書評・エッセイ

2021年11月号掲載

心の奥の美しい洞窟

北杜夫/斎藤国夫編『憂行日記』

待田晋哉

対象書籍名:『憂行日記』
対象著者:北杜夫/斎藤国夫編
対象書籍ISBN:978-4-10-306239-4

 今回、刊行された『憂行日記』は、作家の北杜夫さんが十八歳だった旧制松本高校に入る直前の昭和二十年六月から二十二年十二月まで、六冊のノートにつけた日記を翻刻したものだ。旧制麻布中学から松本高校を経て東北大学医学部に進んだ北さんの学生時代については、エッセー『どくとるマンボウ青春記』に詳しく描かれている。大学時代の日記はすでに『或る青春の日記』の題で刊行されており、本書はその前半部分と言える。
 昭和二十年五月に東京の山の手を襲った空襲により、自宅が焼けた北さんは、小学生のときからつけた日記を失っている。一年生のとき、図画で九一式戦闘機を濃い鉛筆で描いたこと。七畳半の押し入れの下に詰め込んだ自分の財産のガラクタ一式。箱根の登山電車の懐かしい響き……。本を開いてまず胸を打たれるのは、北さんが子どものころの記憶を忘れないために、細々とした思い出の出来事を新しい日記の中で再現しようとしていることだ。
 けれど、北さんが生きた時代は、この美しい童話のような世界を紡ぎ直すことさえ許さなかった。昭和二十年八月十五日、日本は終戦を迎える。
「神国日本は侵されたのだ。遂に我等の敵に降服したのだ。嗚呼、三千年の伝統は昨日遂に侵されたのだ」
 小さなころの思い出に浸ることと昆虫が大好きだった十八歳の若者は、終戦の混乱の中に突き落とされる。食糧難による学校の一時閉鎖、歌人の父、斎藤茂吉の山形県大石田への隠遁、新円切り換えをはじめとする経済的混乱。めまぐるしく変わる世相に翻弄されながら、夏目漱石やドストエフスキーをはじめ読書に明け暮れ、父の歌にひかれて短歌を詠む。山に登り、昆虫の観察を続け、学校の駅伝大会で活躍し、インターハイを目指して卓球に打ち込んでゆく。
 ただ、どれほど学生生活を謳歌していても、北さんの心の中で、失われてしまった小さな美しい世界を思う気持ちは消えなかったのかもしれない。
 日記の後半は、日々の出来事のほとんど全てが詩の形を取るようになる。

 たそがれに ひぐらしひとつ
 都路に ひぐらしひとつ
 かなかなと 夢をさそひぬ
 幼き日の夢 しましかへりぬ

 人間の心の奥には、小さな洞窟があるとよく言われる。その暗い壁には、子どものころの記憶が美しい絵として刻みつけられている。多くの人は年齢を重ね、他人と接することによって、洞窟の中に光が当たるようになる。心の壁画は自然と色あせて、大人の世界に旅立ってゆく。
 その壁画が自然と薄れゆく前に、戦争によって乱暴にその絵自体が損なわれてしまったとき、永遠に失われたことによって、心の中で壁画は、痛切な哀惜の念とともに一層鮮やかな光を放つようになったのではないか。
 心の洞窟からあふれ出してしまった光は、勁(つよ)く、密やかに、詩の一行となってノートに降り積もり、北さんを創作へと導いていった。裏地が透けるような澄んだ言葉で、幼年期の心の世界へと遡っていったデビュー作『幽霊』を作家が書き始めるのは、この日記を終えてから三年後のことだ。
 生前の北さんには、一度だけ取材をさせていただいたことがある。二〇〇七年にエッセー集『どくとるマンボウ回想記』を出されたときだ。当時、七十九歳だった作家は、東京・世田谷のご自宅にうかがった私にすぐ、ビールを勧めてくださった。自身の作品について尋ねると、「自分で納得できる作品は、『楡家の人びと』、初期の短編の幾つかだけ」だと率直に振り返られた。
 当時は、あれほどの人気作家が語った言葉の真意がよく分からなかった。かけがえのない子どものころの記憶が、戦争と戦後の混乱の中で極限まで研がれた感受性によって昇華された作品、切迫した営みに、愛着を持ち続けたということだったのだろうか。
 今となっては、聞き直す術もない。素直に飲んだ方が喜んでもらえるのではないかと、ぐっと飲み干したビールの味を思い出しながら、ただ、日記の優しい文字を眺めるだけだ。


 (まちだ・しんや 読売新聞文化部次長)

最新の書評・エッセイ

ページの先頭へ