書評

2019年12月号掲載

知られざる北の戦い

熊谷達也『我は景祐』

縄田一男

対象書籍名:『我は景祐』(新潮文庫改題『我は景祐―幕末仙台流星伝―』)
対象著者:熊谷達也
対象書籍ISBN:978-4-10-134154-5

 面白い男が京に上ってきた。
 鴨川で羽を休める翡翠を見て、
「あの翡翠、広瀬川でも見た気がするのだが......」
 というので、男の連れが、
「まったく同じ翡翠ということにござりますか」
 と問うと、
「さよう」
 と答える。
 翡翠が雁のように渡ってくることはないので呆れていると、この生涯、翡翠を愛した男は、我関せず、という面持ちで川面を眺めている。
 男の名は若生文十郎景祐。仙台藩筆頭奉行(家老)の命を受け、京の情勢を探りにきた人物である。六尺の長身、柔和な色の瞳を持ち、ために人に威圧感を与えることはない。連れの男は従者の小島寅之進。が、彼は、文十郎が、温厚そうに見えるが、実は豪胆な性格の持ち主であることを知っている。
 この春風駘蕩然とした男は、この一巻ではじめて歴史小説の主人公となり、仙台藩ははじめて戊辰戦争を描く軸となり得た。そして作品はまさに巨篇といっていい。
 そして京に着くとその足で藩邸へ行くかと思いきや、さまざまな情報が集まる島原の置屋・田澤屋に居座り、偽名を名乗ってやってきた男を一目で桂小五郎と見破る。
 京の町は、池田屋騒動の直後で、かえってこれで倒幕派の意気がたかまったとされ、小五郎が辛くも救(たす)かったのは、読者諸氏も御承知の通り。
 文十郎は、引き続き情報収集につとめるが、彼が仙台に帰藩したあたりから、話は俄に風雲急を告げるようになる。
 奥羽鎮撫使としてやってきた悪名高き世良修蔵の横暴ぶりに、仙台藩では怒りが頂点に達していたからだ。
 ここで作者ははじめて文十郎の凄味を描く。
 「即刻、叩き斬る」
  憤りも怨念も、およそ情念らしきものをかけらも含まない醒めた声色が、かえって十太夫の背筋に冷たいものを走らせた。
 が、世良の首を落とすことは、奥羽討伐の口実を薩長の新政府に与えてしまうことになる。
 そして会津や長岡を含んだ奥羽越列藩同盟拡大へと物語は続く――。
 その仙台藩の中で主力となり得るのは、
・質実剛健で冷静沈着な若生文十郎率いる折衝隊。
・天衣無縫で直情径行の星恂太郎率いる額兵隊。
・大胆不敵で海千山千の細谷十太夫率いる鴉組。
 といった面々である。
 そして文十郎は、
「薩長の本音は、あくまでもおのれが政治の中枢にいて天下を意のままに操ること。衆議公論のもとに共和の政治を目指す我々とは、根元の部分で相容れぬ」
 と、結論を出す。
 そして、後半は遂に泥沼の戦闘に――。
 そんな中、訪れた幸運は、上野から逃れ、仙岳院に入った輪王寺宮が、仙台城に入城し、遂に奸賊たる薩長討伐の令旨を発し、さらに、会議所から公議府と名前を変えた白石城に入り、奥羽越列藩同盟の盟主に就任する段取りとなったのである。いわば、北方政権の誕生である。
 が、その一方で秋田藩の離反からはじまる同盟のなしくずし的崩壊がはじまる。
 その中で文十郎は、多くの民百姓の辛苦を顧みぬ武士の面目を保つための戦いになりつつあることを深く後悔。これが結末近くの感動への伏線となって活きてくるのである。
 しかし、このような有様と成り果てつつも、新政府軍に救けてもらおうと、奸党派=主戦派狩りを行う背信の徒が横行する。
 そして、最後まで、人間の善悪と欲望が交錯する戦いの果てに空高く飛ぶものは何か――。
 知られざる史実を描破し切った労作に頭を下げずにはいられない。

 (なわた・かずお 文芸評論家)

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