書評・エッセイ

2020年4月号掲載

日中が「戦争状態」だったころの人間的な友好の絆

加藤徹・林振江『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡(新潮新書)

西川恵

対象書籍名:『日中戦後外交秘史 1954年の奇跡』(新潮新書)
対象著者:加藤徹・林振江
対象書籍ISBN:978-4-10-610855-6

「李徳全(りとくぜん)」という懐かしい名前を聞いたのは、旧知の新潮社編集者Y氏を交え、何人かで昼食をとっている時だった。いま李徳全についての本を作っているというY氏に対し、名前を知っていると手を挙げたのは私だけだった。新中国の若々しい清新なイメージと密接不可分に結びついている李徳全は、日中友好の点からも忘れ得ぬ人だ。
 私が東京外国語大学の中国語科に入学したのは一九六六年。中国語科は二クラス、学生は合わせて六十人だった。日中に国交はなく、人的交流もほとんど絶えていた当時、中国語科を志した学生たちには、私もその一人だったが、社会主義革命の息吹に燃える中国を知りたいという強い思いがあった。そこには日本が中国を侵略したことへの贖罪意識も絡んでいたし、全国民が団結して「人民に奉仕する」をスローガンに国造りに励んでいる(と伝えられていた)中国への羨望のようなものもあった。
 そうした中国観を醸成するのに大きな役割を果たし、日中友好ムードの頂点を画した出来事が五〇年代にあった。中国紅十字会会長の李徳全(一八九六年~一九七二年)率いる中国代表団の訪日だ。五四年と五七年の二回にわたる訪日は日本の世論から熱狂をもって迎えられた。なぜか。それは中国代表団、特に団長の李徳全に、日本の人々は新中国の新しい人間像を見たからだ。
 本書は、中国と日本赤十字社が取り組んだ、中国大陸に残された日本人引き揚げ事業を軸に据え、李徳全とその代表団の一四日間に及ぶ第一回訪日の、表舞台、そして裏舞台を丹念に追う。対日関係打開の突破口にするべく、訪日を何としても成功させるよう指示する周恩来、対米関係への配慮や台湾と国交をもつ日本政府の及び腰、対中貿易再開に期待を寄せる経済界、妨害工作に出る右翼......。
 中国側の周到な準備も興味深い。随行員に若手や女性を起用してソフトなイメージを前面に出し、通訳の若い女性には赤と緑のチーパオ(チャイナドレス)を着せる。実力者の廖承志(りょうしょうし)はカメラの前に出ないよう心がけた。しかしこの訪日成功の鍵は一にかかって李徳全その人にあった。
 彼女は叩き上げの共産党員ではない。夫の馮玉祥(ふうぎょくしょう)は国民党の幹部で、日中戦争の時は蒋介石政権の要職にあった。夫婦してキリスト教の熱心な信者で、戦後は国共内戦に反対して夫婦で米国に渡る。中国共産党の進歩主義に共感して、蒋介石政権打倒を国際世論に訴える。新中国成立直前、家族で中国に戻る途中、夫と娘は不慮の事故で亡くなるが、李徳全は新中国に要人として迎えられた。
 李徳全の来日中、平塚らいてうは三回、言葉を交わし、その印象を「角のないまるい大きな自然石」と書いた。根っからの共産主義者ではない、大人の風格をもった李徳全を通して、中国にゴリゴリの共産主義でない、進歩性と寛容性を見た日本人は少なくなかったと思われる。
 この日中関係の大きな転機となったのが、私が大学に入った年の夏に発動された文化大革命だった。最初は真相が皆目分からなかったが、次第に共産党内部の激烈な権力闘争であることが明らかになっていく。日本も影響を免れず、李徳全一行を守るため私設警備隊を組織した友好団体などの民主勢力は、文革支持派の中国共産党系と、反対の日本共産党系に分裂していった。
 この文革の冬の時代と並行して、七二年の国交正常化、さらに文革後七八年の中国の改革開放によって、日中は新しい友好の地平を見出すのである。左翼勢力主導の政治が突出した友好関係から、自民・公明党から社会党まで幅広い世論を基盤とした経済協力主体の友好関係だ。
 今も日中の友好関係は、とても盤石と言えるものではない。しかし、亡くなって間もなく半世紀になる李徳全の今日的意味は、筆者たちが指摘するように「記憶遺産」として、彼女が日中友好の象徴的存在として在り続けていることだろう。
 中国の革命の父・孫文を物心両面で支えた貿易商の梅屋庄吉、魯迅など中国知識人と親交を結んだ書店主の内山完造など、両国の近現代史において「記憶遺産」に名を連ねる人物は少なくない。日中の友好に尽くした人物を数多く共有することは、経済協力だけでは得られない血が通った人間的な友好の絆を作る。本書を読んで改めて思う。

 (にしかわ・めぐみ 元毎日新聞外信部長)

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