書評・エッセイ

2019年12月号掲載

この得も言われぬいとしさはなんだ

千葉雅也『デッドライン』

朝吹真理子

対象書籍名:『デッドライン』
対象著者:千葉雅也
対象書籍ISBN:978-4-10-352971-2

 著者はじめての小説を、以前から楽しみにしていた。ちょうど旅にでかけるまえに掲載誌が届き、分厚い誌面から「デッドライン」のところだけひっちゃぶいて、旅行中、喫茶店をはしごして読み終えた。主人公の「僕」と友達になったような気がしていて、そのひとのことを、誰かと話したくなる。いとしい、という言葉も浮かぶ。なんだかわからないけれど「僕」のことが好きになる。この小説を十代で読む人もいるのかと思うと、うらやましい。たまたま食事の約束をしていた友人に会うなり、「デッドライン」の話をした。メニューをひらく間もなく話しつづけ、「デッドライン」は友達の手に渡った。その友達も読み終えたら、昂奮して誰かに話したくなったようで、四隅のべろべろになった「デッドライン」は人の手から手へとめぐりめぐって、いまはNYで暮らす女性の手もとにある。小説が海を泳いで、いろんな場所へと、回遊している。
 作中の、舞台は二〇〇〇年代初頭の東京。井の頭線沿線に主人公の「僕」は住んでいる。哲学を学ぶ大学院生で、昼間は、ドトールでアイスコーヒーを飲みながら現代思想の本を読み、大学院の演習に出て、仲良しの友人の自主制作映画を手伝ったりする。そして、ときどき、ハッテン場の暗がりのなかで、回遊魚になる。
 ベルガモットのような柑橘系の香水のにおい、パンツに挟んだコンドームの袋が肌にくいこむチクチクさ、氷のとけはじめたピニャコラーダを飲んだときのココナッツのざらざらした舌ざわり、ロイヤルホストのカシミールカレーの唇が腫れるようなひりつく味、そういった体の感覚が、繊細にたくさん書かれる。たえず考えながら生きている僕のすがたは、とてもチャーミングだ。繊細だから、毎日同じ味であるドトールのアイスコーヒーをのんで、安心するのだろうか。そして、異性愛に関してはおそろしく鈍感で、親友ふたりの間に流れた恋愛感情の機微にはまったくもって気づかない。そして二丁目のバーでみかけたアイドルめいた顔立ちの好みの男にむかっての声のかけ方なども、ひじょうに鈍くさくて笑えるのだった。
「金髪と黒い肌のコントラストが鮮やかな、小柄な男がいる。付きすぎていない筋肉の起伏が、上等な木を使った家具のように美しい。こんなにかわいいのに、つっぱって、男らしく、女を引っぱっていこうとするに違いない。もったいない。バカじゃないのか。抱かれればいいのに。いい男に」
 街中を歩いている男を目にして思うことは、どこか腐女子の叫びにも似ている。ゲイバーで、好みの男性と関係を持つための「可能性を広げ」たくて、自分のポジションを暗に示すコースターの色分けをリバの色で選んだり、下北沢の居酒屋で大学の友達と話しながら、遠くにいる白いジャージを着た坊主頭に僕は欲望をむける。僕にとっての男は「同性」でありながら圧倒的な「異性」でもあるのがよくわかる。ノンケの男の粗雑さに呆れもしながら、同時に、ジャージを着て喋る声の調子をきくだけで勃起しそうになる。こうした体への感覚の鋭敏さは、自衛のためにもはたらく。うっかり食事中に噛んでできた口内炎は、それ自体が不快なものだけれど、僕にとっては、夜遊びができないことを意味する。「唇が治るまで待たなければならない。どのくらい時間を置けば大丈夫なのか。二日あれば塞がるだろうか」と考える。口内炎があると、HIVのリスクがあがるからだった。感染リスクはわずかだとしても、たった一回でもなるときはなるのだから、じぶんにとってはつねに、なるかならないかの二択で、確率は関係ない。
 逃げたいけれど時間が追いかけてくるのは、作中後半の展開の速さからも感じる。時間はリニアに進んでしまうから、刻一刻と、修士論文の提出期限が迫る。思うように書けず、そのうえ、父親の経営する会社が倒産したりする。父親からは「お前さあ、周りにゲイだって言ってまわってるのか」と唐突に電話がかかってきたりする。頭を殴られるような不快な内容なのだけれど、親子のやりとりのずれが絶望的なのがぎゃくにおかしくて、おもわず笑ってしまう。ひりひりするようなシーンも多いのに、文章が美しいからか、全体がとても爽やかなのだ。
「僕」には名前がない。人に呼ばれるときは「◯◯くん」としめされる。名前を出さないまま小説はすすめられるけれど、呼びかけられるところをあえて伏せ字にしているのがはじめは不思議だった。それでも読みすすめると、僕は、猫になったり、同級生の知子になったりする。男を欲望するとき、僕は、男になり同時に女にもなる。そのときどきで変化するから「○○」なのが腑に落ちる。
 私たちは、隣にいる相手のいくばくかをいつも交換していると思う。隣にいるだけで、握手をするだけで、私たちは、考え、というより、もっと即物的に、いくばくかの菌を交換している。だから、僕が、暗闇の猫を探しながらじぶんが猫になったり、知子と話しながら知子になったりしているのは、自然なことだ。それは自分でありながら同時に相手にもなっている。互いに少しずつ、何かを受け渡している。

 (あさぶき・まりこ 作家)

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