対談・鼎談

2022年10月号掲載

千早茜『しろがねの葉』刊行記念特集

「無の世界」の美しさを描いて

千早茜 × 村山由佳

同じ新人賞からデビューした先輩と後輩。
でも創作に関しては、フラットに敬意を抱き合うふたりが
歴史を書く重さと苦闘、その果てにある喜びを語り合います!

対象書籍名:『しろがねの葉』
対象著者:千早茜
対象書籍ISBN:978-4-10-334194-9

千早 今日はここに来るのが怖かったんです。担当編集者以外から『しろがねの葉』の感想を面と向かって聞くのは、この対談が初めてなので。

村山 なるほど、気持ちはわかります。

千早 わたしの中で、村山さんは〈微笑む鬼〉なんです。普段は菩薩のように優しいのに、小説に関しては震え上がるほど厳しい。なので「読んでいただきたい」と「逃げ出したい」の狭間で数日前から身悶えしていました。

村山 光栄です(笑)。でも、お世辞抜きに『しろがねの葉』は最初から最後までのめり込むようにして読みましたよ。知り合いの書いた作品を読むと、その人の顔や声が浮かんでなかなか消えてくれないこともあるのだけれど、この作品は冒頭から物語それ自身の声が聞こえてきて一気に入り込んだ。

千早 うう、嬉しいです。

村山 それを可能にしたのは、やはり千早さんの文章の力だと思う。味わいがあって一行たりとも読み飛ばしたくなかったし、行きつ戻りつしながら行間まで堪能したので、集中力と体力を二冊分は使った感じがします。それぐらい密度の濃い作品よね。

千早 濃いですね。全部で三二〇頁なのに五〇〇頁くらいに感じます。私も担当編集者もゲラ直しのたびに疲労困憊しましたし、下手くそなのかなと不安になっています。

村山 まさか。読む前の私は、小説の舞台となった石見銀山について何も知らなかったけれど、最初の数ページで書き手を信頼して、与えられる情報を全部受け取ろうと集中した。そうやって受け取った情報の一つ一つが後できちんと物語を面白くしてくれて、ますます引きこまれた。結果、二冊分楽しんだ、という意味です。誉めてます。

千早 ありがとうございます、ほっとしました。私にとって初の時代小説で、掛け値なしの挑戦作なのですが、実は構想は十年以上前からあったんです。

村山 そうそう、今日はそれを聞きたかったの。どうしてこの小説を書こうと思ったのかを。

千早 デビュー間もない頃、旅行のついでにたまたま石見銀山に立ち寄り、ガイドの方から「銀山の女性は三人の夫を持った」という話を聞いたんです。女たちが結婚を繰り返すぐらい、間歩(まぶ:銀山の坑道)で働く男たちの寿命が短かったという喩えらしいのですが、この言葉に触発されて、シルバーラッシュ最盛期を迎えようとしている戦国末期から江戸初期の石見銀山を舞台に、三人の男を愛し、看取った女の物語が立ち上がってきました。

村山 じゃあ、もともとは偶然の出会いから始まったのね。

千早 はい。ただ私は五十代になって筆力がついた頃に書くつもりだったんですよ。でも新潮社の担当編集者に「なんで? いま書けばいいじゃない」と言われ、気づいたら連載と取材日程を決められ、今日に至ります。

村山 そりゃ編集者はいつだって「いま書け」と言うに決まってますよ(笑)。

千早 連載は私の作品としては最長の一年半に及びました。いまは受験を終えたような気持ちでヌケガラです。

産んだ子だけど許せない!

村山 主人公のウメは幼い頃に天才山師の喜兵衛に拾われ、間歩で働き始めますね。銀掘(かねほり)の男たちから女であることをバカにされ、女らしく生きろと言われて猛反発する一方、男を求め、男に慰められもする。そうした彼女の矛盾や弱さをありのままに描くことで、人間の生を丸ごと肯定してくれたような安心感を読者としては覚えました。

千早 よかった! ウメは男を支えるタイプに設定しようかとも考えたんですが、次第に女人禁制の間歩に入らせたいと強く思うようになりました。間歩の内部も、初潮を迎え、間歩を出た彼女の女としての人生も描ける。そうして、間歩に惹かれ、間歩を追われ、最後は自らが間歩となって男たちを受け容れるウメという女が誕生しました。彼女は生命力の塊なので、書くたびにへとへとになりました。

村山由佳

村山 妊娠していても野山を駆け回る野性味満点な子だものね。けれど意外にあなたと似ているなと思った。偏屈なところとか。

千早 えっ! ウメは私から一番遠い人間ですよ。あの人の衛生観念のなさ、ありえませんから!

村山 衛生観念って……戦国から江戸という時代設定だもの、仕方ないでしょうに。

千早 仕方ないけれど、許せないものは許せません。山中をさまようウメが沢蟹を潰して食べる場面は、「ひぃ、寄生虫……」と思いながら書きましたし、裸足で山を歩く場面も、「抗生物質ないのに! ケガしたらどうする!」とイライラし通しでした。

村山 やっぱり面白すぎるわ、この人(笑)。そのウメと交わる三人の男たちの造形も良かったですね。豪放な山師の喜兵衛、対等にぶつかり合う幼なじみの隼人、ウメを崇拝する年下の龍。それぞれ魅力があって。

千早 誰が一番お好みでしたか?

村山 私は断然、ヨキ推しなんです。喜兵衛の影としてストイックに付き従いながら、いざとなれば冷酷になれるあのニヒルさ。たまりません。

千早 わかります。私もヨキは好きです。担当編集者は『しろがねの葉』は官能の薫りがすると言うんですが、その辺りはどうでしょう?

村山 もちろん。獣が睦み合うような交歓シーンを、抑えた筆致でいっそ淡々と書いているのが逆に色っぽかった。セックスというより「営み」と呼ぶほうがしっくりくる感じ。

千早 ふふ、やった。以前、村山さんに「あなたは官能性を作品の中に全部置いてきてるんじゃないの?」と言われて、妙に納得した記憶があります。

村山 え、そんな失礼なこと言ったっけ? ごめんね、でも今聞いても我ながら言い得て妙(笑)。

作家が「無」を恐れる理由

村山 今回感心したのは五感の表現、特に匂いの描写には唸りました。血や汗、腐りかけの肉、季節の変化を知らせる空気。わけても印象的だったのがウメが銀の積み出し港である温泉津(ゆのつ)に行く場面でした。彼女は海を知らないから、「潮の匂い」とは書かない。重く湿った風やサザエの匂いの描写で、読者に海を感じさせるんですね。これは勉強になりました。

千早 匂いに敏感なたちなので、それが反映されているのかもしれません。

村山 匂いが分かることと、それを言葉に翻訳できることは別の能力だと思う。ある文学賞の選考会で大先輩作家が「色や匂い、食べ物の味、着ている服の風合いなどが描かれていない歴史小説は致命的だ」と仰ったことがあってね。ハッとして、それ以来、感覚の言語化を意識するようにしているんだけれど、あなたは初期の頃から自然にできている気がする。才能なのかな。

千早茜

千早 私は常に、主人公たちの生きている世界の美しさを書きたいと思っているので、そのせいでしょうか。今回の取材でも早朝から銀山の仙ノ山(せんのやま)に登って生えている植物を観察したり、間歩の壁の肌触りや空気の冷たさ、匂い、闇の果てしなさを感じたりと、五感をフルに働かせて世界を写し取るのに必死でした。でも、やりすぎたのか、連載初期はこの小説を夜に書けなくて。

村山 夜に書けない?

千早 夜中に間歩の中を想像しながら書いていると、すーっと身体が冷えてきて指先が氷のようになったんですよ。連載後半は夜も書けるようになりましたが、最初は不気味で避けていました。

村山 作品の中に深く潜ったことで身体ごと引っ張られたのね。

千早 間歩は無慈悲な場所で、生き物の気配もない無の世界なんです。長い年月をかけて何人もの人がそこに潜り、掘って、死んでいったのに、いまは山の緑に埋もれた「無」があるだけ。穴の中には何もない。作家は自分の頭の中にある物語を言葉に置き換えて残していく職業ですから、私は「何も残らない」光景に対して本能的な恐怖を覚えたのかもしれません。

経験のすべてを生かしてゆく

千早 実は私が『しろがねの葉』を書いてみようと決意したのは、村山さんが婦人解放運動家・伊藤野枝の評伝『風よ あらしよ』(二〇二〇年刊)を書かれたことに背中を押されてなんです。私も村山さんに続いて歴史を書こうと考えることができた。今日は『風よ あらしよ』の話もさせて下さい。

村山 分厚いこれを「赤い鈍器」と名付けてくれたのはあなただったよね。

千早 連載中にはあまり読まないようにして、本になってから一気に読んだんですが、構成からしてじつに巧みですよね。野枝とアナキスト大杉栄の平穏な家族の一日から始まって、最後にそこに戻ってくることで野枝の人生を追体験した気分になるし、間に展開される二十の章がすべて、野枝と野枝以外の人物の二視点で描かれているので一章一章が短編のようでもあり、資料や手間の膨大さを想像すると思わず眩暈が……。

村山 まあ、大変でしたけれど、やりやすくもあったんですよ。野枝本人の書いた文章や登場する記事が豊富に残っているし、知り合った人たちも平塚らいてうや後藤新平など著名人が多く、資料が入手しやすい。何より彼女の生涯は二十八年という短さでしたから。

千早 私はウメの誕生から死までを愚直に追う形式にしたのですが、もっと凝った構成にする手もあったのではと、書き終えてからも悩んでいます。

村山 すでに答えの出ている実在の人物を書くのと、架空の人物を一から書くのとでは大変さの質が違いますよ。私にしてみれば、ゼロからフィクションを積み上げて世界を作った千早さんに脱帽です。それに評伝や実在の事件・人物をテーマにした作品は年を取っても書けるけれど、大がかりなフィクションは絶対に体力のあるうちに書いたほうがいい。

千早 ということは、いま書いておいて正解だった?

村山 大正解ですとも。

千早 そう言って下さると心強いです。そもそも村山さんはなぜ伊藤野枝を書こうと思ったんですか?

村山 編集者に村山さんと重なる人物だからと勧められたんです。野枝は人として好きなタイプではないのですが、ダメ男だとわかっている相手にズルズル踏み込んでいってしまうところは、たしかに他人事とは思えず(笑)。

千早 取り返しのつかない一言を口にしてしまったり、決定的な場面を人に見られてしまったりといった、恋愛中の絶妙に間の悪い一瞬が鮮やかに描かれていて、そこは村山さんの経験の賜物かもと思いました。

村山 それはありますね。大杉が野枝に向かって「僕らは恋人である前に親友であり同志じゃないか」なんて言う場面があるでしょう? かつて私に同じことを言った男がいたんですよ。僕たち恋人である前に親友でしょ、って。

千早 うわー! やることやってなに言ってんだ。

村山 野枝の最初の夫・辻潤のように「俺の背中を踏み越えて行け」と言った人もいて、インテリという人種はいつの時代も同じことを言うんだなと、気づいた時は思わず笑っちゃいました。本当に私たちの仕事は、良いことも悪いことも経験したすべてが生きる。というか、生かさざるを得ないのよね。

千早 私、野枝が大杉とともに憲兵大尉・甘粕正彦によって殺害された際の死因鑑定書を探して読んだんですよ。すると、彼女の子宮がまだ収縮しきっておらず産褥期にあったという生々しい記述があるんですね。そこから村山さんがなぜ、絶命寸前に加えられた暴力によって野枝が母乳を迸(ほとばし)らせる鮮烈な場面を書き上げたのかがわかり、資料とはこうして小説に生かすべきものなのだと教えられました。

村山 でもやっぱり資料は資料であって、実地の取材に勝るものはないです。それもよくわかりました。

千早 村山さんの小説は本当に運びが滑らかで、つらい話や官能的な話であっても最後には清らかなものが残るのが凄いところですね。

村山 ありがとう。私自身は滑らかさよりもゴツゴツしたものを剥き出しで提示したいんですけれど、どうも「いい人キャラ」になってしまう。後ろ指を指される覚悟で書いた『ダブル・ファンタジー』ですら、振り切れていないと思ってしまうんですよね。

千早 その「いい人」から、たまに切れ味鋭い辛辣表現が飛び出すじゃないですか。痺れます。特に女性が男性を見限るシーンの酷薄さ! 「さんざん出汁を取った後の昆布のほうが佃煮にできるだけまし」という名文は刺さりました。

村山 男性器を「健康な大型犬の糞」と書いたことも。ひどいね(笑)。

千早 大杉栄が野枝の身体つきを「ぷりぷりこりこりとした肉体」と表現するのも大好き。村山さんの小説にはいつも驚きや「やられた!」があって、背中を追いかけたい先輩がいることは、しみじみありがたいと思っています。村山さんが誇りに思って下さる後輩でいられるよう、恥ずかしい作品を書かないようにしなければ。

村山 それはお互い様です。私も恥ずかしくない先輩でいたいなと思います。先輩というのはおこがましいな。どうかずっと同志でいて下さい。

千早 ありがとうございます。次の挑戦作が出来上がったら、また〈微笑む鬼〉の審判を受けさせて下さいね。


 (ちはや・あかね)
 (むらやま・ゆか)

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