書評

2018年8月号掲載

「上がり」はそれぞれ違う場所

――永井紗耶子『大奥づとめ―よろずおつとめ申し候―』

東えりか

対象書籍名:『大奥づとめ―よろずおつとめ申し候―』
対象著者:永井紗耶子
対象書籍ISBN:978-4-10-102881-1

 時は江戸時代後期、第十一代将軍徳川家斉の頃。江戸城の将軍の居室である中奥と上御鈴廊下をへだてて位置する大奥には三千人とも言われる女性だけの世界が広がっていた。
 この大奥で一番力を持つ者は、将軍家斉つまり上様の正室で御台様である。寵愛を一身に受けた側室であっても御台様には逆らえない。そのうえ上様は艶福家で、四十人もの側室を持ち、多くの子どもを儲けていた。「大奥の出世街道は、上様に見初められ、御手付き中臈になること」と世の中では思われていたが、ごく一部の御手付き中臈、大奥内では「汚(よご)れた方」と呼ばれる女性たちはすべてが幸せであるとは限らない。寵愛が失せても大奥を下がることは許されず、質素に暮らすしかない者もいた。
 だが多くの奥女中は上様の御手の付いていない「お清(きよ)」と呼ばれる者たちだ。己の手腕と運、そして人脈によって出世していく。御台様付きの上臈御年寄を筆頭に、大奥取締の御年寄ともなれば時には表の老中の人事まで口出しすることもあり、各藩、商人たちの付け届けなど引きも切らなくなる。
 もちろん出世など望まない者もいる。女だけの園であっても力仕事も水仕事もあり、すべての仕事を女性だけで担っている。この場所が居心地いいと生涯大奥で暮らすことを選ぶ奥女中もいる。
 本書は大奥で暮らしている、あるいはなんらかの関わりを持った女性たちの物語だ。
「ひのえうまの女」はお利久(りく)と呼ばれる御家人の娘。御手の付いた側室ではなく御年四十ほどの御年寄に仕えている。長女でありながら許嫁を嫌い大奥に奉公に上がった。出世を望み、お清として三年経ち、楽しくない日々を過ごしていた。だがある晩、御祐筆のお藤様と語らったことで、己の気持ちが決まる。好きなことを好きなようにする、大奥ではそれができた。
「いろなぐさの女」の主人公は呉服の間の女中、お松。奥女中たちの衣装を整える役目で、御台様から水回りの仕事をする女までの着る物を差配する。だがこのお松、衣装に関心がなく自分の着るものにも無頓着だ。これではいけないと呉服問屋の若女将、お千沙の知恵を借りることとなった。お松が思いついた前代未聞の方法とは何か。
「くれなゐの女」は大柄に生まれついてしまった庄屋の娘が、奥勤めで出会った何が何でも上様のお目に止まりたいと工夫を重ねる女中によって、自らの幸せを見つける物語。
 他にお清として最高の地位を手に入れたいと望む「つはものの女」、御狂言師として御殿女中に舞の指南を仰せつけられた女師匠を描く「ちょぼくれの女」、大奥で飼われている美しい白い毛の猫と、それを可愛がる女たちの物語「ねこめでる女」の六作。身分は違えど、男に媚びずに凜とする姿は清々しい。
 自ら望んだにせよ、逃げ込んできたにせよ、大奥という場所で暮らすことを決めた女たちは、徐々にしたたかになっていく。女だけの世界は気が楽だ。女子高時代の休み時間のように、人目を気にせず笑い泣き、時には諍い、友情を育む。
 上様の寵愛を競う御手付き中臈とその御付の者たちの争いは、漫画や芝居でも多く描かれてきた。御子を産むこと、それは確かに大奥での出世であることは間違いない。
 だが武器は美しさだけでなく、賢さ、気立ての良さ、老獪さ、素直さなどいくつもある。化政文化が花開いたこの時代、華やかな歌舞伎や豪華な着物が流行り、市井の人々の間でも歌舞音曲を楽しむ者が多かった。士農工商身分の違いはあれど、大奥では才覚一つでのし上がることが出来るのだと知った。
 特殊な場所の出来事だが、特別な人間の話ではない。人生双六に例えれば、上がりはそれぞれ違う場所。一回休みや振出しに戻っても、女たちはみんな生き生き描かれている。痛快な女だけの「お仕事時代小説」の誕生だ。

 (あづま・えりか 書評家)

最新の書評

ページの先頭へ