書評
2019年10月号掲載
応仁の乱前夜を描いて心揺さぶられる
三好昌子『幽玄の絵師 百鬼遊行絵巻』
対象書籍名:『幽玄の絵師 百鬼遊行絵巻』
対象著者:三好昌子
対象書籍ISBN:978-4-10-103861-2
2017年、第15回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞『京の縁結び 縁見屋の娘』でデビュー以来、『京の絵草紙屋 満天堂 空蝉の夢』『京の縁結び 縁見屋と運命の子』、本年7月に刊行されたばかりの『群青の闇 薄明の絵師』と、著者はこれまで四作の長編を発表してきた。いずれも、江戸時代の京を舞台にした伝奇時代小説である。タイトルからも窺えるように、このうち二作は絵師を描いたものだ。絵の世界が、かつて画家を目指していたという著者の、追い求めるテーマのひとつであろうことは疑いようもない。
最新作『幽玄の絵師 百鬼遊行絵巻』もまた、作者の本領とも言えるテーマに挑んだ、京に暮らす絵師の物語である。
が、本書はこれまでの作品とは、趣が大きく異なる。第一は江戸期ではなく「応仁の乱」前夜の室町時代を舞台としていること。第二は、主人公をはじめとする実在の人物が数多く絡み、史実を忠実に踏襲していること。第三は、妖の怪異を真正面から採り上げた、初の連作短編集であること。そして何より違うのは、その文学的完成度の高さだ。平凡な言葉で言えば、作家として一皮むけたのである。
物語は長禄四年(1460年)、八代将軍足利義政が、御用絵師土佐光信に、判じ物めいた絵の題材を与えることに幕を開ける。大飢饉や疫病の蔓延、度重なる徳政一揆と戦に伴う火災で民は困窮の極みにあった。鴨川は餓死者の死体でせき止められ、洛中は死者の悪臭に満ち満ちた時代である。にもかかわらず義政は、花の御所(室町御所)の造営のため、徴税に励んで金を湯水のごとく注ぎ込んでいた。逢魔が時、誰そ彼(黄昏)、そして漆黒の闇――物の怪、妖怪、百鬼夜行が当然のごとく信じられていた時代だ。そんななか光信は、義政の命を受けて妖異の謎を解き明かしていく。
「風の段」「花の段」「雨の段」「鳥の段」「影の段」「嵐の段」「終の段」と、本書には七つの短編が収録されているが、それぞれに妖異が登場する仕掛けとなっている。
応仁の乱の前夜、怪異とくれば、司馬遼太郎の『妖怪』を想起する向きもあるだろう。が、両者の興趣はまったく異なる。剣で切り裂く司馬作品は、いわば娯楽性を重視した歌舞伎である。一方、絵筆を振るう本書の趣は幽玄の能――それも、神や亡霊、精霊など、超自然的存在の化身を描く「夢幻能」である。
本書は概ね、時系列に沿って展開するが、唯一「雨の段」は時代を遡り、光信の幼年期を描いている。嘉吉元年(1441年)、光信がまだ八歳の頃のエピソードだ。二歳で絵筆をとり、のちの世に土佐派三筆のひとりと謳われる光信は、その才能の発芽をすでに垣間見せていた。彼がなにゆえ、人には見えぬ妖異の姿を視認するに至ったか。「絵にすることで、命を永遠に紙の上に留め」おくことができるという絵の本質を、幼心に刻むに至ったか。その過去を繙く物語である。ラスト、龍となり宙空へ消えていく鯉の化身に向かい、光信は声を張り上げる。
「私は絵師になる。いつか龍になれるような、そんな強い絵師に......」
登場人物と各段のエピソードが有機的に絡み合い、収斂していく様は、連作短編集の醍醐味を堪能させてくれる。構成力に優れた長編を読んだかのような、満足感を味わえるのだ。
素晴らしいのは、言外に余情を漂わせる第一級の文章力。鏡花水月――その玄妙な筆致は、著者の著しい進境を感じさせる。なかでも、鳥を自在に操る鳥面冠者の正体を暴く「鳥の段」は出色。艶やかなイメージ喚起力といい、哀切極まる魂の叫びといい、綾なす情の機微といい、まったくもって唸るほかない。この章を読むだけで、心揺さぶられる読者は少なくないだろう。
そして、本書の肝となる終章。各段の伏線を回収しきったラスト一行の圧倒的存在感は、まさに画龍点睛の一語に尽きる。従四位下に昇叙し、絵師として最高位に上り詰め本願の龍となった光信同様、魂が昇天したかのような、至福の読後感であった。
中世「百鬼夜行」小説の傑作として後世に残る作品、と断言するに吝かでない。
(ちゃき・のりお 書評家)