書評・エッセイ

2019年11月号掲載

これを読んだある女の話

足立紳『それでも俺は、妻としたい』

内田慈

対象書籍名:『それでも俺は、妻としたい』
対象著者:足立紳
対象書籍ISBN:978-4-10-352911-8

 女は、もはやチカだった。
 そして女にとって、男はもはや柳田豪太だった。

 同作家の『乳房に蚊』は読んでいた。
 主人公・柳田豪太の、働かず逆ギレばかりするクソぶりに呆れつつもあまりのバカさにどこかかわいげを感じ、おまけに同業なこともあって、女は当時結婚したばかりの男と重ねていた。
 あれから数年。
 女と男は倦怠期を迎えていた。セックスレスだった。
 チカの罵詈雑言を心の底から援護射撃したい女は、怒りで先を読み進められなくなっていた。

 女は男に「働け」と言った日のことを思い出していた。
「バイトなんてやってたら疲れてやりたい仕事もやれなくなっちゃうよ! 俺が元気なくなってもいいのっ!?」
 次の瞬間、女は別れようと言っていた。
 男は突然トイレに駆け込んでオェーと吐いている。
「...大丈夫?」女が聞くと、
「は? 別に? 心因性のものだし。で? あなたは俺と別れたいんでしょ? どうぞ話続ければ?」
 と横隔膜を震わせながら弱々しく逆ギレている。"心因性の"ダメージを直撃しながら。
 女は、あまりのバカさに笑いがこみ上げてきて、もうどうでもよくなって、結果許してしまったのだった。
 その後男の生活はあまり変わっていない。

 ある時は、女が飲み会で帰りが朝方になった日のこと。
 男は「浮気してきたんじゃないか」という誇大妄想で滅茶苦茶な事を言い始めたので女は吹き出してしまった。
「そんなにおかしいかよおおぉ!!!」
 男はギターを床に叩きつけ、しばらく暴れた後、ゴンッと音がして静かになった。
 見るとパンパンに膨らんだ足を抱えてじっとしている。
 テーブルを蹴ったらしい。
「...骨折しちゃったかも...」
 病院を調べようと男が探した携帯は、ギターの下でバッキバキになっていた。
 女は引きすぎて引きすぎて、この時も笑ってしまったのだ。それでまた許してしまった。
 その時立て替えた病院代の一部はまだ払われていない。

「そうやってよくも私を騙してきやがったな」
 女が、数年分の後悔と憎しみを全部込めて本を投げ捨てようとしたその時、『乳房に蚊』でも出てきた柳田豪太流バカ丸出し言葉責めセックスシーンが開かれた。
 自称カンパニー松尾さんの真似という普通に気持ち悪いページだが、ふと決定的なことに気付かされたのである。

 女は男と別れようとしていた。
 色々あったけれど、「それでもここでセックスできれば何か変わるかも」と勇気を出して誘った数日前の夜、男が断ったことが決定打だった。
 女は別にセックスがしたかったわけじゃない。
 柳田豪太的にいうと、「突き詰めるとお互いのことなんて、愛しているかわからない。でも愛し合っていると思いたい。だからするのだ」ということだった。

 そして。そもそもこうなった元をたどると、セックスを拒んできたのは自分だったことに気づいた。

 スワッピングパートナーのミナちゃんママが言っていた「求めるだけ偉い」という言葉がよぎる。
 さっきまで気持ち悪いと思っていた柳田豪太が少しだけ、かわいく見えてきていた。

 女は投げ捨てようとしていた本を丁重に置き、携帯を取って男への送信画面を開いた。
"セックスさせてください。お願いします。"
 今日できたら、男をまた笑って許せるかもしれない。

 女は送信ボタンを押した。

 (うちだ・ちか 俳優)

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