インタビュー
2017年12月号掲載
新潮文庫『アメリカン・ウォー』(上・下)Special
憎しみの普遍性を描く
来日記念インタビュー
本作が世界13か国で出版され、華々しいデビューを遂げたオマル・エル=アッカド。
エジプト出身で、ジャーナリストとしてアメリカの中東政策を報道してきたという特異なバックグラウンドも話題となり、アメリカの分断の時代を予見したことでも高く評価されている。来日時に直接話を聞いた――。
構成:編集部
対象書籍名:『アメリカン・ウォー』上・下(新潮文庫)
対象著者:オマル・エル=アッカド
対象書籍ISBN:978-4-10-220131-2/978-4-10-220132-9
――この作品は二〇七四年にアメリカで第二次南北戦争が勃発してしまうという、非常に興味深い設定の作品ですが、書き始めたきっかけは何だったのですか?
OEA 書きはじめたのは二〇一四年の夏で、第一稿はほぼ一年後にできました。ですからトランプが大統領になる前のことです。具体的なきっかけがあるとすれば、その数年前の出来事でしょうか。NATO主導のアフガニスタン攻撃がたけなわの頃、国家安全保障の専門家がインタビューを受けているのを聞いたのです。米軍への現地住民の反発が高まっているという話で、「なぜ我々はそんなに憎まれるのでしょうか?」という質問に対して、その専門家はこう答えました。米軍は時に村を急襲して、住民に銃を突きつけ、民家を徹底的に捜索しなければならないが、アフガニスタンの文化ではこうしたことは侮辱的だと受け止められるのだと。そのとき僕はこう思ったのを覚えています。「そういうことを侮辱的だと受け止めない国なんてあるのか?」と。そこから徐々に考えの鎖がつながって、もし西側の先進国が高見の見物をきめこんでいるような戦争が、その先進国の国内で起きたらどうだろうと思ったのです。僕はその戦争を傍観者の目ではなく、戦争がはげしく戦われている場所にいる人の目、その戦争から逃れることも目をそむけることもできない人の目から見てみたいと思いました。その意味で、この作品は個別的な憎しみを描いたものではなく、憎しみの普遍性を描きたかったのです。
――あなたは小説家として華々しくデビューする前は、アフガニスタン紛争、米軍のグアンタナモ基地、「アラブの春」にわくエジプト、ミズーリ州ファーガソンでの白人警官による黒人少年射殺事件などを取材してきたと聞いています。そういったことはこの作品にどのような影響を与えましたか?
OEA 小説家はみなそうですが、僕も「パクリ屋」です。ジャーナリストとして活動した間に見聞きしたことから色々なネタを盗んでいます。作品に登場する「キャンプ・ペイシェンス」のテントの配置は、グアンタナモ湾の「キャンプ・ジャスティス」をモデルにしています。名前も数百人が殺されたといわれているレバノンの難民キャンプ「サブラー」を直訳したもの。一見何の問題もなくうまくいっているように見える社会でも、不可視の犠牲の上に成り立っていたりするのだという考えが、取材を通して僕のなかで固まりました。
――何年もの間ジャーナリストとして活動してきて、今度はなぜ小説を書くことにしたのですか?
OEA ずっと以前からフィクションの世界は僕にとって「ホーム」でした。小学校の一年か二年のとき、自分にはお話を書く才能があるようだと気づきました。正確にいうと、他になんの才能もないことに気づいたのですが。父は大変な読書家で、エジプト文学の生き字引でした。僕が育ったエジプトでは本も音楽も映画も、好きなものを楽しめるわけではありません。政府の検閲があるからです。いまでも家のどこかにあるはずですが、僕が買ったニルヴァーナのCD『ネヴァーマインド』は、ジャケットの裸の赤ん坊がマジックで真っ黒に塗りつぶされています。学校の図書館には、イスラエルのことが書かれた本が一冊もなかったと思います。そういう環境で暮らしていると、すべての物語が読んで楽しいとか、カタルシスが得られるということの他に、一種の暗号だと感じられてくるのです。ある社会を知ろうとするなら、その社会がどんな風に物語を語るか、誰の物語を選んで語るか、誰の物語については沈黙するのかと見ていけば、少しずつ見えてくることがあります。大学卒業後にトロントにある新聞社に就職し、昼間は記者として働き、午前零時から五時まで小説を書くという生活を十年近く続けて、これまでに長い作品を四つ書きました。最初の三つは凡作でしたが『アメリカン・ウォー』はいまの時代に必要な作品だと思って出版社に持ち込んだのです。
――この小説で起きている出来事をリアルなことだと考えていますか?
OEA 文字どおりの意味でなら答えはノーです。この小説で起きることは事実上どれも故意にグロテスクにゆがめたレンズを通して再創造されているからです。しかしアナロジカルな意味では、この小説で起きることは全部すでに現実に起きたことなのです。この小説にアラブとイスラエルの紛争、イラク戦争、アフガニスタン紛争、あるいは北アイルランド紛争が透けて見えるとすれば、それは僕がそれらの出来事から色々な要素を盗み、違う衣装を着せて使ったからです。すべての戦争は同じだという決まり文句があります。僕はすべての戦争が同じだとは思いませんが、苦しみの言葉は世界共通だと思っています。
――二〇七四年以降の世界をどういう風に創造したのですか?
OEA これまでにジャーナリストとしてアメリカの色々な場所へ行きましたから、それが作品に表れていると思います。強く記憶に残っているのは、ルイジアナ州南部の陸地喪失について書いた記事です。水上運搬に使われるミシシッピ川の南端にあたる土地が、一時間あたりアメフトのグラウンド一つ分、海に溶けていく。気候変動と産業開発の結果です。南フロリダについても同じような記事を書きました。小さな自治体の市長たちは有権者に、気候変動のせいで今後数十年のうちに自分たちが故郷と呼ぶ場所は人が住むのに適さなくなるかもしれないことを説明しようとしていました。僕はそうした地域の人たちが内陸に移動していくさまを想像したものです。軍関係のことも色々な取材の仕事から知識を得ました。前線基地の施設の配置とか、民兵の戦い方や武装ゲリラとの戦い方とか。変わりダネの取材も随分しました。思いがけないところに脇道がたくさんあるのを何日もかけて実地に歩いてみたり、フロリダ沿岸でミノカサゴの毒にやられる人が多いというレポートがあるとそれを確かめに行ったり。クモの毒に鎮痛効果があることや、南北戦争時代の南部でサー・ウォルター・スコットが文学に大きな影響を与えたことを知ったりもしました。南部での取材を終える頃には、ごった煮のカリキュラムを組んだ大学で一年学んだような気分になっていましたね。
――登場人物の一人が「戦争は銃で戦うが、平和は"物語"で戦うものだ」と語るのが印象的でした。
OEA 二年ほど前、フロリダ州からジョージア州ケニソーへ取材に行きました。すべての世帯が銃を少なくとも一挺備えていなければならないとする当地の条例について記事を書くためでした。そこで大きな文字でただ一言、"脱退せよ(SECEDE)"という看板を見たのです。すごいなあと思うのですが、たった一語で、一つのイデオロギーを表せるんです。アメリカのことを知っている人なら、その看板を見てすぐ、それを書いた人の世界観が理解できてしまうわけです。僕はその看板から、多くの人の血を流すきっかけになった過去の"物語"を想起し、この地域の人々がその流血沙汰を乗り越えてきたことを思いました。しかし戦争が終り、戦争を引き起こした"物語"が勢いをなくしたり、批判されたりするようになっても、完全に否定されてしまうことはない。その"物語"は生き延びて、再び口にされ、時がたつにつれてより声高に語られるようになり、その"物語"がかつてもたらした破壊は忘れられていく。そしてある日、それはもう囁きではなく、叫びとなって、また同じ醜悪なサイクルが繰り返されるのです。
――登場人物の一人が、「この国には戦争が終ったあとでその戦争が正しかったかどうかをみんなが考える習慣がある」といいます。この小説はアメリカが中東でした戦争を厳しく弾劾する小説としての側面があると思いますが、それはあなたが意図したことですか?
OEA それを書いたとき、僕が考えていたのは、戦争が始まるときには決まって大声援があるのに、終ったときにはどこかに消えてしまっていることが多いということです。僕は絶対平和主義者ではありません。暴力は――とくに国家による暴力は――本質的に不正義であり、より大きな不正義を阻止するときにだけならば許されるという考えに賛成です。けれどもこういう考え方をすると、倫理的な葛藤を背負いこむことになります。むしろ絶対的な悪に対して暴力を使うことは絶対的に善であると考えるほうがすっきりするし気が楽です。自分は怪物と戦っているのだと信じこむことができれば、自分も怪物的な行為をしていいと思うことができます。戦争が始まるときに国民が大声援を送るのは、何もアメリカだけの現象ではないと思いますが、今世紀に入ってからのアメリカの中東における軍事行動にその種の現象の派手なものがいくつかあったのは確かです。二〇〇三年にアメリカがイラクに侵攻したときのことはよく覚えています。ブッシュ大統領が"任務完了"の横断幕を背に勝利宣言をしたときのメディアの興奮も。でも六年前に最後のアメリカ兵がイラクから公式に引き揚げた日のことはあまりよく覚えていません。勝利感にわいたという記憶は失われてしまっているのです。
――あなたにとって大事な意味を持っている本を教えてください。
OEA 僕にとって大事な本はまず、フォークナーが書いたものすべて。とくに『響きと怒り』と『死の床に横たわりて』ですね。トニ・モリスンの『ビラヴド』と『ソロモンの歌』も。それから、エジプトのノーベル賞作家ナギーブ・マフフーズの「カイロ三部作」。ジェイムズ・エイジーの『家族のなかの死』。マイケル・オンダーチェの『バディ・ボールデンを覚えているか』。マイケル・ハーの『ディスパッチズ――ヴェトナム特電』。僕はこの本を読んでジャーナリストになりたいと思いました。挙げればきりがありません。いま新しい小説を書いています。寓話を改変したような話です。どんな話にしたいのかはわかっているつもりですが、どんな話になるかはまだわかりません。
(おまる・える=あっかど 作家)