほんに早かよ、そうたい、暇んなかったとたい〉と繰り返し思う半生。そんな島の生活に"縫いつけられた"敬子とは逆に、島から出て転居を繰り返し、大阪で伴侶を得た妹の多津子を視点人物にした第二章を経て、兄嫁の佐恵子の通夜に一族が集まる第三章へと至るこの物語は、吉川家という一族に流れた明治生まれの文五郎から玄孫世代へと至る約一三〇年間を、その真ん中に位置する世代の三人の老女を要に描いている。
屋根に穴が空いてしまった吉川の家のように、〈ほどかれてしもうた〉佐恵子と、これからほどかれるであろう敬子や多津子。親戚一同が賑やかに語り合い、大勢の声が響き渡るポリフォニックな第三章で、佐恵子の孫の稔が、こうして故人の思い出話に花を咲かせることが、〈こちら側に生き、また生きていかねばならない〉血を受け継いだ自分たちの務めだということに思い至り、〈婆ちゃんはほどかれてしまった、また縫わんばならん、綴じ合わせんばならん〉と決意する一連の流れが見事。敬子をはじめとする老人だけではなく、さまざまな世代の登場人物を招き入れ、人間が生きる意味を鮮やかに立ち上がらせたのが、まだ若い作家だということに改めて敬服しないではいられない。古川真人。その未来に期待する。しないではいられない。
(とよざき・ゆみ 書評家)