書評・エッセイ

2021年1月号掲載

まだ見ぬ女性の〈声〉に打たれた書店主は

アントワーヌ・ローラン『赤いモレスキンの女』(新潮クレスト・ブックス)

辻山良雄

対象書籍名:『赤いモレスキンの女』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:アントワーヌ・ローラン/吉田洋之訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590170-7

 本書の主人公は書店主である。それも家業を受け継いだわけではなく、銀行でのキャリアをなげうち、自ら進んで書店の仕事に金と人生をつぎ込んだ男......。
 日本にも時々そうしたローランのような人物がいて、わたしもそのひとりだ。わたしたち自営業の書店主は、自らの人生を、この手で掴むようにして生きたいといった実存的な欲求に駆られ、店をはじめる。つまりは大好きな〈本〉に、いつでも囲まれていたいのだ。そうした人間はオフィスにいると、いつしか「自分は人生を台無しにしている」と思いこむようになり、やむにやまれぬ気持ちで「手すりを乗り越えて」しまうのかもしれない。
 しかしローランがそのように、〈本〉に憑かれやすい人物であったからこそ、残されていたハンドバッグに入っていた「モディアノ」は、見逃されずにすんだともいえる。彼は朝の散歩途中で見つけた、遺失物と思われる女性用のハンドバッグを、様々な事情から警察に届けることができなくて、それを一旦持ち帰った。誘惑に負けハンドバッグを開いてみると、そこには持ち主の女性を示す様々な身の回りの品と一緒に、滅多に人前に姿を現すことのない、伝説的な作家パトリック・モディアノのサイン本が入っている。そのとき彼は「動きを止めた」のであった。
 書店主にとってみれば、商売の源泉である〈本〉を生み出す作家は創造主、さらにいえば"神"のような存在である。彼はバッグの持ち主をつきとめようと、探偵さながらの行動にでるが(ローランはここでも程度を乗り越えてしまう)、その心境は砂漠のなかで信仰を同じくする人と、運命的に出会ったようなものではなかったか。自分が危うい行動に出ているとは知りつつも、「同じ作家を愛する」という幸運な符合に、彼は賭けてみたくなったのだろう。
 そしてバッグには、もう一つローランの心を大きく動かすものが入っていた。見知らぬ女性の秘めた思いが、数十ページにわたり綴られた、赤いモレスキンの手帳である。
 私は人物の登場しない風景画が好き。
 私は赤アリが怖い。
 本書のもう一人の主人公である、ロールの〈好き〉や〈怖い〉もののリストは、このようにして続いていくのだが、それは本来、人に見られるはずのものではなかった。彼女だけのものであったそのことばは、それを読んだローランのなかで、次第に消すことのできない存在となっていく。
 ことばには、読んだ人を掴まえてしまう力があるのだろう。手帳に書き付けられたロールのリストは、ローランだけに宛てられた手紙として、彼の心の奥底に直接届いてしまったのかもしれない。いまは見たものや思ったことが、すぐさまSNSで拡散されていく時代だが、そこで使われることばの多くは、一瞬のあいだ人目に触れ、あとは流されてしまう消費財のようなものだ。本書でローランは、まだ見ぬロールの〈声〉に打たれ、彼女のもとへ辿りつこうとするが、それはことばを生業とし、その力を信じている書店主らしいふるまいともいえる(その一方で物事に急な展開を与えるのは、彼の現代的な娘であることが面白い)。
 こうしたひそかな追跡を、完成度の高い、芳醇な物語にまで膨らませているのは、著者の確かな技量である。書店の描写は見てきたように鮮やかだし、使われている多くの固有名詞が、いまパリで生きることの息吹を伝えている。人物たちはそれぞれの個性を見せつつも、その違いがかえって重層的なアンサンブルとなり、著者の振るタクトによって、最終的には一つの流れに収斂される。
 そうしたすべての動きが自然であり、読んでいてストレスを感じさせない。この感じ、どこかで体験したことがあるなと思っていたら、エリック・ロメールやフランソワ・トリュフォーといった、同じ国の巨匠の名前がすぐに思い浮かんだ。そう、楽天的でありながら、生きるほろ苦さをしっかりと残した美しいフィルムの数々である。
 いろいろ大変だけど、生きること自体がすばらしく、かけがえのないものなんだ。
 そうしたメッセージが伝わってくる、大人のための人生賛歌である。

 (つじやま・よしお 書店「Title」店主)

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