書評

2018年6月号掲載

性に搦め捕られた女達と、「普通の男」の物語

――花房観音『うかれ女島』

吉田大助

対象書籍名:『うかれ女島』
対象著者:花房観音
対象書籍ISBN:978-4-10-120584-7

 第一回団鬼六賞を受賞してデビュー以来、女の「性と生」を描き続けてきた花房観音の小説を読んでいるといつも、官能とは感応である、というシンプルな真実に思い至る。
 身体的距離がゼロになる、セックスという行為から受け取った相手の情報から、心が鋭く感応し、目の前の相手に抱いていたイメージが作り替えられる。その一歩手前には、この人とセックスがしたい、してもいいと判断する瞬間が訪れている。相手をより深く知りたい、近付きたい、という思いは、性的な官能であると同時に、まぎれもなく心理的な感応だ。
 花房観音はこの官能=感応を駆使して、遠く離れた人と人とを結びつけ、その出会いの軌跡を物語に仕立て上げてきた。しかし、この官能=感応は、主に出会いの場面で機能する。出会いの「その後」を記述し、物語として大きなうねりを作り出すためには、新たな稼働装置を導入する必要があった。物語の舞台となる場所の力。張り巡らされた過去の因縁。実在する、誰もが知る女性性のアイコン......。これまででもっとも性描写の割合が少ない最新作『うかれ女島』は、さまざまな物語稼働装置を駆使して、過去最高の激しいうねりを生み出すことに成功している。端的に言えば、この一作で、化けた。
 全七章の物語は、大きく二部構成が敷かれている。「第一章 伊勢田大和(三十二歳)」から「第五章 桐口瞳子(三十五歳)」までは、章ごとに語り手が変わるオムニバスだ。全ての始まりは、高円寺で一人暮らしをしている実直な会社員の大和が、三ヶ月前に亡くなった母がメモに残した、遺言代わりの願い事を叶えようとしたこと。「死ぬまでに、この四人の女たちに会いたい。会わないと、死に切れない」。それが無理ならば、「この女たちに私が死んだことを伝えて欲しい」。四人の女に宛てて、大和は母の死を手紙にしたためる。その手紙が、四人の女達の人生にさざなみを立てていく。
 仕事の時は「真理亜」と名乗っていた大和の母は、「うかれ女島」と呼ばれる、売春宿のある孤島で女衒をやっていた。四人の女達はかつて、その島にいたのだ。保育所のオーナー、主婦、女優、一流企業のOL。時を経てまったく異なる人生を歩んでいる彼女達にとって、島にいた頃の経験と記憶は、その後の人生に何をもたらしたのか。大和の手紙をきっかけに過去と向き合うことで、四人は自らの「性と生」を見つめ直すこととなる。一人一人のエピソードを紹介する文字数の余裕はないが、四人は現実に息をし、彼女達の実体験の告白を記録したのでは、としか思えない実在感が漲っている。
 おそらく、これまでの花房観音であれば、五章までで筆を止めていただろう。本作では、五章までの記述は物語の前半、前フリに過ぎない。総ページ数の半分以上を占める「第六章、第七章、終章」からが、新境地だ。ここでも、母のために動いた、大和の行動が軸になる。実は、冒頭で著者を「女の『性と生』」の書き手だと紹介したが、本作で著者がもっとも心を砕いてキャラクター造形を企てている人物は、大和だ。ある女は彼をこう評価する。〈売春なんてとんでもない、売春婦なんて自分とは縁のない世界の堕落した人間だと思っている、普通の男〉。〈「男」や「世間」に雁字搦めになり、その価値観に縛られ苦しんでいる(中略)だからこそ、娼婦を貶め、自分自身が傷ついている〉。
 彼には年下の美しい恋人がいる。だが、母が娼婦であった負い目から、結婚には二の足を踏んでいる。母とは一二歳の頃から離ればなれに暮らしており、断絶の強い言葉を口にしたのは彼の側であったにもかかわらず、母の存在に執着している......。新規に導入されたさまざまな物語稼働装置を駆使して、その状態からの大和の変化を、著者は記述しようと試みる。そこで話は終わらない。意外なかたちで人と人とが繋がり、運命のドミノ倒しが起こる、ミステリー的な快感が二重三重に張り巡らされている。不意打ちのように真相が明かされる第七章のラストは、正真正銘、度肝を抜かれた。
 処女懐胎のマリアではなく、娼婦のマリア――「マグダラのマリア」――をメタファーに採用した演出も利いている。官能=感応表現はそのままに、骨太な「物語作家」へと大きな飛躍を遂げた、花房観音の第二のデビュー作だ。

 (よしだ・だいすけ ライター)

最新の書評

ページの先頭へ