書評
2017年7月号掲載
存在自体が新しい書き手による、新しい私小説
――燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』
対象書籍名:『ボクたちはみんな大人になれなかった』
対象著者:燃え殻
対象書籍ISBN:978-4-10-100351-1
知人が寄稿しているので、週150円払ってウェブメディアのケイクスの購読を始めてからしばらく経った頃、奇妙な連載が始まった。
自分の人生にもっとも大きな影響を与えたかつての恋人のことを軸に、これまでと現在の己を綴っていく、私小説の体裁をとった作品。プロフィールを見ると、書き手は作家ではなくテレビ業界の人、ただし放送作家とかディレクターならものを書くのもわかるが、そうではなくて、もっと裏方の「美術」という職業らしい。いわゆるツイッタラーというジャンルから出てきて、最初に書いた小説がこれのようだ。
どうでしょう。よくわからないでしょう、どういう存在なんだか。ただ、それ以上にわからなかったのが、そんな正体が曖昧な人の書いたものが、衝撃的におもしろく、そして新しかった、という事実だ。
音楽ライターという狭いジャンルだが、自分も一応ものを書いて食っている人間ではあるので、まず混乱した。出版業界やテレビ業界の知人数人に「あれ何者? 知ってる人?」と訊いたりもした。誰もが知らなかった。そして誰もが「あれおもしろいよねえ、いったい誰なんだろうね」と興味を示していた。いや、「誰なんだろうね」って、燃え殻なんですが。ちなみに、この燃え殻という名前は、現在は脱退してひとりで活動しているキリンジの堀込泰行が、キリンジ在籍時にソロを行う時に使っていた「馬の骨」名義で発表した最初のシングル曲からとったものである。
ということからもわかるように、僕の本職のエリアである、90年代以降の日本のロックに関する記述が、作品のそこかしこに出てくるところにも惹かれたが、それ以上にショックだったのは、彼の文体そのものだった。
私小説に限らず、音楽でも映画でも表現ならなんでもそうだが、自分自身を描いて作品を作る場合、言わば「自分に酔う」ことをある程度許して描いていく場合と、逆に自分を突き放して自虐的に描いていく場合とがある。
前者は、美しく叙情的な作品になるが、同時に、そのナルシズムにツッコミを入れたくなるような気恥ずかしさが漂うことに、多少なりともなったりする。後者にはそのような気恥ずかしさはないが、それと引き換えに美しさや叙情性を味わうことは、望めなくなる。
が、燃え殻の文章は、驚くべきことに、その両方のよいところだけでできていたのだ。つまり、自分を手ひどく突き放しながらも、同時に美しくて、そして叙情性に満ちていたのだ。
なぜ彼にだけそのようなことができるのかは、正直、よくわからない。というか、少なくとも、自分には絶対無理なのはあきらかなので、ただ悔しいと言うほかない。いや、「悔しい」とか思っている時点でずうずうしいというか、「同じ土俵に立ってるつもりか?」と、自分で自分が恥ずかしくなるが。
本作はそのケイクスの連載の書籍化だが、それにあたってかなりの加筆修正が行われている。エピソードや登場人物がまるごとカットされて、代わりに別の話が新たに加わっていたりする。相当な推敲を重ねたことが窺い知れるので、すでにケイクスで読んだ方も興味深く読めると思う。
自分のことを書いている私小説の体裁だが、すべてが実際にあったことではなく若干のフィクションを織り交ぜて物語を進めていく、という手法の作品においては、最初から文筆業の人よりも、別ジャンルで世に出て、次に文筆活動を始めた人の方が、もしかしたら優れているのかもしれない。といっても、最近読んでそう思ったのは、今のところ又吉直樹と尾崎世界観の二例だけなので、断定できるほどのサンプル数が集まっているわけではないのだが、仮にそうだとしたら、そのラインの新しい才能の登場だと思う、燃え殻は。
最初にこんな決定的なものを書いてしまって、次の一手があるのかどうかわからないが......というか、当人に次の一手を打つ気があるのかどうかすらわからないが、あればいいな、あってくれよ、と、僕は心から期待している。
(ひょうご・しんじ フリーライター)