書評

2021年11月号掲載

ミルドレッドによせて

サマセット・モーム『人間の絆』

あさのあつこ

対象書籍名:『人間の絆』(上・下)(新潮文庫)
対象著者:サマセット・モーム/金原瑞人訳
対象書籍ISBN:978-4-10-213030-8/978-4-10-213031-5

 ほんとうに久しぶりに、『人間の絆』を読み返した。最初に読んだのは、十代の終わりだったはずだ。岡山の田舎町から、世界有数の大都会トーキョーに出てきて間もないころだったのではと、記憶を手繰ってみた。が、なにしろ、ン十年も昔のことで、それでなくともこのところとみに覚束なくなっている記憶はさらに覚束なくなり、くっきりと蘇ってはくれない。しかし、金原瑞人訳の新たな『人間の絆』を読み進めていくうちに、鮮やかに蘇生する記憶があった。感情の記憶だ。
 十代のわたしに物語のおもしろさを教えてくれたのは、海外ミステリー、今では古典の部類に入るだろう、コナン・ドイルやエラリー・クイーン、アガサ・クリスティーといった作家の作品群だった。そして、物語の美しさを教えてくれたのが、サマセット・モームの『人間の絆』だったのだ。それを思い出した。そして、もう一つ、物語とはこの世に、こんなにも魅惑的な人間を生み出せるのだと、眩暈(めまい)のする想いに囚われたことも、思い出した。
 うまく説明できない。それが、歯痒いし情けなくもある。
 冒頭場面が好きだった。主人公フィリップがまもなく息を引き取ろうとする母親の許に連れて行かれるシーンだ。
〈朝から雲が低く垂れこめ、じめじめして寒く、いまにも雪が降りそうだ。乳母が子どもの寝ている部屋にやってきて、窓のカーテンを開けた〉
 物語の最初の二行だ。光はほとんどない。陰鬱で死の気配が濃く漂う。それは、ン十年前に読んだ時も、再読した今も変わらない。明るさなど欠片もない白黒、あるいは灰色の世界から『人間の絆』は始まる。なのに、美しいのだ。色彩溢れる光景とは対極にあるこの暗い一場面が息を呑むほどに美しい。視力に拠るのではなく、直接、人の感情に訴えかけてくる美しさだ。生の風景でもない。映像でも絵画でもない。物語だけの美しさだ。
 そうか、文章で描写するって、この美しさのことか。
 十代のわたし(しつこくて、すみません。読み終えた今、心はすっかり十代です)は、心身を震わせた。あのとき、そうかと頷いたはずなのに、三十年以上物書きを続けてきた今、文章で描写する美しさが何なのか、まったく掴めていない。でも、心身が震えたこと、果てない物語の美しさに触れたことだけは事実だったのだと、ぐらつきかけた奥歯で噛み締めている。そして、そして、そして。
 ミルドレッド。彼女は健在だった。いや、さらに魅力を増して、わたしの前に現れた。十代のわたし(さらにしつこくて、すみません)は、ミルドレッドの魅力に打ちのめされるような、押し流されるような感情を味わった。ああ、思い出す。どんどん思い出す。ミルドレッドは悪女だ。フィリップを翻弄し、騙し、蔑ろにし、金を巻き上げて利用し、絶望と怒りだけを残して去っていく。他人の尊厳を平気で踏みにじる。悪女も悪女、どうしようもない女だ。なのに、惹かれた。暗く光沢のある闇に引きずり込まれるように惹かれた。なぜ、彼女はこんなに魅力的なのだろう。金原氏の訳で、ミルドレッドの悪女振りはより際立ち、より生々しくなった気がする。彼女のことがわかるのだ。その愚かさも、その醜い性根も、その破滅的な生き方もわかる。物語の中からくっきりと浮かび上がってくる。何というか、二十一世紀の今、ここにいてもおかしくないと思わされるのだ。雑踏の中を歩いていても、すぐ傍らで生きていても、おかしくない。そう思えるのだ。
 フィリップもサリーもクロンショーもノラも、一人一人にスポットが当たり、人としての輪郭が明瞭になった気がする。血肉も骨も心もある者として、その吐息や体温や肌の質感までもが伝わってくる。文章で人間が立ち上がってくる。その中でひときわ眩しく、雄々しくミルドレッドは存在するのだ。フィリップとの最後の別れ、彼女は腕を掴み説得しようとするフィリップを振り払い、突き飛ばし、ミュージックホールの中に消えていく。
 何てすてきなんだろう。最後の最後まで、どうしようもない悪女のままだったミルドレッドに縋りついて、「すてきです」と一言、告げたい。
 悪女で娼婦。そんな人間がこんなにも魅力的なのだよと誰も伝えてはくれない。物語だけが伝えてくれた。常識からも良識からもはみ出したところで、人間を語る。物語の持つ力を、新訳『人間の絆』は静かに示している。


 (あさの・あつこ 作家)

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