書評
2021年10月号掲載
新潮クレスト・ブックス タナハシ・コーツ『ウォーターダンサー』刊行記念特集
差別と貧困の根源に挑んだアメリカで最注目の論客
対象書籍名:『ウォーターダンサー』(新潮クレスト・ブックス)
対象著者:タナハシ・コーツ/上岡伸雄訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590174-5
「白いアメリカ」は、僕たち黒人の肉体を支配し、管理するための独占的なパワーを守ろうと勢揃いしたシンジケートだ。
*
これは、タナハシ・コーツの『世界と僕のあいだに』の一節である(池田年穂訳、慶應義塾大学出版会)。アメリカの黒人は隠しようのない肉体的特徴によって区別され、劣る者たちとして扱われてきた。そのことを「肉体を奪われている」と表現し、その意味や起源を考察する本だ。息子に語りかける形で、こうした状態でいかに生きるかを説いている。
タナハシ・コーツは、この『世界と僕のあいだに』で全米図書賞を受賞し、アフリカ系アメリカ人のスポークスパーソン的な存在になった文筆家である。一九七五年生まれで、大学在学中から文筆活動に入り、「アトランティック」誌を中心に論説を次々に発表、アメリカの差別について鋭い考察を示してきた。それらはボルティモアの貧しい黒人地区に育った生い立ちと、ヒップホップやコミックなどの多様な文化への関心、そして歴史に関する豊富な知識に基づいており、アメリカが抱える問題がいかに根深いか、黒人たちがいかなる心情を抱えて生きているかを生々しく描き出している。いまは亡きトニ・モリスンは、彼をジェームズ・ボールドウィンの再来と評価した。
彼のほかの著作としては、『美しき闘争』(奥田暁代訳、慶應義塾大学出版会)と『僕の大統領は黒人だった』(池田年穂・長岡真吾・矢倉喬士訳、慶應義塾大学出版会)がある。前者はボルティモアの犯罪多発地区で育った生い立ちと、急進的な黒人解放闘争の闘士であった父の影響を語る回想録。後者はオバマからトランプの時代にかけて書いた評論を集めたもので、なかにはオバマ自身との対話も含まれている。彼のこうした著作を読んでいくと、黒人差別がいかに社会に構造的に埋め込まれてきたか、黒人たちがいかに不利な立場に立たされ続けてきたかがよくわかる。
言うまでもなく、「黒人の肉体を支配し、管理する」ことが字義どおりの形で、組織立って行われてきたのが、北米で十七世紀から十九世紀まで実践されてきた奴隷制である。いまも続く差別、そして黒人たちの相対的貧困の根源が、ここにあることは間違いない。コーツはその立場から、アメリカ政府は奴隷制に対する賠償金をアフリカ系アメリカ人に支払うべきだと主張している。
コーツ初の小説、『ウォーターダンサー』は、彼の奴隷制への関心から生まれた本である。彼は奴隷の逃亡に身を捧げたハリエット・タブマンの物語に魅せられ、彼女に関する本や、彼女を助けた活動家、ウィリアム・スティルの著作などを読んでいったという。スティルは逃亡奴隷の記録を詳しく残した人物であり、彼の著作は奴隷制や奴隷解放活動の貴重な資料となった。それが本作のなかでも生かされている。
『ウォーターダンサー』の舞台は十九世紀半ばのアメリカ南部、ヴァージニア。主人公の若い奴隷、ハイラムは、奴隷主が奴隷に産ませた子供だが、にもかかわらず母は彼が幼いときに別の地域に売られてしまう。このような試練を幼少期に経験しながらも、彼はある特別な能力と類まれな記憶力に恵まれており、それを生かして奴隷の身分から脱却。さらにハリエット・タブマンその人や、ウィリアム・スティルをモデルとするホワイトなどとも知り合って、奴隷解放の活動に身を投じることになる……。
タイトルの「ウォーターダンサー」とは、黒人奴隷たちの踊りの一つ、「ウォーターダンス」の踊り手のこと。このダンスは、水を入れた水がめを頭に載せ、中身をこぼさずに踊るもので、実はハイラムの能力と大きく関わっている。ハイラムの母はウォーターダンスの名手であり、彼の能力が呼び覚まされるときは、踊る母の幻影が必ず現われる。彼の能力を呼び覚ます(そして制御する)鍵が母の記憶と水であるらしい。しかし、何でも記憶できる彼なのに、母のことだけはよく思い出せない。それはなぜか? どうしたら母の記憶を取り戻せるのか? 物語はその答えに向かってスリリングに展開していく。
物語の重要な要素には、黒人たちの家族像もある。母を奪われたハイラムが、同じように子供たちを奪われたシーナという老女と築く二人だけの家族。フィラデルフィアで知り合った自由な黒人たちの明るい家庭。そして、ハイラムが愛する女性、ソフィアとのあいだに模索する対等な関係。虐げられた者たちが大切に育てようとする愛こそ、読後の心に残る部分であろう。
(かみおか・のぶお 翻訳者)
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これは、タナハシ・コーツの『世界と僕のあいだに』の一節である(池田年穂訳、慶應義塾大学出版会)。アメリカの黒人は隠しようのない肉体的特徴によって区別され、劣る者たちとして扱われてきた。そのことを「肉体を奪われている」と表現し、その意味や起源を考察する本だ。息子に語りかける形で、こうした状態でいかに生きるかを説いている。
タナハシ・コーツは、この『世界と僕のあいだに』で全米図書賞を受賞し、アフリカ系アメリカ人のスポークスパーソン的な存在になった文筆家である。一九七五年生まれで、大学在学中から文筆活動に入り、「アトランティック」誌を中心に論説を次々に発表、アメリカの差別について鋭い考察を示してきた。それらはボルティモアの貧しい黒人地区に育った生い立ちと、ヒップホップやコミックなどの多様な文化への関心、そして歴史に関する豊富な知識に基づいており、アメリカが抱える問題がいかに根深いか、黒人たちがいかなる心情を抱えて生きているかを生々しく描き出している。いまは亡きトニ・モリスンは、彼をジェームズ・ボールドウィンの再来と評価した。
彼のほかの著作としては、『美しき闘争』(奥田暁代訳、慶應義塾大学出版会)と『僕の大統領は黒人だった』(池田年穂・長岡真吾・矢倉喬士訳、慶應義塾大学出版会)がある。前者はボルティモアの犯罪多発地区で育った生い立ちと、急進的な黒人解放闘争の闘士であった父の影響を語る回想録。後者はオバマからトランプの時代にかけて書いた評論を集めたもので、なかにはオバマ自身との対話も含まれている。彼のこうした著作を読んでいくと、黒人差別がいかに社会に構造的に埋め込まれてきたか、黒人たちがいかに不利な立場に立たされ続けてきたかがよくわかる。
言うまでもなく、「黒人の肉体を支配し、管理する」ことが字義どおりの形で、組織立って行われてきたのが、北米で十七世紀から十九世紀まで実践されてきた奴隷制である。いまも続く差別、そして黒人たちの相対的貧困の根源が、ここにあることは間違いない。コーツはその立場から、アメリカ政府は奴隷制に対する賠償金をアフリカ系アメリカ人に支払うべきだと主張している。
コーツ初の小説、『ウォーターダンサー』は、彼の奴隷制への関心から生まれた本である。彼は奴隷の逃亡に身を捧げたハリエット・タブマンの物語に魅せられ、彼女に関する本や、彼女を助けた活動家、ウィリアム・スティルの著作などを読んでいったという。スティルは逃亡奴隷の記録を詳しく残した人物であり、彼の著作は奴隷制や奴隷解放活動の貴重な資料となった。それが本作のなかでも生かされている。
『ウォーターダンサー』の舞台は十九世紀半ばのアメリカ南部、ヴァージニア。主人公の若い奴隷、ハイラムは、奴隷主が奴隷に産ませた子供だが、にもかかわらず母は彼が幼いときに別の地域に売られてしまう。このような試練を幼少期に経験しながらも、彼はある特別な能力と類まれな記憶力に恵まれており、それを生かして奴隷の身分から脱却。さらにハリエット・タブマンその人や、ウィリアム・スティルをモデルとするホワイトなどとも知り合って、奴隷解放の活動に身を投じることになる……。
タイトルの「ウォーターダンサー」とは、黒人奴隷たちの踊りの一つ、「ウォーターダンス」の踊り手のこと。このダンスは、水を入れた水がめを頭に載せ、中身をこぼさずに踊るもので、実はハイラムの能力と大きく関わっている。ハイラムの母はウォーターダンスの名手であり、彼の能力が呼び覚まされるときは、踊る母の幻影が必ず現われる。彼の能力を呼び覚ます(そして制御する)鍵が母の記憶と水であるらしい。しかし、何でも記憶できる彼なのに、母のことだけはよく思い出せない。それはなぜか? どうしたら母の記憶を取り戻せるのか? 物語はその答えに向かってスリリングに展開していく。
物語の重要な要素には、黒人たちの家族像もある。母を奪われたハイラムが、同じように子供たちを奪われたシーナという老女と築く二人だけの家族。フィラデルフィアで知り合った自由な黒人たちの明るい家庭。そして、ハイラムが愛する女性、ソフィアとのあいだに模索する対等な関係。虐げられた者たちが大切に育てようとする愛こそ、読後の心に残る部分であろう。
(かみおか・のぶお 翻訳者)