書評・エッセイ

2019年2月号掲載

目からウロコが17枚ぐらいはがれた快著

――更科功『進化論はいかに進化したか』(新潮選書)

佐倉統

対象書籍名:『進化論はいかに進化したか』(新潮選書)
対象著者:更科功
対象書籍ISBN:978-4-10-603836-5

 進化論は昔から誤解されてきた。生物の進化はとても長い時間かかって進行する現象なので、人間の直観に反する部分が多い。そのため、それを説明する理論の方がおかしいと思ってしまう人が後を絶たないのである。
 一方で、そんな誤解を解こうという試みは、古今東西、あれこれと工夫して続けられてきた。この本も、そういう一冊だ。だが、稀代の語り上手・更科功の手になるだけに、あちこちに工夫がこらされている。ぼくがいちばん感心したのは、チャールズ・ダーウィンの考えていた理論と、現在の進化生物学とを結びつけていることだ。《進化論=ダーウィン》ではない。だけど、《進化論≠ダーウィン》でもない。この両者のはざまで、どこが「=」でどこが「≠」なのか、丹念に、読みやすく、そしておもしろく語ってくれる。
 進化論についてハナから誤解している人――たとえば、神が生物を創ったと主張する創造論の信奉者たち――がこの本を読んで回心するとは思わない。だが、なんとなく進化論について誤解している人たちにとっては、目からウロコが17枚ぐらいはがれる快著である。それだけでなく、この本は進化の専門家にも有益だ。進化の理論と事実を少し高いところから俯瞰したときに見える風景は、専門家が普段見ているものとはだいぶ異なるはずだ。そこから得るところはたくさんある。
 第1部は「ダーウィンと進化学」と題して、ダーウィンその人が書いたこと、考えていたことを復元しつつ、現在の進化生物学ではどこがそのまま受け継がれていてどこが捨てられているのか、ひとつひとつ再確認していく。いわばおさらい編。
 おもしろいのは、ダーウィンの論敵たちが、かなりきちんとダーウィンの説を理解していたことだ。「キリスト教界の中にも『種の起源』を正確に理解していた人々がおり、(中略)それらの建設的な意見がダーウィンの思索を深め、進化論の発展に寄与した」(38頁)のである。健全な批判が科学の発展に不可欠であることを、端的に示している。むしろ、ウォレスやスペンサーなど、ダーウィンの支持者たちの方が後の世でのダーウィンへの誤解を増幅させたようだ。皮肉なことである。
 第2部「生物の歩んできた道」は、第1部理論編に対する実証編。いろいろな生物の具体的な進化史が、これまた活き活きと描かれる。《ダーウィンが来た! ~古生物学編~》といった感じ。
 恐竜と現在の鳥の関係についての説明が、更科節(ぶし)全開である。鳥が恐竜の子孫であることは広く知られるようになってきたが、さて、昔の恐竜と鳥類の区別はどこにあったのだろうかと考えた後で、彼はこう述べる。
「もしもタイムマシンで白亜紀にワープして、ティラノサウルスの周りを飛び回る恐竜を見たら、鳥と呼ぶか呼ばないかなんて、きっとどうでもよくなる。恐竜の多くは、もともと鳥みたいな生物なのだ。その鳥が、今も生きているのだ」(203頁)
 そう、鳥が恐竜の子孫だという説の是非や真偽ということではなくて、恐竜を目の前に見たときのワクワク感、ドキドキ感が大事なんだ。鳥は恐竜の子孫だという科学的な成果を知ることで、このワクワク感、ドキドキ感が倍増する。
 そしてこう続く。
「たいていの人は毎日のように、カラスやスズメなどを見ていることだろう。それは、恐竜が飛び回っているのを、毎日のように見ているということだ」(203頁)
 視点が一気に現在の日常に呼び戻される。はるか昔の恐竜の世界が、ぼくたちが暮らしている日々の生活の場と直結する。この、視点の瞬間移動をもたらしてくれるのは、やっぱり科学的知識だ。
 そう、科学は、ぼくたちの毎日を楽しく、ワクワクするものに変えてくれる。日々の生活を活き活きとしたものにしてくれる。それは、とても役に立つことではないか。基礎科学は役に立たないというのは、なんと心の貧しい物言いであることか。
 この本を読めば、進化論や古生物学や発生生物学が、どれだけぼくたちのものの見方を豊かにしてくれるか、一目瞭然だ。

 (さくら・おさむ 東京大学大学院情報学環教授)

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