書評・エッセイ

2021年3月号掲載

僕たちは綻びを抱えたまま

岸政彦『リリアン』

浅生鴨

対象書籍名:『リリアン』
対象著者:岸政彦
対象書籍ISBN:978-4-10-350723-9

 そもそも僕は岸政彦の大ファンで、たしか最初は『ビニール傘』を読んで何とも言えない衝撃を受け、そこから学者として書かれたいくつかの書籍にも手を出し、さらには著者が個人的につくって配っていた小冊子までをも、あれこれルートをたどって入手するほどのマニアだから、この『リリアン』の書評を依頼されたときには、きっと書評ではなく単なるファンレターになってしまうだろうなと思いつつも、こんなチャンスはもうないかもしれないぞとミーハー心で即座に飛びついた。
 本作の題名からまず僕の頭に浮かんだのは、小学生時代に同級生の女子たちが休み時間に触れていた不思議な道具と、その底からニョロニョロと垂れる組み紐の思い出で、あれはいったい何だったのか、どうして彼女たちが夢中になっていたのかは今でもわからないままだ。それでも、その光景が頭に浮かんだ以上はなぜか原稿を読む前に自分でもあの不思議な編み物をやっておかなければならないような気がした僕は、近所の百円ショップへそそくさと出かけてリリアンのセットを買ってきた。パッケージの裏に書かれた説明書の文字は最近急激に老眼の進んだ僕の目にはなかなかつらかったが、なんとかセットしてリリアンを編み出した。
 何度か編んでいるうちにだんだん要領がわかって、ピンのついた筒状の道具を回しながら編み目をつくっていると、やがて道具の底から弱々しい組み紐が垂れてくる。なるほど。リリアンとはこういうものなのか。
 そうして僕は原稿を読み始めた。もしここに登場するリリアンがこの編み物でなかったらいったい何をしているのかという話になるのだけれども、リリアンはやはり僕の頭に浮かんだリリアンだった。よかった。
 主人公はベーシストである語り手の「俺」。けれども作中でその名が呼ばれることはない。そんな俺となんとなく付き合うようになる美沙さんには大きな後悔があり、その美沙さんからせがまれて繰り返し語るリリアンの思い出には俺の苦い後悔がある。俺と美沙さんとのやり取りには鉤括弧が使われていないため、二人の会話は区切りなく溶け合い、やがて地の文とも混ざって、現実とも夢ともつかない不思議な感覚を読み手にもたらす。そこにあるのは永久に解りあえないと知りながら、それでも理解したいという強い渇望だ。登場人物は、誰もが傷つき悩み、それでもやさしく笑っている。そして、彼らとの交わりの中にしか俺は存在できない。組み紐の中空が編まれた糸の内側にしかないのと同じように。
 本作の舞台になっているのは古く薄汚れた大阪の街で、そこではあらゆる色に墨が混じり、物語の隅々までが煤けているのに、どこか懐かしい匂いが漂っていて、たびたび描かれる闇の暗さとその中に浮かぶ様々な光の描写が、かつて手が届きそうだった何かを諦めつつも、まだ諦めきれずにいるもどかしさを、その匂いとともに僕に感じさせる。
 何に使うのかさっぱりわからない組み紐は、中空を抱えて伸びていく。しばらく編み続けて、ようやくある程度の長さになった組み紐を手に取ると、きつく編まれた部分と緩く編まれた部分があってなんとも無様だし、ところどころ編み目をつくり損なって綻びになっている個所もある。
 小さな失敗は、組み紐の中に永久に留まって、あとからではもうどうすることもできない。人生もまた同じなのだろう。後悔はいつまでも僕たちの胸に残り、ふとしたときに記憶とも夢ともわからない鈍く煤けた物語としてよみがえってくる。
 くるくると回るリリアンの筒は、循環コードのように一定の規則で編み目をつくっていく。傍から見れば同じ作業を繰り返しているだけだ。でも、編まれる糸は一定ではない。同じ曲を演奏しても毎回何かが違うのと同じように、あるいは水面や光の揺らぎが無限に繰り返されながらも、けっして同じ形にはならないように、まったく同じことは二度と起こらない。
 音の美しさがあらかじめ決まっていたとしても、奏でる者がいなければその美しさは生まれないと俺は言う。だから何度も失敗し後悔の綻びを抱えても、僕たちはなんとかその音をなぞろうとするのだろう。互いに綻びを抱えたまま、誰かと音を重ねたいと願う。ただ一度だけを繰り返しながら、僕たちは生きていく。
 やさしく他者たちが混ざり合うこの世界にしばらく浸っていたい。そう思っているところで物語は唐突に終わる。ここから先は、僕自身で編むしかないのだ。

 (あそう・かも 作家)

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