書評
2022年7月号掲載
桑田佳祐の言葉を語ろう。今こそ。
スージー鈴木『桑田佳祐論』
対象書籍名:『桑田佳祐論』
対象著者:スージー鈴木
対象書籍ISBN:978-4-10-610954-6
職業柄、若者向けの音楽雑誌をたまに読むことがあるのだが、ほとんどの記事が、歌詞ばかりを云々していることに驚く。
「●●(音楽家名)が放つ待望の新曲は、彼の心の深淵を、かつてないほど赤裸々に発露したメッセージが響き渡る、10年に1枚の大傑作だ」
音楽評論家として、歌詞ばかりが云々されるのはバランスが悪いと思っていた。ポップスの持つ文学的な要素だけでなく、音楽的要素がもっと語られ、楽しまれるべきだと考えていた。
だから執筆活動や番組出演において、簡易楽譜を使ったり、コードを擬人化したり、演奏したりしながら、音楽的要素までも含む、言葉本来の意味での「音楽評論」を確立すべく努力してきた。
そんな中、久々に歌詞のことに目を向けてみたら、「作品がもっとも知られているのに、その作品の凄みがもっとも知られていない作詞家」がいることに気付いたのだ。
その作詞家の名は――桑田佳祐。
拙著『サザンオールスターズ 1978-1985』(新潮新書)に記したように、音楽家・桑田佳祐の最大の功績は、ロックのビートに日本語を乗せる方法を確立したことだと思うので、その日本語(歌詞)自体の作品性については、相対的に認識されにくかったのかもしれない。
また、タイトルからして『勝手にシンドバッド』『マンピーのG★SPOT』『ヨシ子さん』だから、桑田佳祐の言葉は、顔付きからして批評を拒否しているとも言える(それでも今回の新刊は、これら3曲の批評に臆せず取り組んだ)。
しかし、である。だからと言って、音楽評論家として、これら珠玉のフレーズの広さ・深さ・奥行きを測定しなくていいものかと思ったのだ――「芥川龍之介がスライを聴いて“お歌が上手”とほざいたと言う」「安保(まも)っておくれよLeader 過保護な僕らのFreedom」「20世紀で懲りたはずでしょう?」
この本の仕上げ段階で、桑田佳祐らによる『時代遅れのRock’n’Roll Band』がリリースされた。歌詞の中で桑田佳祐は、自分たちが「時代遅れ」だという彼一流(なのです)の自虐を見せる。
だとしたら、桑田佳祐の歌詞を云々する、それも最近の音楽雑誌のような厚ぼったいタッチではなく、例えば「20世紀で懲りたはずでしょう?」のような、ある意味、昨今いちばん取り扱いにくいメッセージについて、ストレートに斬り込むなんて、まさに「時代遅れの音楽評論家」だ。
でも書くんです。ってか、書きました。そして世に問います。何の忖度か「メッセージソング」に臆病な若手音楽家を尻目に、還暦超えのオヤジたちによる『時代遅れのRock’n’Roll Band』が、あんがい新鮮に響く世の中に向けて。
(すーじー・すずき 音楽評論家)