対談・鼎談

2018年9月号掲載

『生きるとか死ぬとか父親とか』&『ビロウな話で恐縮です日記』刊行記念対談

父とかビヨンセとかビロウな話とか

ジェーン・スー × 三浦しをん

2018年6月23日に青山ブックセンター本店で行われたトークショーを採録。
互いの新刊や家族、あのポップ・スター、ヤンキーまでを語ります。

対象書籍名:『生きるとか死ぬとか父親とか』/『ビロウな話で恐縮です日記』(新潮文庫)
対象著者:ジェーン・スー/三浦しをん
対象書籍ISBN:978-4-10-102541-4/978-4-10-116764-0

残念&ド腐れ

スー 本日はお足元の悪いなか、私たちの結婚会見にお集まりいただき、ありがとうございます。

三浦 まずは、出会いから結婚に至るまでの経緯の説明をさせていただきます。......まさか本気に取る人はいないと思いますが(笑)

スー はい(笑)。最初は、しをんさんのイベントにお誘いいただきまして。

三浦 2015年に『あの家に暮らす四人の女』(現在は中公文庫)という小説を出したのですが、その刊行記念のトークイベントでしたね。単行本の帯コピーは「ざんねんな女たちの、現代版『細雪』」というもので、「だったら、スーさんかな?」と(笑)

スー 光栄です(笑)

三浦 それまでお会いしたことはなかったのですが、スーさんのエッセイが好きだったので、楽しくお話ができるんじゃないかと思ってお願いしたら、快く引き受けていただいて。

スー 「有名人に会える!」と喜び勇んで参りました。

三浦 いやいやいや。この小説は、女性たちの共同生活を描いた小説で、スーさんの『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)に収録されている、団地を買い取り、女たちだけで一緒に暮らすことを提案したエッセイを読んで、「これが理想だ!」と。

スー その文庫版の解説もご執筆いただき、ありがとうございます。

三浦 その後、ご飯にも行きましたよね。大久保のタイ料理屋さん。

スー はい。それから私のラジオ番組「週末お悩み解消系ラジオ ジェーン・スー 相談は踊る」にもご出演いただきました。

三浦 あれも楽しかったです。私はTBSラジオを聞くことが多くて、今スーさんがMCをしている「ジェーン・スー 生活は踊る」も楽しく聞いています。

スー ありがとうございます。そして、私が新刊『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)を出すにあたり、ぜひまたお話をしたいと、今回お願いした次第です。ちょうど同時期に刊行された『ビロウな話で恐縮です日記』(新潮文庫)の解説を私が担当したというご縁もあり。

三浦 素晴らしい解説をありがとうございました。

スー 「三浦しをんはド腐れている」なんて書いちゃって大丈夫だったでしょうか。しかもその文言をわざわざ帯に大きく引用しているし。

三浦 ノー・プロブレムです。本当のことだから(笑)

スー というのが、二人が今回結婚に至るプロセスで......って、もういいですかね(笑)

いつも心にビヨンセを

スー ずっとお忙しそうですが、しをんさんはいくつになるまで働きますか?

三浦 今すぐやめたいですよ(笑)。そもそも私たちのような仕事は定年がないじゃないですか。それが問題ですよね。

スー ひとりブラック企業状態。雇い主も被雇用者も自分という。

三浦 「自作自演ブラック」です。

スー そうそう。勤め人と違って、「労基」(労働基準監督署)がないから、どこにも駈け込めない。今すぐやめたいと思っても、じゃあ明日からの生活はどうする? という問題もあって。

三浦 本当ですよね。ちょうど昨日ですが、乗車したタクシーの運転手さんと「ロトで八億円当たったらどうするか?」という話で、盛り上がったんです。

スー いいですね。それ聞きましょう。

三浦 運転手さんと私は旅に行きたいと。日本国内の高級旅館や世界中の高級ホテルを泊まり歩いて一生を終える。

スー それだと、あっという間になくなりませんか?

三浦 そもそも八億円がどのくらいのものなのかがわかりませんが(笑)

スー 確かに(笑)。私はまず家を買いますね。この本でも書きましたが、私は約十年前に実家を失い、いまだにそのトラウマがあるんです。私もよく「宝くじが当たったらどうする?」という話をするのですが、金持ちの人は、投資してその利息で暮らすと。元本を減らさない。

三浦 その発想はなかったな!

スー その日暮らしの我々とは、考え方が根本的に違うんです。高級ホテルに泊まり歩いていると、おそらく次は移動手段としてプライベートジェットが欲しくなり、それに手を出すと八億円なんてあっという間になくなるはず。

三浦 たまたま調布飛行場の駐機代を聞いたことがあるのですが、月に六十万から百数十万円ほどかかるそうです。

スー 今一番私生活にいくらかけているのか知りたい人は、ビヨンセですね。

三浦 間違いない。私もビヨンセのことはかなり頻繁に考えています。羨ましいというわけではなくて、貴い珍獣を見る気持ちに近いかもしれない。

スー エンターテインメントをどんどん追求していて、世界中の人を驚かせていますが、それでいてどこか「面白い」んですよね。

三浦 その「面白い」に中毒性がある。

スー テキサス出身だけあって、南部独特の感じがまたよくて。中西部出身のマドンナとは違いますね。

三浦 確かにマドンナには「面白い」というような隙はないですね。

スー ビヨンセがやっていることは間違いなく恰好いいんだけど、どこかちょっとクスッと笑える過剰な部分があって、そこが好き。例えば、今のアメリカの音楽シーンのトップランナーとしてリアーナの名前も挙げられますが、ビヨンセとはテイストが違いませんか?

三浦 違いますね。

スー ビヨンセは"女軍隊"という感じですが、リアーナはもっと"個"という感じがします。

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三浦 ビヨンセはひとりでも"軍"なんだ(笑)

スー ハイエンドな文化にコミットしていこうとしているけど......

三浦 何かが少しずれている(笑)

スー そうそう。出身地が左右している話ではないとは思うのですが。

三浦 でも、どの地域に生まれ育ったかというのは、大事ですよね。それはスーさんの新刊を読んで感じたことでもあります。文化の香りみたいなものを背景に感じました。スーさんもお父さまも文京区という東京の中心近くで生まれ育っていて、その感じがよく出ている。私も東京生まれ東京育ちですが、世田谷の奥の方で生まれて、その後は町田。川崎から町田、立川のラインを「ヤンキー輩出ベルト」と勝手に呼んでいるのですが、とにかく無尽蔵にヤンキーを産み出す地域。

スー ヤンキーのエリートが育つ地域!

三浦 世田谷も、下北沢や三軒茶屋は文化的活気があるし、二子玉川あたりはハイソですが、私が生まれ育った地域は、もともと畑と雑木林ばかりあったところで文化の香りがしない。町田は、デパートやレストランも多いですが、それはそれで成り上がり感が強いというか、ビヨンセ感がある(笑)

スー 「ビヨンセ=町田」説(笑)

三浦 一方で、町田は昔からリベラルな政治風土です。今は自民党系の市長ですが、それまではいわゆる革新系の市長が長く務めていました。つまりヤンキーとリベラルが共存する不思議な地域です。

スー なるほど。それは面白いですね。

三浦 その感じがまたビヨンセっぽい。洗練されたおしゃれな感じに憧れているけど、やっていることはどうしてもヤンキー色が強くなるところとか。ビヨンセもフェミニズムを積極的に訴えていたり、政治的には完全にリベラルでしょう。

スー まさに。ところで日本では、ヤンキーを魅了しないと物は売れませんよね。

三浦 ヤンキーを制する者は、天下を制する。「天下人」といえば織田信長で、あの人も完全にヤンキー気質ですね。

スー ヤンキーでオラオラ系ですね。でも、私たちにヤンキー要素はない。

三浦 はい。ヤンキーっぽいものは、どうしても書けません。

スー 盛る、という意味では今のインスタグラム人気も形を変えたヤンキー文化かもしれません。昔みたいに「短ランにリーゼント」とか、わかりやすく記号化されているわけではなくて、ヤンキーが平準化・偏在化しているのかもしれません。

「資本主義の徒花」

スー 最近気になっているのは、マンションの広告のキャッチコピー。いわゆる「マンション・ポエム」です。その意味では、マンションもヤンキー化していませんか? 盛りまくりですよね。

三浦 確かに。ヤンキーが壁にスプレーで「夜露死苦」なんて書くのと似ているかも(笑)

スー 「文京の杜」とか、わざわざ「杜」という字を使ったり、「世田谷という物語に住まう」とか。「住む」でいいのに。それに「物語」ってなんなんだ。

三浦 「住まう」って、他ではあまり見ない言い回しですよね。

スー 昔住んでいた小石川のあたりを歩くと、お化粧しているというか、気取った雰囲気を感じるようになりましたね。

三浦 先住民は疎外感を覚えそうですね。

スー 街がどんどん薄くなっていく印象を持つんです。

三浦 スーさんのお父さまも「銀座が薄くなった」とおっしゃっていましたが、なるほどと思いました。確かに、以前はちょっとおめかしして行く街だったのが、今の銀座はグッとカジュアルになった。

スー もちろんそれが順当な時代の変化なのですが、ちょっと寂しく思う面もあって。

三浦 世田谷も町田も様変わりして、畑や雑木林だったところに、どんどん大型マンションが建つようになりました。街の変化のスピードに付いていけない。

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スー 東京のあちこちに高級ブランド化したマンションが建っていますし。

三浦 みんなそれに憧れて「住まう」。

スー 街の変化といえば、コンビニも象徴的です。特にローソン。「ナチュラルローソン」というやや品揃えが高級な店があるじゃないですか。それがあるのは、相応の高級感ある街だと思うのですが、売り上げが立たないと見るや、すぐさま「ローソンストア100」に切り替える、その見切りの速さたるや。

三浦 「この街は、"100円ローソン"こそがふさわしい」と(笑)

スー 資本に横っ面をはたかれて、どんどん街が変わっていく。

三浦 でも、スーさんは「資本主義の申し子」でしょう。

スー むしろ「徒花」かな。この前辞書で「徒花」の意味を調べたら、「咲いても実を結ばない花」とありました。それって、ワシやないかい(笑)

三浦 「資本主義の徒花」というキャッチフレーズで、区議選とかに立候補してみるのはどうでしょうか?

スー 「好きです、資本主義」とか言って(笑)。百パーセントありませんが。

三浦 「共生社会を実現」などと取ってつけたように言うよりは、「この街に資本を」と言った方がいいと思う。「この街には、『ナチュラルローソン』を作ります」とか、「プラウドを百棟建てます」とか(笑)

スー あれ、今日は都市計画のシンポジウムでしたっけ?

三浦 いや、我々の結婚発表会見のはずです(笑)

はたして父の服を選べるか?

三浦 私はスーさんの新刊の話をしたいのです。最高でした。傑作や。

スー ありがとうございます。

三浦 お父さまに話を聞いて、それがベースになっていますが、その会話は録音されたのですか?

スー 最初は録音したこともあったのですが、途中からはメモだけにしました。

三浦 なるほど。お父上の肉声が聞こえてくるようでした。録音したものをベースにすると、このいきいきしたニュアンスが出ないだろうと思ったので。どのエピソードもインパクトがありました。とても魅力的な部分と、「うわー、このお父さん何とかしてくれー」と思う部分の両方があって。またそれを読者に伝えるさじ加減が絶妙。私もエッセイで、家族について触れることはありますが、肝心な部分はまるで書いていません。家族のことを書くのは難しくないですか?

スー 父も私も露悪的なんです。だからむしろ抑え気味に書いたかもしれません。特に実家を喪失する場面は、いまだに被害者意識が強くあって......。

三浦 ご著書から状況を推察するに、「なんでやねん」という事態ですよね。

スー 「スーパーなんでやねん」ですよ。実際に起きたことをそのまま書こうとするのですが、どうしても被害者面になってしまう。「私は悪くない、悪いのは父だ」と。それを読み返して軌道修正しながら、何とか書き上げた感じです。

三浦 さすがの分析力だと思いました。これまでのスーさんのエッセイでは、例えば「女子」や「マッサージ」などを分析してきたと思いますが、今回はその対象が自分や家族ですよね。しかもその分析は、ただ客観的なものではなくて、お父さまとぶつかったり受け止めたりしながら、自分と相手をより理解しようとした上で行っている。そこが凄い。親のことをちゃんと考えるというのは、面倒なことでもあるじゃないですか。それが私にできるかなと。

スー やるかやらないかの話だけだと思いますよ。一方で、親についてこんなにも明け透けに書いてよかったのかなと思うこともありますし。

三浦 普通は自分の親のことしか知らないじゃないですか。でも、スーさんのご著書を読むことを通して、「他の親とはどういう生き物なのか」を知り、体験することができた。それがとても楽しくて。これまでも親との関係を描いたエッセイはありましたけど、過去を美化して感傷的になったり、あるいはとんでもない毒親だったりという本が多い気がします。けれどスーさんの場合は、そのどちらでもない。「トンデモ父ちゃん」なんだけど、魅力的で、女性にもモテる。

スー そして現在は「一文無し」。娘としては、「何してんねん」という感じなのですが、周囲の人に恵まれたというか、大事にされてきたんだなというのは、あらためて知ることができましたね。

三浦 それが本当のモテでしょう。

スー しをんさんのご家族のことも知りたいですね。

三浦 スーさんのお父上とは正反対です。おしゃれじゃないし、女性にモテないし、洗練されていない。七十歳を過ぎているのに、いまだにレストランとかでオドオドしている。場慣れしていない中学生と同席している気分になります。服を買うのは、大体「青山」で。

スー それはどっちの「青山」ですか?

三浦 地名じゃないほうです。親戚のおじさんの形見分けでもらった服をいつまでも着ていて、ファッションに「自分」というものがない。

スー 一緒に服を買いに行けばいいじゃないですか。

三浦 えっ......父と......服を......。

スー なぜそこで止まるのか(笑)

三浦 考えられません。父の服を選びたいという気持ちが湧かない。

スー 着せ替え人形みたいで楽しいですよ。爺さんが明るい色の服を着ると、ちょっと可愛くなりますし。

三浦 派手な色のものを着ろと、ずっとお父さまに言っていますよね。

スー 放っておくと、ご老人の服は「おでんの妖精」みたいになりますからね。ワンポイントで辛子色のバッグを持ってみたり。

三浦 わかる!

スー この『ビロウな話で恐縮です日記』では、しをんさんのお母さまはよく登場されますよね。

三浦 母は母で、パンチがきいているんですよ。もう敬して遠ざけるしかない。今日も私の仕事している部屋の窓を叩く者がいて、見たら母でした。

スー ええー!

三浦 まあ、一階ですけど(笑)。なぜ玄関ではなく窓なのかがわからない。

スー 母と娘というのも難しいですよね。私の場合は、二十四歳で母が亡くなってしまったので、いい感じに神格化されているんです。今は、父と私しか信者のいない小規模な宗教のような感じです。

三浦 小さいけれど熱烈な宗教。

スー 母が早くに亡くなったから、今こうして父と向き合って、本が書けた。それで気づいたのですが、どうしても親子というのは、親と子としてしか出会えない。だからこれまでは父を「親として何点」としか採点していなくて、一個人として見ることができなかった。それが今回ようやく親にも、親として以外の人生がある、という当たり前のことに気付いたというか。

三浦 普段生活しているなかで、「お父さんはどんな子供だったの?」なんて聞かないですもんね。かといって、あらためて聞くのもなかなか難しい。その意味でも、刺激的でしたね。じゃあうちの家族はどうなんだろうとか、一人の人間同士として向き合ってきたかとか、いろいろ考えさせられました。

スー ありがとうございます。

三浦 だからみなさん読んでください。

スー 「三浦しをんさんも絶賛」とか、SNSなどで拡散してください。もちろん『ビロウな話で恐縮です日記』も。「ド腐れている」が帯のキャッチコピーになっているのはどうかと思いますが、本当にこの人の頭の中がどうなっているのか、小説をお書きになる人はこんなことを考えているのか、というのが実録スタイルで赤裸々に書かれていますので。

三浦 いやいや、スーさんに言われたくない(笑)

 (ジェーン・スー コラムニスト)
 (みうら・しをん 作家)

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