書評・エッセイ

2017年4月号掲載

多和田葉子『百年の散歩』刊行記念特集

『百年の散歩』をめぐる散歩

谷口幸代

対象書籍名:『百年の散歩』
対象著者:多和田葉子
対象書籍ISBN:978-4-10-125582-8

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「カント通り」を読んで、どうしてもカント通りに行きたくなった。多和田文学を読む楽しみはいろいろあるが、描かれた場所が実在する場合にそこを実際に歩いてみることは、作品を読むことを通して疑似的に旅をすることと同じように楽しい。「カント通り」に続いて、歴史上の人物の名前がついたベルリンの通りや広場を描く連作小説が『新潮』に発表されるにつれて、私の中で舞台探訪への思いは一層強まっていった。結局、完結を待てずに一昨年の夏と昨年の夏に作中の「わたし」の足跡を追いかけることにした。地図の代わりに、『百年の散歩』という魅力的な書籍タイトルがつけられる前の作品を手に。
 まず「カント通り」に登場する「黒い喫茶店」をめざす。出発はツォーロギッシャー・ガルテン駅から。通称ツォー(Zoo)駅は『雪の練習生』の白熊のクヌートがいた動物園の最寄り駅で、駅名にOの文字が並ぶ。硬化した状態を攪乱するエネルギーの噴出口としてOの文字を描いてきた多和田文学の最新作の舞台を訪れるスタートにふさわしい。
 駅から動物園とは逆方向に向かうと、カント通りに出る。しばらく歩くと、看板と窓に鸚鵡の電飾のある店に着く。創業は一九七八年、反体制芸術に由来するらしい店名はシュバルツェス・カフェ。「黒い喫茶店」とはその直訳だ。「わたし」は「黒い奇異茶店で、喫茶店で」と、ドイツ語と日本語の意味と音を反響させ、「あの人」を待つ空間を奇異で刺激的な言語遊戯の場へ変身させたのだ。この店には中庭や二階にも席があるが、私は「わたし」を真似て煉瓦の壁に囲まれた一階の席に座り、掲載号を開いた。シュバルツェス・カフェが描かれた小説をこっそりその店で読む。ささやかな秘密を抱えた読書に心が躍る。
 店を出て再びカント通りを歩く。「わたし」のいう、家具を扱う会社の、「夕空を覆い尽くす巨大なビルの透明な青いガラスに翼を広げた文字」とは何だろうと思い、空を見上げながらツォー駅の方向に戻っていくと、ウーラント通りと交差する角に立つビルの看板が目に飛び込んでくる。丸みを帯びた赤い文字の連なりは stilwerk だ!
 stilwerk という社名を「文体作業」と訳す「わたし」は、ベルリンの様々な通りや広場で出会うものを次々に翻訳していく。「わたし」によれば、移民とは「大人になっても毎日、手帳に新しく発見した単語を書き記し、語彙を増やしていく人」であり、その中には「もうどんな国民言語にも属さない単語も出てくるかもしれない」という。
 フランツ・ヘッセルは Spazieren in Berlin(ベルリン散歩)で、"Flanieren ist eine Art Lektüre der Straße"(ぶらぶら歩くことは通りの一種の読解である)と規定したが、それから約九十年後のベルリンを散歩する「わたし」は新鮮な言語感覚と翻訳観で文体作業に従事する存在のように思えてくる。「わたし」が世界都市ベルリンをめぐって作り出す文体は、歴史と記憶、難民から捕鯨まで今日的な諸問題を風景の中に想起させる。とすれば、この連作小説を携えてベルリンを歩くのは、小説世界の内と外を往還しながら現代の遊歩者、すなわち都市の翻訳者の思索の軌跡を追いかける読書行為となるだろうか。
 カント通り散策の後も、私は「わたし」に導かれて旧東西ベルリンを歩いた。たとえばプーシキン並木通りの記念公園でソ連軍の戦没者慰霊碑を見て、マルティン・ルター通りで Taekwon-Do の道場を覗いた。ローザ・ルクセンブルクの言葉が刻まれた道を歩き、レネー・シンテニス広場のベンチに座り、広場前の郵便局から手紙を出した。
 そんな私に思いがけないプレゼントが届いた。多和田さんから連作の最終回の取材に同行しないかとお誘いがあったのだ。待ち合わせ場所はマヤコフスキーリング! 発表前の小説の舞台を作者その人と訪れるという稀有な体験である。石畳の道を歩き、ポーランド学術アカデミーの歴史研究所やレストラン・マヤコフスキーの跡地等をめぐるにつれ、虚構と現実の境界が溶け出し、読み終える前の小説の中に迷い込んでいくようだった。

 (たにぐち・さちよ 日本文学研究)

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