インタビュー

2021年9月号掲載

interview

初の小説と母との別れ。

マーティン・ウォルク 聞き手
木原善彦 翻訳

オーシャン・ヴオン

幼くしてベトナムからアメリカに渡り、11歳まで文字が読めなかった少年は、長じて数々の栄誉を手にする若き詩人となった。そして2019年、初の長篇小説がベストセラーに。母の急逝を経た作家が、自身と小説について語る。

対象書籍名:『地上で僕らはつかの間きらめく』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:オーシャン・ヴオン/木原善彦訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590173-8

詩人であり小説家でもあるオーシャン・ヴオンに言わせると、二〇一九年は“ジェットコースター”のような一年だった。六月に刊行された小説デビュー作『地上で僕らはつかの間きらめく』は各紙誌で絶賛され、瞬く間にベストセラーとなった。
 九月にはマッカーサー財団から“天才”助成金を受けることが決まり、少なくとも今後五年間は経済的な心配をする必要がなくなった。それから六週間もしないうちに、母のローズがステージ4の乳がんと診断され、間もなく五十一歳で亡くなった。
 母の死は“大きな裂傷”であり、今もそれは癒えていない、とヴオンはインタビューで答えた。しかし他方で、二十五年間ネイルサロンで働いていた母に、作家として成功する姿を見てもらえたことを彼は喜んでいる。
「母はこの十年間、ようやく楽しく暮らせるようになっていました。僕も成功して、親孝行ができました。これができる人は多くありません」と彼は言う。「母の苦労がこうして実を結ぶのを見せることができたのは、僕にとって大変幸せなことです」
 ベトナムの米農家に生まれ、二歳のときに難民としてアメリカにやって来たヴオンは、二〇一六年に『射出孔のある夜空』(「射出孔」とは銃弾が体を抜けていった穴のこと)で文壇に登場した。この詩集はエミリー・ディキンソンと比較され、賞金五万ドルのホワイティング賞をはじめとして、詩の世界の最高の栄誉をいくつも獲得した。
『地上で僕らはつかの間きらめく』は主人公が母親に宛てて書いた手紙という形式の小説だが、その母親は英語をほとんど話せず、読むことはまったくできない。ヴオン自身の詩からタイトルを取ったこの小説は、“白さ”、男らしさ、暴力、そしてアメリカとベトナムとの苦難に満ちた関係といったテーマを扱っている。
 この本は虚構(フィクション)と回想録の間、そして詩と散文の間にある境界線を曖昧にする。表現は叙情的で、言葉は削り込まれ、警句の集まりのようだ。本の中心近くに置かれた章は全体が、主人公の恋人を偲ぶ散文詩であり、ヴオンの憧れる作家の一人、アレン・ギンズバーグを彷彿とさせる感情の発露だ。
 詩を書くのも散文を書くのもどちらも苦にならないと言うヴオンは、両者を「エネルギーの伝導体」の違いだと表現する。「僕はむしろ、同じエネルギーを違う伝導体に注ぎ込んだときに、結局何が伝わるかを見届けることに興味があります」
 ヴオンはしばしばこういう言い回しをする。三十一歳の彼は深く文学を愛する作家で、マサチューセッツ大学アマースト校の准教授としてアメリカ文学の正典(キャノン)を研究している。そして自分に影響を与えた作家として、ジェイムズ・ボールドウィン、トニ・モリスン、ウィリアム・フォークナー、ジョン・アシュベリーなどを挙げる。
 ヴオンはコネチカット州ハートフォードの労働者階級の暮らす地域で、母親と祖母と伯母に育てられた。ヴオンは十一歳になるまで文字を読めなかった。
 驚くべきことに、彼は小説の着想の源として、一八五一年に出版されたハーマン・メルヴィルの名作『白鯨』を挙げる。実験的な形式、“白さ”、男らしさ、アメリカの“明白な運命(マニフェスト・デスティニー)”(米国の拡張主義は神に与えられた使命だとする考え方)についての思索がその理由だ。「『地上で僕らはつかの間きらめく』は、ベトナム系アメリカ人であることと同様に、“白さ”についての物語でもあります」とヴオンは言う。
 そして彼はトレヴァーという登場人物を例に挙げる。トレヴァーはコネチカット州のたばこ農家の貧しい孫で、リトル・ドッグと呼ばれる語り手は彼と肉体関係を持つ。「僕はこの本で、特にニューイングランドの労働者階級における白人の男らしさとは何か、と真剣に考えました」とヴオンは言う。「ニューイングランドで育ち、そこで学校に通った僕は、男らしさに深く根ざした毒が、大人か子供かを問わず、周りの男たちにどれほど破壊的な影響を及ぼすかを目の当たりにしました」
 戦争の暴力はこの小説の中心的なモチーフであり、すべての主要登場人物に影響を与えている。中でも世代を超えて大きな影響を持っているのがベトナム戦争だ。語り手の母と祖母はベトナム戦争を経験している。小説の最初の方に置かれた、胸が苦しくなる場面では、アカゲザルに対する野蛮な行為と、リトル・ドッグの祖母と母が緊迫した検問所で兵士のライフルと向き合う場面が重ねられる。ヴオンの言葉を借りるなら、そこでは「銃を後ろ盾にした通行許可と蛇腹式の柵とが二つの世界を区切っている」。
「僕はあの戦争にまつわる善と悪との物語には興味がありません。四百万以上の民間人と六万のアメリカ兵を失った戦争に勝者はいません」とヴオンは言う。「僕が興味を持ったのは、人間の暴力が残した遺産を調べ、そこにある無意味かつ不条理な原理を見つけることでした」

僕と戦争との間には興味深い緊張関係があります。
だって、戦争がなければ僕はここにいないはずですから。

 禅宗の仏教徒であり、自らを菜食主義(ビーガン)の平和主義者と称するヴオンは、この場面にはそうした自分のアイデンティティーの一部が反映されていると語り、自分が特定コミュニティーの“案内役”と決めつけられることにいらだちを感じている。
「多くの批評家は“これは移民の物語だ”とか、“ゲイの物語だ”とか、ひょっとすると“労働者階級の話だ”などと言うでしょう。でも、作家は単にそれだけの存在ではありません……人間が子供たちに爆弾を浴びせるのも不思議ではありません。だって僕たちはアカゲザルみたいな動物を拷問するような生物種なのですから」
 小説の中でも、現実の人生と同じように、ベトナム人とアメリカ人の経験が長年の戦争とその余波によって密接に絡み合っている。ヴオンの祖父はアメリカの軍人であり、著者は戦争という暴力が自分――ベトナム系アメリカ人の詩人――を生み出した奇妙な力学について頻繁に考察を加える。ヴオンは公共放送網(PBS)のインタビューで、「僕と戦争との間には興味深い緊張関係があります。だって、戦争がなければ僕はここにいないはずですから」と語っている。「アメリカ人であるということの本当の意味は、その緊張関係を認めることなのです」
 十一月に母親が亡くなったことは、彼にとって大変な試練だった。「悲しみはそれ自体が一つの世界です」と彼は言う。「いや、一つの国と言った方がいいかな。そして僕はその国を訪れたばかりの移民です。よその国に行ったときと同じように、そこ独自の法律やルール、物理規則を学ばなければなりませんし、一度に学べるものでもありません。だから、調子のよい日もあれば悪い日もあるのです」

 “When everything changed: Novelist Ocean Vuong reflects on a year of intense highs and lows”
 First published on The Los Angeles Times, Jan. 8, 2020.

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