書評

2023年3月号掲載

早花まこ『すみれの花、また咲く頃』刊行記念特集

見つめて、語られる人生。

最果タヒ

対象書籍名:『すみれの花、また咲く頃―タカラジェンヌのセカンドキャリア―』
対象著者:早花まこ
対象書籍ISBN:978-4-10-354921-5

 詩人と宝塚ファンをここ数年兼務している私は、新しい公演の稽古が始まる「集合日」が近づいてくると、いつもひたすらケーキを食べる。つらいからだ。集合日にはその公演の退団者の名前が発表されてしまうから。やめてほしくないから。集合日の記憶はいつもほとんど残っていない。
「でもこれはこの方が自分で決めたのだ。ここで終わりにすると決めたその人の人生の大切な一歩を、悲しいとか残念だとかいう言葉で邪魔したくない」と私はいつも思う。一人の人が人生をかけて、青春を燃やすようにして舞台に立ちタカラジェンヌになってくれた、本当はその事実だけでありがたいんだ。けれど、「その人の人生はその人のものだ」ということを改めて胸の中で唱えるたび私は本当はひどく寂しくなってしまう。舞台の上で彼女たちはたくさん研ぎ澄ませた一瞬を見せてくれて、心からその一瞬を、それだけで「好きだ」と思えた。でも自分の「好き」は本当にまっとうなものだろうか、寂しいってなんだろうといつも思っていた。
 そんなことを早花さんによる9人の元タカラジェンヌのインタビューを読んで思い出していました。あのころ寂しく感じていた「その人の人生はその人のもの」という事実が、突然とても喜ばしくて、美しい事実として私の中で花開いていくのを感じたのです。どれほどの時間が費やされた結果、この人の今があるのか、私は舞台を見ているとふと考えてしまうことがあるし、人生の一瞬を見せてもらっているだけだけど、でも少しも軽んじることのできない「一瞬」だとも思っていた。私はそこに注がれたもののほとんどを知らず、でもそれが「ある」ということだけは知っている。その人がどんな人でどんな人生を生きてきたか、それを知ろうとしなくても、その人の人生の重さを感じ取ることができただけで「好き」と思っていい気がしたし、確信するその力を私はきっと舞台からもらっていた。
 けれど退団発表があったとき、私はそういう自分の中で生まれていた「好き」とは全く違う場所にある、本当のその人の人生を感じて、自分が自分だけの心で「好き」と思うことは、勝手なんじゃないかと思ったのだ。その人が好きだから、その人の領域を踏み躙(にじ)るようなことはしたくない。舞台を見てそれだけで好きと思えた、その事実は決して覆らないし、確信をくれた光の強さは少しも変わらないけれど、でも、私はその人のことを尊重したい。「好き」という気持ちをそのまま垂れ流しにしていたらその人に向き合えない、そう思ったのです。でもこの本を読むと、それはむしろ逆な気がした。読めば読むほど知らない一面が見えてくる、そして自分の「好き」がそのたびに確実に生き生きときらめきだしていたんだ。

『すみれの花、また咲く頃』。一人一人が確かにそこにいて、それぞれの人生を生きていて、でも具体的な話を知れば知るほど、私は「知らなかった」けど、でもそのたびに何も知らずに舞台の人を「好き」と思う自分が伸びやかに肯定されていくような錯覚があった。私はタカラジェンヌにこういう人生を生きてほしいとかそんな勝手な願いや期待を抱いてはいないんだなと気づかされたのだ。ただ、面白かった、街にいろんな人がいるように、宝塚にもいろんな人がいる。そのエネルギーがつまって、爆発してここまで届いている。何にも知らないけど好きだ!と思うのは、そもそも舞台だからとか関係なく、他人にはみんなそうじゃないか。人を好きになる時、その人のことを全部知ってから好きになるわけじゃない。知らない面がたくさんあっても、それでも好きと思った時、その人の話をもっと聞きたいと思うし、たとえそれが自分の想定と違っても、でもそれでもたくさん聞いて、理解しようとしたいって思う。「好き」ってそもそもそういうものじゃん!と私は急に気づいた。知らない人生はそりゃあるよ、知らないことが大半だよ、でも、話してくれることが嬉しかった、どんな人生かというのももちろん知れて嬉しいけど、でも何よりも「話してくれる」こと、そして言葉の正直さが嬉しかった。それはきっと早花さんが問いかけているから。答える人が早花さんを真っ直ぐに見つめているから。だから、読んでいる私まで、真っ直ぐに目を見て、話してもらえている気がする。真っ直ぐで正直な言葉を読む間、私の心はずっと前からその準備が完了していたんだと知った。遠くて全く知らない人でも、その人が話してくれるならいつだってちゃんと聞こうと私はずっと思っていたみたいだ。その人のことが好きだから。そういう気持ちが「好き」で、それだけで「好き」と言っていいんだと、ここにきて私は心底信じられた。私は、本当に舞台の人が好きだった、客席からだって、何も知らなくたって、ちゃんと現実に生きているその人たちを見て、「好き」と思っていたんだって。
 タカラジェンヌは目の力がすごくて、「見る」というだけでその人の心がさらけ出されているように思うことがある。そしてその目を、この本の言葉にさえ感じるのです。退団はさみしい、勝手だけどやっぱりさみしい。でもそこにある「好き」は、ちゃんと本物だって今は思う。宝塚のどの人にも、その人だけの人生があるんだってことに今はとても幸せを感じる。


 (さいはて・たひ 詩人)

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