書評・エッセイ

2021年6月号掲載

フェア新刊 クロスレビュー

音楽史から見る「権力」と「社会」

バッハからショスタコーヴィチまで音楽は何を語るのか

井上章一

対象書籍名:『社会思想としてのクラシック音楽』
対象著者:猪木武徳
対象書籍ISBN:978-4-10-603867-9

 日本の大都市では、中心街区に超高層ビルの宏壮な姿を、よく見かける。林立しているエリアも、なくはない。他の建物を見おろす、そのたたずまいは圧倒的である。都市景観のなかでは、いちばんきわだっている。
 江戸時代までなら、市中でいちばんめだったのは城郭であったろう。とりわけ、天守閣は周囲からあおぎ見られている。それらは、大名とよばれた支配者たちの、その象徴的な建築であった。
 その意味で、超高層ビルは現代の城郭であり、天守閣なのだと言える。現代社会を席巻するブルジョワジーたちの、それこそ根城にほかならない。今日の都市景観は、権力のにない手が領主から資本家へかわったことを物語る。
 そして、超高層ビルは、かならずしも単体で威容を見せつけているわけではない。たいてい、きそいあうかのように高さや大きさをほこるビルが、複数存在する。ひとつの街に、大名の城郭だけが屹立していた江戸期とは、様子がちがう。
 現代社会に君臨するブルジョワジーの拠点は、市中に点在しているということか。その光景は、権力もまた、ひとつがきわだたず、分散していることをほのめかす。あるいは、網の目状にひろがっていることを。
 室町時代までの権門勢家は、自分たちの居館や基地を、あまり大きくかまえない。彼らが建築的な情熱をかたむけたのは、宗教施設であった。彼らじしんの世俗的な拠点ではなく、寺院などの構えで見栄をはったのである。
 それだけ、聖なるものには遠慮があったのだろう。しかし、江戸期には世俗の権力が、自らの館を民衆の前へおしだした。宗教の権威を前に、自分たちの身をかがめようとはしなくなる。安土桃山時代は、その移行期として位置づけうる。
 このおおざっぱな見取図が、どこまで正鵠をいているかは、さだかでない。しかし、街にならぶ建築のありかたは、まちがいなく大きな変貌をとげてきた。そして、その変容は社会や権力のうつりかわりをしめしていると考える。
 ただ、こういう話に建築好きの人たちは、あまり興味をしめさない。それよりは、松本城と松山城の優劣などを語りたがる。あるいは、六本木ヒルズ森タワーやNTTドコモ代々木ビルのはなつ異彩に、話題があつまりやすい。建築史の叙述も、すぐれているとみなされた建物の歴史を、ふつうはおいかける。権力や社会の推移などは、関心の埒外におかれるものである。
 ながながと、建築の話をつづけてきた。これには、訳がある。じつは、音楽をあつかうこの本も、権力や社会のありかたをうかびあがらせようとしている。
 ヨーロッパでは、一八世紀に教会の枠からとびだす音楽が、つくられだす。ミサ曲ではなく、オペラへ音楽家たちが力をこめるようになりだした。ミサそのものも、カトリックへ奉仕する度合いを弱めていく。器楽曲の普及も、教会ばなれの勢いとともにある。交響曲や弦楽四重奏曲などの成立も、そのことと無縁ではない。ソナタ形式の登場も、この同じ趨勢にうながされていた。
 ひとつの旋律を美しくひびかせるために、伴奏がそえられる。この形も、一九世紀的な市民社会のたまものであるという。ただ、ひいでた音楽家たちは、かつての対位法がもたらす宗教的な効果も知っていた。だから、ブルジョワの世紀をむかえてからも、その技法を手ばなそうとはしない。あのワグナーでさえ。
 デモクラシーの時代は、音楽鑑賞のありかたもかえていく。とりわけ録音と複製の技術的な発達は、不可逆的な変化をもたらした。その詳細にも、著者の分析はおよんでいく。
 これは、音楽そのものを論じた本ではない。音楽史の推移からすけて見える社会変動を、とらえようとする一冊である。ついでに言えば、デモクラシーの成立を、かならずしも歓迎していない。音楽的には、こまったところもいろいろあると説いている。私には、そこがいちばんおもしろかった。
 ただ、一般のクラシック愛好家が、こういう話をよろこぶかどうかは、わからない。やはり、多くのマニアは鑑賞の耳を語りあうことに、興じやすいだろう。ベートーベンのピアノソナタは、ギレリスかリヒテルか。朝比奈隆のブルックナーは、ほんとうのところどうなんだ、などというように。
 そして、この本はそういう問題にも、しばしば言いおよんでいる。著者じしんの鑑賞歴から名演の数々を紹介するくだりも、けっこうある。耳のこえたマニアもうならせる読み物になっている。
 音楽史からうかがえる社会の変容を、えがきだす。それが経済学徒である自分の役割だと、いっぽうでは言っている。だが、それだけにはとどまっていない。余談として、音楽そのものへの言及も、あちこちでしめされる。
 アドルノの分析を、こう論評するくだりがある。「アドルノの中産階級批判には、中間層に対する優越感が潜んでいる」。だが、アドルノの音楽的な実力を考えれば、「このエリート意識は自然なもの」だろう。「哲学者の余技」ではない「迫力」が、アドルノにはある、と。
 著者もまた、現代の「ダヴィッド同盟」にくみする一人であるらしい。今紹介したアドルノへの讃辞は、この本にもつつしんでささげよう。

 (いのうえ・しょういち 風俗史研究者・国際日本文化研究センター所長)

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