書評
2017年7月号掲載
河合隼雄没後10年/新潮選書創刊50周年特別企画
河合隼雄を読み直す
対象書籍名:『とりかへばや、男と女』新潮選書 978-4-10-603616-3/『明恵 夢を生きる』講談社+α文庫/『コンプレックス』岩波新書
対象著者:河合隼雄
対象書籍ISBN:978-4-10-603616-3/978-4-10-148227-9
河合隼雄が世を去って十年になる。この間、いろんなことがあった。東日本大震災と原発事故が起きた。フェイスブックやツイッターといったSNSが日常的なコミュニケーションツールになった。LGBTなど性的少数者の人たちが少しずつ声を上げ始めた。六十五歳以上の高齢者が人口の四分の一を超え、十~三十代の若年層の死因は自殺が一位となった。
世の中はこんなに変わったけれど、二十数年前、働き盛りの中年層に向けて書かれた河合の『こころの処方箋』はロングセラーとなっている。人間関係の苦しみは普遍的だから、まずタイトルに引き寄せられるのだ。仕事や子育て、学歴、友人関係など自分を支えていたものが、ある日突然、色褪せる。自分の価値を見失い、何をやってもつらくなる。クリニックに行けばうつ病と診断され、薬を処方されるかもしれない。それはあくまでも科学によって示された「状態」だ。
河合の処方箋にはまったく違うことが書かれている。
「心の支えは、時にたましいの重荷になる」
仕事にせよ、子育てにせよ、自分を支えているはずのものが「たましい」を押さえ付けることがある、という意味だ。
「たましい」は河合の重要なキーワードである。明確に定義はできないけれど、心の奥深くにあるもの。デカルト以来の二元論、たとえば、心と体、意識と無意識、自と他、と二分することでとりこぼされる大切な何かを指す。臨床においても、神話や昔話においても、河合は「たましい」の視座から読み解き、「たましい」の悲鳴に耳を澄ましてきた。
『とりかへばや、男と女』は、男らしさ、女らしさという二分法に苦しめられた人々を癒し、その境界が緩やかに溶け始めた今こそ世の中に勇気を与えるだろう。平安末期の王朝で、主人公となる男の子と女の子が、それぞれ性を逆転され、女の子と男の子として育てられる。二分法でもっともやっかいな「性」が主題の物語である。これを読み解くには近代化以前のまなざし、「たましい」の目が必要となる。すると、二人は秩序を破壊する力をもつトリックスターの役割を担っていることが見えてくる。それぞれが自分の置かれた状況に真正面から向き合い、運命の意味を見出していく姿は、心理療法において一人の人間が変化するプロセスにも重なる。
「淫靡」と評され、まともな研究もなかったこの物語を真正面から採り上げたのは、河合の必然だった。ユング派の分析では夢を扱う。河合はクライエントや自身の夢分析を深めていくに従って、日本人である自分がどれだけ日本の神話や物語、仏教の力に影響されているかを意識せざるを得なかった。そのための手がかりを与えたのが、生涯にわたり夢を記録し続けた鎌倉時代の名僧、明恵上人である。世界にも類のない明恵の『夢記』はユングが個性化、あるいは自己実現の過程といったものの手本ともいえる記録で、河合はついに日本人の師に出会ったと強い確信を得たという。
明恵は生涯、女性と一度も性的関係をもたなかった人物で、河合は明恵の夢に現れる女性像の変化を通して、父性と母性の相克とその苦しみを見た。『夢記』をさらに理解しようと中世文学を渉猟する中で出会ったのが、「とりかへばや物語」だった。代表作『昔話と日本人の心』において日本人の無意識に生き続ける女性像に着目した河合は、『明恵 夢を生きる』で日本人男性の元型を見出し、『とりかへばや、男と女』で初めて「性」の境界に挑んだのである。
明恵については、その後の著作でたびたび言及しているが、異色なのは、カトリック大司教ヨゼフ・ピタウと語りあった『聖地アッシジの対話』である。生きた時代も、夢に啓示を受けたことも、男性の中の「母性」というテーマでも共通する二人の宗教者、明恵と聖フランチェスコを通して、平和について考えた。かたや鎌倉の戦乱期、かたや十字軍の時代を生きた二人の「祈り」と「ゆるし」は、宗教対立を背景とする民族紛争が頻発する二十一世紀の始まりに、大きな示唆を与えるはずだ。
ところで今春、『ハリネズミの願い』という童話が話題になった。主人公はハリネズミ。誰かを家に招待したいけれど、起こってもいないハプニングを想像してなかなか行動に移せない。友だちが欲しくてたまらないのに、いざとなると踏み出せない。マイナス思考の堂々巡りを繰り返す臆病なハリネズミを描く本書が多くの読者を得たのは、つながることだけが容易になった時代の孤独が刺激されたからかもしれない。
河合の『大人の友情』にはこんな一節がある。
「友情によって、一般に考えられている境界が破られ、ふたつの世界がつながることが体験される。何らかの境界によってものごとが区別されているのは、それ相応の理由があり、それを破るには、相当な危険や苦痛を伴うことが多い。にもかかわらず、その境界を超えることに友情が大きい原動力となったり、逆に、そのことによって友情が芽生えたりする。これは、友情の意味の深さを強く感じさせるものである」
境界を破ることには危険と苦痛が伴う。自分らしさや自己決定を至上とする教育を受けたら、子どもだって人間関係に苦しむのは当然である。ドジを踏んだり、どっちつかずだったりすることを許さない不寛容な社会では、友だちづくりにも勇気がいる。大人も子どももみんなハリネズミになってしまう。
「自分の強力なコンプレックスを一種の『アンテナ』として、他人のコンプレックス、従ってそれに基づく失敗や悪事を嗅ぎつけ、それを喰いものにして生きているような人も存在する。このような人にとって、そのコンプレックスは、大切な『商売道具』になっているのである」(『コンプレックス』)
誰もがやってしまうような、ちょっとしたしくじりをあげつらう。私たちの中で、自分は油を注いでいないと言い切れる者はいるだろうか。
「コンプレックスの投影が集団として生じるとき、いわゆるスケープゴートの現象となる。集団の成員が自分達の共通のコンプレックスを一人の人間(あるいは、一つの少数集団)に投影する。もっとも有名なのは、ナチスドイツにおける、ユダヤ人に対する迫害である。しかし、このことは遠いドイツのお話だけではなく、われわれの周辺で、そして、われわれ自身が行なっていることである」(同前)
河合はとっくにお見通しだった。
今も昔も、私たちは関係性に悩み、苦しんできた。河合は、そんな日本人の心について考え抜いた人だった。アメリカやスイスでの修業時代を回想した『未来への記憶 上下』(現在、『河合隼雄自伝―未来への記憶―』新潮文庫として刊行中)に、河合の生涯のテーマがすでに顔をのぞかせている。
「日本人として日本に生きてきたおまえが、しかも、西洋の訓練を受け、それを身につけたうえで、日本の言葉で日本人になにを言おうとしているのか」
河合は「自分の独善性や安易さを防ぐため、自分の信じる方法や考えを全面的にぶっつけて検証する相手として」(『ユング心理学と仏教』)ユングを選び、そのことに積極的意義を見出そうとしてきた。私たちもそろそろ、河合隼雄に従うのではなく、対決し、対比することによって、現代における河合隼雄の積極的意義を見出す時に立ったのではないか。今、河合隼雄を再読する意味はそこにあると思う。
最相葉月『セラピスト』新潮文庫心の病はどのように治るのか。河合隼雄と中井久夫、二つの巨星を見つめ、治療のあり方に迫る。文庫版特別書き下ろし「回復の先に道をつくる」を収録。
(さいしょう・はづき ノンフィクションライター)