書評

2017年12月号掲載

今年最後の大傑作

――霧島兵庫『信長を生んだ男』

縄田一男

対象書籍名:『信長を生んだ男』
対象著者:霧島兵庫
対象書籍ISBN:978-4-10-101672-6

 私は困ってしまった。
 私は本を読む際、重要だと思われる箇所――テーマやモチーフ、人物造型、群を抜いている情景描写――にふせんを貼りながら読んでいる。
 ところがこの一巻『信長を生んだ男』ときたら、どうだ。ほとんど二ページに一枚の割合でふせんを貼ることになってしまったではないか。
 これが本当に新人の第二作なのか?
 たとえば、群を抜いた情景描写をあげれば、次なる合戦場面はどうだ。

  陽光にきらめく槍の海原が、目前に迫った。
  と、太鼓の一打が空気を震わせる。
  両軍の長柄が一斉に振り上げられた。大きくしなる幾百の槍先が、視覚のすべてを覆い尽くす。

 実に視覚的なすばらしさではないか。
 もっとも作者のすばらしさは、こうした視覚面ばかりではない。人間の心の内面に錨を降ろしていく、その的確さにある。
 そして、これはネタばらしになるので記すことはできないのだが、後半、織田信行が取った行動に私は号泣してしまった。
 さて、この物語は、織田信長とその弟・信行の葛藤からスタートする。その葛藤――いや、確執といった方が良いかもしれない――は、幼少の頃にまでさかのぼる。母親である土田御前の持っていた、尾張に二つとない龍笛――信長は、ねだりにねだってこれを手に入れるが、信行が欲しいというと、母は信長に渡した笛を取りあげ、信行にくれてやったという。信長は、こんな餓鬼の喧嘩を今に至るまで引きずるとは、我ながら愚かしいといいながら、父に認められながらも母の愛に飢えていた思いを、新妻帰蝶へ語る。
 一方、苦しんでいるのは、信長だけではなかった。信行も初陣の前に、「古渡(ふるわたり)という規律と従順に縛られた牢獄を抜け出た先には違う世界が待っている。父の歓心を引こうと身もだえすることも、母の支配欲に振り回されて苛立つことも、兄への対抗意識に疲弊することも、そして、抑えても抑えても膨れあがる焦燥感を抱えて長い夜を過ごすことも、この小さな世界の束縛から解放されればきっと変わるに違いない」と希望を抱く。
 だが、信行の初陣は悲惨なものとなる。敵将の一人、有沢源九郎の首一つを取るために、信長が自分につけてくれた精鋭五十人をことごとく死なせてしまうのだ。
 父は「まずまずじゃな」といままでにないことばをかけてくれるが、信行の懊悩は深い。
 その兄弟二人が車の両輪の如く、織田家を支えていくようになるのは、信行の軍勢が、見事、萱津での戦いにおいて敵勢を抑えてからのこと。柴田権六は信長が弟の信行を、初陣以来、押し殺すような生き方を選び、力ある男がそれを秘し、沼に潜んで天に昇る日に備える伏龍であると、高く買っていると信行へ話す。虎=信長。龍=信行。
 が、信長と親密な関係をようやく築き上げた信行に目立つのは、意外にも、その信長の脇の甘さであった。
 そして、信行は、これを見て、冷酷非情な部分を自らが引き受け、平手政秀を切腹に追い込み、弟の弔い合戦をし、暗殺をも辞さない――それ以来、品行方正で文武両道の貴公子然とした信行が実は誰よりも非情な男であると分かって、誰もよりつかなくなっていく。
 そんな中、信行は父と同じ病に冒されたことを知る。
 己が死ぬまでに兄を最強の男にしなければならぬ。
 そこで信行が権六らと取った手段は――。
 ここからが前述の号泣のくだりとなるのだが、信行が権六らに、
「忘れるものか。お前たちに教わったこと、お前たちが示した忠義、何ひとつ忘れるものか」
 と語るところは、もうたまらない。
 よくぞ書いてくれた、私は作者に心からの拍手を送りたい。
 そして本書には忘れてはならない、もう一つの脇筋のストーリーがある。
 それは帰蝶をめぐるもので、信長にとっては、彼女は母への空白を埋めるもの、そして信行にとっては秘めたる思慕の対象なのである。
 本書は、今年最後の大傑作といえよう。

 (なわた・かずお 文芸評論家)

最新の書評

ページの先頭へ