インタビュー

2017年5月号掲載

『BUTTER(バター)』刊行記念インタビュー

複雑な味の、美味しい小説

柚木麻子

30代の女性記者・里佳は、結婚詐欺の末、男性三人を殺害したとされる容疑者・梶井真奈子(カジマナ)への取材を重ねるうちに、次第にその言動に翻弄されるようになっていく――
著者の新境地を開く最新長編がついに刊行。作品にかけた思いを聞いた。

対象書籍名:『BUTTER』
対象著者:柚木麻子
対象書籍ISBN:978-4-10-120243-3

――小説新潮で連載をお願いしていた『BUTTER』が、ついに単行本になりました。タイトルはどこから発想されたのでしょうか?

 ちょうどこのお話を書き始めた二〇一四年の末頃に、バター不足がニュースになっていたんですよ。私はお料理が好きなんですが、料理、特に正統派のフレンチには大量のバターが不可欠です。ちょうどクリスマスにブッシュ・ド・ノエルを作ろうと思ったら店頭にバターがなくて、なんで牛乳はあるのにバターがないんだろう、とふとした疑問が湧きました。

 バターについて考えていたときにふと思い出したのが、『ちびくろ・さんぼ』という絵本のことでした。あのお話では、虎たちがぐるぐるまわって溶けてバターになってしまうんですが、最終的にはそのバターを、さんぼとその家族が美味しく食べてしまう。虎がバターになったのは一体誰が悪いのか、さんぼ一家は残酷なのか。小さい頃、少し気になっていたことが、今になって大きな疑問になりました。

――この作品は、二〇〇九年に発覚した首都圏連続不審死事件(四月十四日、木嶋佳苗被告の死刑が確定)が重要なモチーフになっています。事件に興味を持たれたきっかけはなんでしょうか。

 いろいろありますが、最初は、料理教室からだったと思います。事件のルポを読んで、容疑者と同じ料理教室に通っていた女性たち、そしてその料理教室が、偏見の目にさらされているように思いました。選ばれたセレブの集まりとか、容疑者にとって場違いなキラキラした人種、とか。

 でも、あの料理教室はプロを育てる本格的な講座で、実際は興味本位で気軽に通えるようなものじゃないんです。それに、料理好きな人は大人しくて家庭的で優しくて、みたいに言われますが、むしろチャレンジャーで探究心溢れる人のほうが多いのではと私は常々思っているんです。この小説の取材のために別の料理教室に通って改めて痛感したんですが、本格的な料理は体力も気力も必要で、すごく大変。キッチンで巨大な海老と格闘し捌いていく様は、世間の「家庭的」なイメージとはかけ離れているはずです。

 そういう料理好きに対する偏見がある一方で、料理が苦手な女性に世間は厳しい。料理ができない妻や母なんて言語道断だと言われたり、女子会できゃっきゃとグルメを楽しむことすら眉を顰められたりする。びっくりするほど要求が高いなと思います。

――作中では、女性たちの様々な葛藤が描かれています。

 女の人に対する不自由な言説って、他にもすごくいっぱいあると思うんです。太っているのは論外だけど、痩せすぎているのもダメ、ファッショニスタすぎるのもダメ、とか......。仕事を頑張りご飯もちゃんと作って子育てまでしていても、世の中にはそれらをすべて信じられないくらい完璧にやっている人がいて、「理想のママ」として持て囃されていたりする。それを見て「わー!!」って叫び出したくなる人、いっぱいいると思うんですよ。自分が責められるだけならまだしも、「あれじゃご主人がかわいそう」とか「子供が不憫」とか、家族を人質にとられちゃったりすることもある。

 そうなると、みんな失敗を極度に恐れるようになりますよね。作中にも出てくるんですけど、最近の料理本は、「塩と砂糖を少々」って書くと「少々ってどれくらいかわからない」というクレームがきたりするから、「小さじ1/4」とか書かなきゃいけない、という話を聞きました。みんな適量がわからないし、「お好みで」と言われても自信がない。

――「自分の適量を探す」というのは、作品の一つのテーマにもなっていますよね。

 それは私自身の経験でもあるんです。私、デビュー直後にある人から「一か月に二〇〇枚は書かなきゃ、この業界で生き残っていけないよ」と言われたことがあって、それをこなすのに必死になってしまったんです。とにかく何か依頼をいただいたら断らずに全部書いて、自分でもよくなかったと思います。今考えれば、私のやる気を出すために言ってくださった言葉だと思うんですが、それをノルマのように守りすぎた結果、映画『セッション』の主人公みたいになってしまって(笑)。交通事故にあって血だらけになっても、とにかく舞台に出てドラムを叩き続けるという......(笑)。もはやお客さんの気持ちとかは、頭からすっ飛んでいる。ですが、同年代の作家の方と話していたときに、「えっ何それ、そんなの聞いたこともない」と言われて、あれ? と目が覚めました。

 でも、過剰に書いてみたからこそ、「適量」がわかってきたと思います。去年くらいから、「あ、私にはこのペースがあっているんだ」というのがやっと見えてきました。

 やっぱりいろいろやらないとわからないんですよ。絶対失敗しちゃダメということになると、先に進めない。何度もトライして、失敗することが大事なんじゃないかな。お料理だっていろんな味を知っている人のほうが、応用を利かせるのがうまいと思います。仕事でも人間関係でもそう。「こうじゃなきゃダメだ」という人よりは、臨機応変な人のほうが強い。だから、主人公の里佳もいろいろやってみて、最終的に自分にとってベストなバランスを見つけていくんです。

――柚木さんご自身も、そうやって適量を見つけられたんですね。

 ただ当たり前ですけど、今の私の適量が全員に当てはまるとは限りません。月二〇〇枚書かれながら、よい作品を生み出し続けている方もいらっしゃいますし。

 作中で里佳は10kg太りますが、「太っていてもいいじゃん」ということが言いたいわけではないんです。お洋服が好きな女性だったら、40kg台とかが適量かもしれない。でも、里佳はファッションにそこまで興味がないし、仕事が忙しくて体力勝負なところもあるから、健康的な体型の方が合っているというだけのこと。お料理も一緒で、里佳は段々と料理をつくるようになりますが、それは彼女にとって必要なことだったからです。「やっぱり自炊しない人はダメだ」とかはまったく思っていません。

――出てくるお料理はどれも美味しそうです。

 物語に登場する料理は、一通り自分でも作っています。最後に七面鳥を丸焼きにするシーンがありますが、料理の経験値も何もない、とにかく一回焼いてみないことには何もつかめない、というのが実感としてあります。本当になにごともそうですよね。私も知り合いからレシピをもらったんですけど、その通りにやってもなかなかうまくいかないんですよ。火力も違うし、オーブンの種類も違う。好みや、食材の好き嫌いも違う。だから、オリジナルのレシピを自分で生み出すしかない。オリジナルをつくることを怖がらなくていい、というのが一番言いたいことかもしれません。

 このお話の決着を考えたときに、主人公である里佳が成功することでも、何かを打ち倒すことでもなくて、オリジナルレシピをつくれるようになることこそが、一番のハッピーエンドなんじゃないかと気づいたんです。今後はきっと里佳の仕事のやり方も、そうなっていくんだと思います。オリジナルの立ち位置を、自分でつくっていくはず。

――最後は里佳の柔軟さに、救われた気持ちがしました。

 この国で一番偉いとされるのは「辛いこと」です。だから辛い人が辛くない道を探ることは我慢が足りないと糾弾されるし、本人も自分に禁じてしまう。「この状況で頑張らなきゃいけない、逃げ出してはダメだ」って自分を縛ってしまうところがあると思います。でも、それはその人の真面目さゆえで、責められないんですよね。だからせめて物語の中では、どうにかその解決策を見つけたい。

 たとえば、セルフネグレクトをする男の人っているじゃないですか。配偶者に出ていかれた男性が、「一人じゃご飯の炊き方もわからない」とか「こんなに寂しいとは思わなかった」とか発言したりして、「かわいそうだ」という同情の目が寄せられたりする。それによって相手の女性側が、どれだけ世間から糾弾されるか。そう思うと、ご飯の炊き方もわからないって、えっ、炊飯器のボタンを押すだけなのにわからないの? だったらスマホで検索すれば? と思ってしまいます。

 ただ、そういう辛い思いをしている人たちを責めるつもりはないんです。自分の執着が原因で容疑者に追いつめられ、でもなんとかその状況を乗り越える里佳と、セルフネグレクトに陥ってしまう男性たちとの差は、たぶんほとんどないと思います。だけど何か少し違いがあるとしたら、切羽詰まったときに誰かに電話をかけたかどうか、自分でおかずをつくってタッパーに詰めたかどうか、あるいは、冷蔵庫を自分で開けたかどうか、という程度のことなんじゃないかな。

――ほんのちょっとの自分を慈しむ心が大事なんですね。今後、書いてみたいお話はありますか?

 いい人とも悪い人ともいいきれない、あらゆる要素を含んだ女性の大冒険を書きたいです。例えば大ヒット作「半沢直樹」って、見方によっては悪人じゃないですか。配偶者や同僚にはとても優しくていい人だけれど、敵には容赦なくて、相手を陥れるためだったらなんでもやる人。日本中があのドラマを見てスカッとしたけれど、仮にあの主人公が女性で、配偶者や友達の前ではニコニコしているけど敵には「目の前で土下座しろ」って言ってたら、スカッとするどころか「とんでもない女だ」ってなる気がする。

 女性主人公の復讐ものって、なぜか単調になりがちです。恋人か家族を殺された、あるいはレイプされたというような壮絶な過去があって、毎日復讐のことだけを考えて暮らしている、美しく哀しき女。家はいつも薄暗くて、ターゲットの写真がばーって貼ってあったりするような。そうじゃなくて、愛情たっぷりの家庭があり、同僚にも恵まれ、毎日をエンジョイしているリア充だけど、その同じ人の中にわけのわからないモノも棲んでいる、っていうお話を書いてみたいです。

――とても面白そう! 多面的な物語は今作ともどこか通じるところがありそうで、ぜひ読んでみたいです。

 美味しいお料理って、ちょっと苦みや渋みも効いていたりして、複雑な味がします。それと同じで、すべてを割り切れなくてもいいのかなって。料理も小説も、そういう部分があったほうが美味しくなると思っています。

 (ゆずき・あさこ 作家)

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