書評・エッセイ

2021年9月号掲載

私の好きな新潮文庫

想像するおいしさ その自由な世界

稲田俊輔

対象書籍名:『南極料理人』/『文人悪食』/『青べか物語』
対象著者:西村淳/嵐山光三郎/山本周五郎
対象書籍ISBN:978-4-10-115351-3/978-4-10-141905-3/978-4-10-113403-1

(1)面白南極料理人 西村淳
(2)文人悪食 嵐山光三郎
(3)青べか物語 山本周五郎


面白南極料理人書影  先ずは、誰が読んでも間違いなくお腹が痛くなるくらい楽しめる、西村淳『面白南極料理人』を。私自身もひとりの料理人として日々痛感しているのですが、料理人というのはある意味因果な商売です。いつだってその根底には「目の前のお客さんにおいしいものを食べて欲しい」というプリミティブな願いがありつつも、実際はそれで利益を出さねばならない、評判を取らなければいけない、誰からも嫌われない料理でなければいけない、という浮世のしがらみに囚われ続ける宿命にあります。
 そういう浮世とは、良くも悪くも隔絶された南極基地。そこで料理担当として腕を振るう作者の日々は、食べることくらいしか娯楽のない極限の環境で周りの仲間たちを喜ばせる、というゴールだけを目指して常にまっしぐらです。食材や調理環境の制約はあれど、ある意味それは料理人にとってのユートピアなのかもしれません。

文人悪食書影  続いてご紹介したいのは嵐山光三郎『文人悪食』。夏目漱石や森鴎外ら三十七人の文豪の、食にまつわるエピソードが書かれています。現代とは全く異なる当時の日本人の食習慣や食に対する価値観が興味深く、また、「元祖・食本」を紹介する読書案内としても貴重な本なのですが、そんなことより何より印象的なのは文豪たちの奇人変人ぶり。こんな人たちが実際周りに居たら、そりゃまあ楽しいかもしれないけどたまったもんじゃないな、という濃いエピソードが満載でゲップが出そうです。それはどこか七〇~八〇年代のロックミュージシャン達の(半ば演出的な)奇行とも重なるものがあります。時代はいつもどこかでそういうアンチヒーローを求めているものなのかもしれません。
 ちなみにそれを嬉々として語る著者本人も、文豪たちに負けず劣らず「変」です。

青べか物語書影  その『文人悪食』でも取り上げられている山本周五郎の代表作のひとつが『青べか物語』。この小説には当時の様々な食生活が印象的に描かれており、中でも極め付きのシーンが「もくしょう」と題された一編に出てきます。
 化粧っ気もなく無愛想な洋食屋の跡取り娘おさいは、ある時真面目で寡黙な船乗り元井エンジと恋仲になります。ところが些細なすれ違いがきっかけで、おさいは一方的にエンジを捨てて他所の街に嫁に行き、結局一年ほどで夫と死別。幼子を連れて再び実家の洋食屋で働き始めた彼女は、かつてとはうって変わって美しく着飾り、愛想よく酔客たちをあしらうようになっていました。
 そのおさいがある夜、元井エンジの独居を訪れ復縁を迫ります。エンジはおさいに捨てられて以来すっかり心を閉ざし、仕事で船に乗る以外は家に籠って独り言を呟きながら一人将棋を指すばかりの毎日。そしてその時も、おさいが過去の出来事を謝り「あたし、いつでもいいのよ」と誘惑するのを無視して一人将棋を指し続けます。諦めたおさいはエンジの家を後にし「へっ、うみどんぼ野郎」「うすっ汚ねえもくしょうめ」と悪態をつく、という救いのない物語。
 おさいが去り際にこんなことを言います。
「あたしうまいライスが出来るのよ〈中略〉とても玉葱とヘットだけだなんて思えないほどうまいのよ、これからはちょいちょい来てよ」
 初めてこの話を読んだ時、僕は「なんて酷い女だ」と思いました。そのライスは確かにうまそうでしたが、しかしいかにも安っぽい。出戻りで肩身の狭い彼女は跡継ぎのためにかつての恋人を利用しようとしている。そしてすっかり垢抜けた彼女は男を心底馬鹿にしているから、その程度の食べ物で釣れるだろうと値踏みしている。
 しかし何度めかに読んだ時、その印象が突然ガラっと変わった瞬間がありました。彼女の悪態は悲しみの中の精一杯の強がりだったのでは、と思い始めたのです。玉葱ライスは、かつての恋人と地に足のついた生活をしたい彼女の切ない想いの象徴。作者はそのどちらの解釈も許すかのように多くを語りません。いずれにしても玉葱ライスはただただおいしそうです。ヘット(牛脂)は当然自家製でしょう。味付けはどういうふうだったんだろう。僕は勝手にウスターソース味で想像しています。

 (いなだ・しゅんすけ 料理人)

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