書評

2021年9月号掲載

一生に一度の作品

貫井徳郎『邯鄲の島遥かなり 上』

貫井徳郎

対象書籍名:『邯鄲の島遥かなり 上』
対象著者:貫井徳郎
対象書籍ISBN:978-4-10-303873-3

タイムスパンの長い話を書きたいという漠然とした願望は、中学生の頃から持っていました。「グイン・サーガ」や「銀河英雄伝説」に憧れていたのです。一方で、そんな長い小説を書いても、デビューできないだろうという常識もありました。
 現実にミステリ作家になって、「長い物語」を書くことは諦めかけていました。スチュアート・ウッズの『警察署長』のような三代記も考えていたのですが、構想力が必要だし、歴史の勉強もしなければならないから無理かなと。それが『赤朽葉(あかくちば)家の伝説』や『警官の血』といった近年の作品に触れて、願望が具体的になってきました。そして、どうせなら三代記より長い話にしようと考えたのです。
 五十歳が目の前に見えてきた頃、ここで書くしかないと思いました。というのは、ぼくは明治百年に当たる年の生まれです。五十歳の年が、ちょうど明治百五十年。このタイミングを逃したら、もう書けない。
 勉強も足りなかったのですが、背中を押してくれたのは、夢枕獏さんの話です。時代物を書こうとした時、先輩作家から「書きながら勉強すればいい」と言われたというのです。そんな時に、小説新潮で連載の依頼があり、遂に書き始めることにしました。
 今回は書き慣れたミステリではないのですが、不思議なほど苦労はありませんでした。ミステリ的なオチのない話はどうやって書いたらいいかわからないと思っていたのに、特に意識しなくても、ミステリ的とは違う結末が浮かんできました。
 ぼくの作品は、重くて、読み始めるのに気合が必要だとよく言われます。今回も分厚いのが三冊ですが、むしろ普段より気軽に楽しんでいただけると思います。バカバカしいと笑ってもらえる話もありますし、全く貫井徳郎らしくない読後感のはずです。今までぼくの本は重くて嫌だと遠ざけていた方にこそ、ぜひ手に取ってほしいです。
 今でしか書けなかった、自分にとって奇跡的な作品かもしれません。小説家にとって一生に一度の作品があるなら、ぼくの場合は、この『邯鄲の島遥かなり』がまさにそれです。ぜひ読んでください。こんな面白い小説の作者になれて、本当に幸せです。(談)

 (ぬくい・とくろう 作家)

『邯鄲の島遥かなり 上』7つの物語
 第一部 神の帰還
〈新たな神話が生まれる〉
御一新直後、神生(かみお)島に一ノ屋の末裔、イチマツが帰ってきた。神々しい美貌に島の女たちは魅入られていく。
 第二部 人間万事塞翁が馬
〈しみじみ爽快な成長譚〉
イチマツの子は、体のどこかに特別な徴(しるし)がある。顔立ちは平凡、言葉が遅い平太にも。だが彼には意外な能力が。
 第三部 一ノ屋の後継者
〈笑って泣ける人生の物語〉
島にいるイチマツの子の中から、晋松(しんまつ)がくじ引きで跡継ぎに選ばれた。本人は父親譲りの美貌と信じているが……。
 第四部 君死にたまふことなかれ
〈女たちの反乱が始まる〉
与謝野晶子に傾倒する容子もまたイチマツの血筋。彼女の周りに島の女たちが集まり、従順さをかなぐり捨てる。
 第五部 夢に取り憑かれた男
〈宝探しに生涯を賭ける〉
イチマツの孫・小五郎(しょうごろう)は、幕末に消えた徳川御用金が、この島の洞窟の奥深くに隠されていると信じていた――。
 第六部 お医者様でも草津の湯でも
〈予測不可能な悲喜劇〉
皮肉にも、イチマツの血筋に美女は生まれない。しかし、鈴子だけは絶世の美少女。男たちを狂わせてしまう。
 第七部 才能の使い道
〈親と子。深い感動の一編〉
良太郎は神童だった。いずれは有名画家と両親は信じた。だが良太郎は絵筆を捨てる。子の才能とは、進路とは。

『邯鄲の島遥かなり 中』
 第八部~第十三部
 6つの物語(9月下旬刊行)
『邯鄲の島遥かなり 下』
 第十四部~第十七部
 4つの物語(10月下旬刊行)

『邯鄲の島遥かなり』の基礎知識

神生島
江戸から遠く離れた小さな島。明治初期の主要産業は漁業。のちに一橋(いちはし)産業によって他の産業も発展する。
くが
「りくち。地面」(新潮国語辞典)。神生島では、本土を「くが」と呼んだ。
一ノ屋
島の特別な家系。何十年かに一度、いい男が生まれ、島に福をもたらす。イチマツは一ノ屋の最後のひとり。
一橋産業
一ノ屋の血筋が興した会社。さまざまな産業で島を発展させ、本土にも進出する。多くの島民が働くことになる。

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