書評

2022年8月号掲載

アンデシュ・ハンセン『ストレス脳』刊行記念特別寄稿

知ることが救いになる、こともある

田村淳(ロンドンブーツ1号2号)

対象書籍名:『ストレス脳』(新潮新書)
対象著者:アンデシュ・ハンセン/久山葉子訳
対象書籍ISBN:978-4-10-610959-1

 この本は、きっと誰かの救いになるはずだ。
 そう感じたことをまず書いておこうと思う。
 僕はHSPという気質を持っている。
 HSPとはHighly Sensitive Personの略で、生まれつき「感受性が非常に強く、敏感な気質を持った人」の意味で、「繊細さん」と言った方が通じるだろうか。
 僕がそのことに気づいたのは、まさにその『「繊細さん」の本』の著者である武田友紀さんとラジオ番組でご一緒した時だった。最初は、へえ、そんな人がこの世にはいるのか、くらいに受け止めていたのだが、自分に当てはまることが多すぎる。HSPの専門カウンセラーである武田さんも、「淳さんはまずHSP」と言う。チェックシートをチェックしたら、まんまとそうだった。
 その時の気分はどうだったかというと――ホッとしたのだ。自分はHSPだったのか、と安心したのだ。HSPの存在をその番組で知ったばかりだというのに。
 僕は昔から、神経質だとか潔癖性だとか言われてきた。内心、「違うのにな」と思いながら、でもその居心地が悪い感じのまま僕は40過ぎまで生きてきた。
 例えばドアノブが気になる。鍵穴を中心に、人の顔に見えてしまう。二つ穴が開いているような物でもそうだ。やっぱり人の顔に見える。一回そう見えてしまうと他の物に見えなくなる。その顔に見られているような気がして仕方なくなり、集中が完全にそちらに奪われる。
 顔に見えちゃうんだよね、と人に相談しても、「気のせいだよ」「気にすんなよ」と返される。気にしていることを気にするなというアドバイスは何の役にも立たない。僕は自分がどこかヘンなのだろうな、と思いながら過ごしてきたのだ。
 風呂場のシャンプーやリンスの容器の裏が汚れていないか気になる。人の握ったおにぎりが食べられない。でもその辺に敷いたレジャーシートで雑魚寝することなんかは自然にできる。みんなと鍋も突っつくのも平気だ。
 だから潔癖症とは違うんじゃないかな、と思うのだけれど、人からは「潔癖症だ」「神経質だ」と言われる。その違和感。自分はHSPという気質なのだとわかった瞬間、その違和感が解消したのだ。
『ストレス脳』という本は、「人はなぜ、こんなに快適な暮らしを手に入れたのに、不安からは逃れられないのか?」という問いから始まる。
 大昔、人間がサバンナに暮らしていた頃と較べて、飢餓や感染症、人間同士の暴力的な争いなどからは遠く離れたはずなのに、うつや不安障害、PTSDやパニック障害に襲われる人があまりに多いのはなぜなのか。人の心が抱えてしまう問題を、脳と進化の観点から科学的に、わかりやすく解説する一冊だ。
 扁桃体という脳内の部位を火災報知器に例えている箇所がある。扁桃体は危険を察知すると反応する。おかげで人は不安を感じ、危険から逃れようとする。生き延びるためには大事なことだ。だが、この反応が過剰なら、例えば不安障害を引き起こす。パニック障害になる。
 著者はこう書く。「うつも不安も、人間が生き延びるために備えた防御のメカニズムなのだ」と。
 そうだろうと思う。そもそも必要だから、ストレスだって不安だって存在するのだ。
 僕のHSPも同じに思える。
 僕の先祖の先祖の先祖の頃から、生き延びるために備えられていた気質が、現代の僕にまで伝わる。でもHSPを知らなかった僕は自分がなぜそんなに人とは違う反応をしてしまうのかわからない。どこか居心地の悪い思いをしながら生きることになる。
 生きづらい、とまでは言えなかったかもしれない。実際、テレビ番組の司会などやっていると、この「気づいてしまう」気質のおかげと思える場面に何度も遭遇する。「この人、何か言いたそうだな」「振ってみたら面白いかな」そういうことが番組が進行している中でもわかる。
 だがその一方、自分が何者かわかっていないということは、世界に違和感を抱かせる。なにかヘンだ。そう思いながら生きている人、場合によっては生きづらさやしんどさを抱えている人は、世の中には案外数多いのではないか。
 著者はこうも書いている。「知識こそが鍵」と。知識を得ることが、その人の生き方さえも変える糸口になる――僕が、自分をHSPだと知ったことがそうだったように。
 だからこそ思うのだ。
 この本は、きっと誰かの救いになるはずだと。


 (たむら・あつし タレント)

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