書評
2019年2月号掲載
詩情あふれる唯一無二の青春ミステリー
――結城真一郎『名もなき星の哀歌』
対象書籍名:『名もなき星の哀歌』
対象著者:結城真一郎
対象書籍ISBN:978-4-10-103261-0
結城真一郎『名もなき星の哀歌』は、第五回新潮ミステリー大賞の受賞作である。
これは、記憶にまつわる謎がちりばめられたミステリーだ。同時に、一種のファンタジーノベルのような趣きをもっている。なにしろ、この小説世界では、人々の記憶が密かに取引されるのだ。しかし、それ以外は大きく現実と異なるわけではなく、主役として登場するのは、銀行員と漫画家、それに歌手をめざす女性など、ふつうの若者たちである。それぞれにつらい境遇や過去を抱きつつ、裏稼業にいそしんだり夢を求めたりしている。そんな者たちの探偵物語である。
では、その記憶の取引とはどういうものか。第一章は、薄暗い部屋で三人の男女が机を囲み、大きな水晶玉をまえにしている場面から幕を開ける。ふたりの若者は、水晶玉を使い、中年女性の心のなかにある夫の記憶を抜き取ろうとしているのだ。そこは、忘れたい記憶や嫌な思い出を取り去るだけではなく、他人の記憶を買って自分のものとすることもできる不思議な「店」の一室だった。
ふたりの若者の名は、岸良平と田中健太。大学三年の春に出会い、意気投合したのち、半年後に「店」にたどりついた。そこで営業マンとなったふたりは、きびしいノルマをこなし腕をあげたのちに退屈をもてあまし、「店」に集まった記憶をもとに「探偵」をはじめることにした。
良平と健太は、あるとき駅前の路上にて「星名」という女性の歌声を耳にした。「星名」は各地で神出鬼没のライブを繰り広げるシンガーソングライターで、本名は保科ひとみ。興味を抱いたふたりが、まずつきとめたのは、ひとみの幼なじみに関することだった。その人物は、かつて世間をさわがせた「医者一族焼死事件」の唯一の生き残りであり、莫大な遺産を相続した御菩薩池剛志(みぞろけつよし)だったのだ。
保科ひとみ自身との面会にこぎつけたふたりは、そこで「ナイト」という少年の存在を知る。彼の消息は不明で、すでに死んでいる可能性もあるという。ひとみが全国を飛びまわり各地でライブができるのも、「ナイト」が遺した二千万円を活動費としているからだ。やがて、いくつもの記憶をめぐる謎が思いもよらない真実とともに明かされていく......。
現実にはありえない奇想を作中に持ち込んだミステリーはもはや珍しくないし、記憶の売買というアイデアも、とくに目新しいものとは言えないだろう。それでも、まるで画像や音声のデータをメモリーカードからハードディスクに移し替える作業のごとく誰かの記憶を自在に移し替えることなど、およそ現代科学では不可能なことである。
最初に紹介したとおり、この『名もなき星の哀歌』は、第五回新潮ミステリー大賞の受賞作。選考委員は、伊坂幸太郎、貴志祐介、道尾秀介の三氏である。賞の選評を読むと、この記憶の取引や売買について、貴志氏は「そもそも、記憶を自由に消したり植え付けたりできるという設定なら、ほとんど何でもできてしまう」と厳しく指摘しているし、道尾氏は「すべての読者に対して嘘を信じ込ませるには、応募原稿の時点ではまだ力が足りていない」と述べている。
たしかに現代を舞台にしながら現実離れした虚構やご都合主義の展開が多いと興ざめてしまうもの。だが本作は、リアリズムに徹した小説というより、最初からファンタジー寄りの作風で書かれており、あくまで記憶の売買ができる「店」の存在を前提として話が展開していく。それをすっと受け入れれば、どんどん面白く読めるだろう。伊坂氏の選評に「ストーリーが活き活きしていて、とても完成度が高いと感じました」とあった。語られていく記憶の断片や個々のエピソードが興味深いうえ、プロットの組み立てが巧みで読ませるのだ。絡み合った謎がほぐれていく過程もスリリング。当然、ばらばらになったパズルのピースがぴったりと一枚の絵におさまるときの快感がラストで待ち受けている。
また、漫画家をめざす若者が唯一、新人賞を獲得した作品や歌手「星名」がつくった歌の内容などは、とてもロマンチックで詩情にあふれている。この長編は、フィクションやロマンスを前面に打ち出したからこそ、ほかにない魅力が味わえる小説に仕上がっているのではないか。
『名もなき星の哀歌』は、いまだ子供の心と夢を失っていない者たちに贈る青春ミステリーなのである。
(よしの・じん ミステリー評論家)