書評
2020年10月号掲載
寄る辺なき旅人の話
恒川光太郎『真夜中のたずねびと』
対象書籍名:『真夜中のたずねびと』
対象著者:恒川光太郎
対象書籍ISBN:978-4-10-135132-2
人生でどうにもならなくなったときは逃げればいいと思います。たった一つの価値観による道だけがあるわけではないし、そのまま潰れてしまうのならば、まずは回避するより他はない。しかし、当事者からすれば、逃げろといわれても途方にくれるのかもしれません。いったいどこにどれだけの間逃げればいいのか。戻る場所もなく、行くあてもなく、何も解決しないまま、事態はよりいっそう悪くなり続けるのではないか。外野は無責任になんでもいえますが、逃げても死なぬ限りは、逃げた先の道が続くのです。
本作は「いなくなった誰かを探す」もしくは「自分がどこかからいなくなる」というテーマが共通したホラー風味の中短編が五編収まっています。
最初の物語の主人公アキは、阪神大震災で家族を失った少女ですが、ひきとられた縁者に虐待されて失踪し、頼るべきものもなくさまよっているところに占い師の老婆と出会い、老婆のもとで暮らします。そのあとはちょっと気味の悪いゴーストストーリーのような展開になるのですが、以降のお話ではかつては失踪者であったアキが成長し、人探し専門の探偵・秋として顔をだします。「ずっと昔、あなたと二人で」という第一話のタイトルは、誰と誰で二人なのか、いろんな解釈が重なるようになっています。次の作品「母の肖像」の主人公の一馬(かずま)は、自立した青年ですが、幼少期に殺人鬼の父と、薬物中毒の母に育てられた経験をもっています。この物語は一馬のところに、母親に依頼された探偵・秋が姿を現すところからはじまります。その他にも、己がひき逃げした被害者への贖罪のために正体を隠してつきまとう加害者や、身内の犯罪により、歪んだ制裁意識を持った何者かにつきまとわれる加害者家族の女性を視点にした失踪の物語や、死体を捨てに来た女と出会った男の話などが収められています。
一つ一つの状況は異なるものの、本作に入っている話は全て、寄る辺なきはぐれ者の物語といっていいでしょう。登場人物たちは不可避ともいえる理不尽な出来事か、あるいはもともとの性格や生育環境により、なんらかの孤立に陥ります。彼らには立身出世や自己実現に、心を割く余裕などありません。作品の一つには〈家が裕福だから働かない〉登場人物もでてきますが、否応なしに孤立と理不尽が襲ってくることに貧富など関係ありません。裕福ではあるが社会的に無生産なこの人物も、ままならない人生を送り、ある種の狂気に取りつかれます。一説には鬼や山姥のルーツとして、その時代の社会から脱落したアウトサイダーの姿を見ることがありますが、本作の登場人物たちも、近代化以前なら、鬼や山姥と呼ばれかねない道に足を踏み入れていきます。
しかし、寄る辺なきはぐれ者になってしまったらすべての道が閉ざされるわけでは決してないのです。はぐれ者だからこそ見ることができる風景、入ることのできる細道、到達できる境地というものがある。社会のしがらみから抜け出した先には解放感がある。闇の中を手探りで進むような彼らの旅には、時には爽快な一場面や、胸が切なくなるような人との交流や、心が温まる休息もでてきます。
本作はその最後の短編にて、家も仕事も友人も持っている男が、寄る辺なきはぐれ者になってしまった女と出会います。女と別れたあと、その行く末をいったん心配しますが、そこで、いやあの女は強いのだ、心配などいらない、と認識を改め、思い直すところで話が終わります。
これまで自分が発表してきた作品は多くが if の空想によるSFか、異界ホラーや児童文学的なファンタジーの要素が強いものが多かったのですが、今作はどの作品も超自然の成分がかなり控えめで、犯罪や社会不安などを背景にしたリアリズム寄りの作風になっています。現実の事件も創作に影響を与えており、これまで発表したどの作品よりも、やり場のない怒りや、孤独、儘ならない人生に対する諦念のようなものが、『真夜中のたずねびと』には溶かし込まれていて、そのせいで本作は、少しずつ暗くなっていく冬の夕暮れに、枯れた木立のなかを歩いているようなイメージがあります。
執筆時期が重なるところで、風呂敷の大きい世界滅亡SFである『滅びの園』やファンタジー色の強い短編集『無貌の神』があり、片方でそうした超自然要素の強いものを書いていたので、『真夜中のたずねびと』用の作品を書くときは気分転換として超自然抑えめで創作のバランスをとっていました。しかし、リアリズム寄りとはいっても、やはりどの作品にも、なんらかの怪異が立ち現れ、また登場人物の見る風景にも、淡い幻想色があるので、本作は現代の奇談、怪談という表現で紹介するのが最もふさわしい中短編集かもしれません。
(つねかわ・こうたろう 作家)