書評
2020年12月号掲載
ほら穴の聖母
松下隆一『羅城門に啼く』
対象書籍名:『羅城門に啼く』
対象著者:松下隆一
対象書籍ISBN:978-4-10-104991-5
本書『羅城門に啼く』は、小説家・松下隆一の第一時代長篇であり、2019年4月に創設された「京都文学賞」一般部門の第一回受賞作品でもある。
冒頭に小説家と断ったのは、作者はこれまでに脚本家として活躍しており、時代劇に限っても、「
本書は、その松下隆一の野心作であり、舞台は平安時代の京。羅城門周辺の洛中洛外で、聖と俗、罪と罰、生と死をめぐる重厚な人間ドラマを紡ぎ上げた力作である。
主人公はオレ=イチという名の悪党で、クマとヤマという悪党仲間とつるんで、裕福な油商人の家に押し入り、その油商人夫婦を惨殺、娘の片耳を切り落として立ち去るも、捕えられてしまう。この三人のうち、クマは処刑され、ヤマは洛外へ追放となり、イチは辛くも通りがかりの上人に助けられる。両親の顔を知らず、イチは幼少期に奴婢として売り飛ばされた過去を持つ。そして売られた先の「マムシ屋敷」で、イチは、母親に会いたいというジンに近親憎悪的な思いを抱き、逃亡の手助をするようなふりをして、つかまるように陥れる。が、イチが手引きをしたと密告した者がいて、彼は片目に焼きごてを押しつけられてしまう。
私はいま、イチが近親憎悪的な思いを抱き、と書いたが、実は彼のいちばん古い記憶は、「乳の甘い匂い――それがオレの頭の底に泥みたいに眠る、一番古い思い出」だったのである。この母と子、あるいは子と母というテーマは、本書を貫く太い柱の一本であり、それは、作品の後半に登場する脇役の産婆にまで及んでいる。
それは、人を殺し女を犯し、「世の中のものをみんなめちゃくちゃに」したいとうそぶく悪党に残された、一片の人間性であったのか――。
そのイチを救い出したのは、「その風体は坊主ではないのに、確かに坊主にしか見えない」、これまでに、極悪非道なふるまいを重ねてきたイチが思わず「釘づけにされてしまうような気を放っている」男。そしてひたすら「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」を唱えている。この人物こそ空也上人であり、本書の最も太い柱ともいうべきテーマは、空也上人と出会ったことによるイチの変化であろう。
上人は、乞食のおこぼれにありつきたいのなら、百のむくろを墓場までかついでこいという。はじめは己の欲のため、病の老爺が死ぬのをじっと待っていたイチであったが、次第に上人のことばが身にしみ、女を抱くというはじめの目的はどこかに吹き飛んでしまい、ひたすらむくろを運び続ける。そんなイチに上人はいう――「欲しがるのやない、与えるのやぞ。極悪非道の人でなしやったお前が救われる道はそれしかない」。「与えることは己が空っぽになってゆくということや。誰かに何かを求めて、得てばかりいると、愚かしい欲も積もってゆく。ええか。捨てるに捨てられんようになるから苦しい、それなら、はなから持たぬことや。何事にもとらわれるな」と。
そして上人は「なむあみだぶつ」をとなえることによって、悪人も往生出来るという。が、その上人ですら、「己の身と心さえも捨てたい」と苦悩の淵に佇立していることに慄然とせざるを得ない。
そして、イチは、身籠った遊女を救けるが、上人は、いったん救けたなら成し遂げてみいという。森のほら穴で遊女キクと暮らすようになるが、キクの片耳がないのを知り、イチは、それが誰だか分かり、己の業の深さを知る。そしてあろうことか、イチは、「遠い昔の産まれたばかりの自分を思い起す」キクの発する「忘れかけていた匂い」を通してキクに恋慕の情を抱いてしまう。
が、二人の前に、突然、ヤマが現われ、キクはイチの正体を知ってしまう。そしてヤマが死の間際でささやくのは、意外や、「……母さん」の一言。さらに物語のラスト、「父さま……母さま……」といい乍ら、上人のいう、己を捨てて、あるものを与えたキクこそは本書のキーパーソンであり、正にほら穴の聖母というべきであろう。
一人の悪党の成長を通して、人間を深く見つめた本書は、松下隆一を広く世に知らしめる一巻として、長く記憶されることになるに違いない。
(なわた・かずお 文芸評論家)